志免炭鉱を後にした私たちは、宮若市にやって来ました。
途中で見つけたレトロなポスト。現役みたいです。
凹凸のある草地と、一面に敷かれたソーラーパネル。
田舎では珍しくない光景ですが・・・・
ここには、筑豊御三家と称された、大きな貝島炭鉱がありました。
そう、凹凸のある土地は石炭の露天掘りの跡だったのです・・・。
志免炭鉱から石炭つながりでやって来たのは、宮若市石炭記念館。
実はこの建物、貝島炭鉱が設立した、私立大之浦小学校(現在は廃校)の
建物を利用したもの。
貝島炭鉱の創業者・貝島太助氏。
貝島太助と弟、貝島六太郎の画。
閉山後、施設のほとんどが撤去されてしまった貝島炭鉱ですが、炭鉱で使用した
器具の展示は、大牟田市石炭史料館や田川市石炭史料館にも負けない程、
充実していました。
安全を祈願した祠や、作業者の体調などを確認した検身所って三川坑(三池炭鉱)
位しか見たことがない気がします。炭坑跡は好きで結構巡っていますが・・・。
鉄道ファンが喜ぶ、貝島炭鉱専用鉄道のタブレット。
貝島炭鉱での合言葉だったという「ご安全に」。
展示品は、貝島炭鉱だけでなく、炭鉱のある町での暮らしについても・・・・。
くさせんり師匠が貝島炭鉱専用鉄道の顔だった、アルコ社製蒸気機関車について
スタッフに質問してくださったところ、
「掘り終わった坑道には、安全の為に砂を充填して強度確保しとったんじゃ。
今の飯塚駐屯地(陸上自衛隊)は、かつて貝島さんの土地だったから、そこから
砂を積み込んで坑道に充填する為に、アルコで運ばせよった。」
・・・・とのこと。てっきり石炭列車を牽いていたと思っていた私はカルチャーショック!
当時のままに残された教室には、懐かしい木製の机と、閉校となった他の学校
からも集められた卒業写真、行事写真、校旗、賞状などが所狭しと展示されて
おり、私たちは炭都華やかなりし頃に思いをはせつつ、後にしました・・・。