2020.10.4くさせんり師匠と糟屋・筑豊遠征!④宮若市石炭記念館(貝島炭鉱) | 食事処 御来欧音おらいおーね(福岡県筑紫野市阿志岐1521‐1/ゼロ戦/鉄道模型/ガンプラ)

 

志免炭鉱を後にした私たちは、宮若市にやって来ました。

途中で見つけたレトロなポスト。現役みたいです。

 

 

凹凸のある草地と、一面に敷かれたソーラーパネル。

田舎では珍しくない光景ですが・・・・

 

 

ここには、筑豊御三家と称された、大きな貝島炭鉱がありました。

 

 

そう、凹凸のある土地は石炭の露天掘りの跡だったのです・・・。

 

 

志免炭鉱から石炭つながりでやって来たのは、宮若市石炭記念館。

 

 

実はこの建物、貝島炭鉱が設立した、私立大之浦小学校(現在は廃校)の

建物を利用したもの。

 

 

貝島炭鉱の創業者・貝島太助氏。

 

 

貝島太助と弟、貝島六太郎の画。

 

 

閉山後、施設のほとんどが撤去されてしまった貝島炭鉱ですが、炭鉱で使用した

器具の展示は、大牟田市石炭史料館や田川市石炭史料館にも負けない程、

充実していました。

 

 

安全を祈願した祠や、作業者の体調などを確認した検身所って三川坑(三池炭鉱)

位しか見たことがない気がします。炭坑跡は好きで結構巡っていますが・・・。

 

 

鉄道ファンが喜ぶ、貝島炭鉱専用鉄道のタブレット。

 

 

貝島炭鉱での合言葉だったという「ご安全に」。

 

 

展示品は、貝島炭鉱だけでなく、炭鉱のある町での暮らしについても・・・・。

 

 

くさせんり師匠が貝島炭鉱専用鉄道の顔だった、アルコ社製蒸気機関車について

スタッフに質問してくださったところ、

「掘り終わった坑道には、安全の為に砂を充填して強度確保しとったんじゃ。

今の飯塚駐屯地(陸上自衛隊)は、かつて貝島さんの土地だったから、そこから

砂を積み込んで坑道に充填する為に、アルコで運ばせよった。」

・・・・とのこと。てっきり石炭列車を牽いていたと思っていた私はカルチャーショック!

 

 

当時のままに残された教室には、懐かしい木製の机と、閉校となった他の学校

からも集められた卒業写真、行事写真、校旗、賞状などが所狭しと展示されて

おり、私たちは炭都華やかなりし頃に思いをはせつつ、後にしました・・・。