志免町、と来れば、旧志免炭鉱の竪坑櫓は外せません。
(写真は4年前の撮影)
ありゃ、補修中!?
去年訪問した際も確かに足場がかかっていましたが、もう終わっているだろうと勝手に
御来欧音がタカをくくっていたのですが、現在の方が防塵・防音シートが張られ、
まさに本工事真っ盛りという感じ・・・。
後ろからは、くさせんり師匠からの冷たいまなざし・・・(苦笑)
そこをどうにかやり過ごし(笑)、竪坑櫓の奥へ・・・。
明治22年に新原採炭所として開坑したこの旧志免鉱業所は、帝国海軍の専用炭鉱
として操業を開始し、戦後には国鉄志免工業所として昭和39年の閉山まで最盛期
には従業員6000名、年間採炭量50万トンを誇る国営炭鉱でした。
その遺構は竪坑櫓だけではありません。
こちらは第八坑本卸坑口の跡。
コンクリートの坑道は傾斜角度40度で690m余り続いたといいます。
日華事変の翌年、昭和13年に造られたこの坑口は、緊張感が高まる国際状況を
反映し、更なる石炭増産を企図してより深層を採掘する為のものだったそうです。
同じく昭和13年に完成した第八坑連卸坑口の跡。
傾斜角30度。延長距離929.1mで、本卸坑口と対になっていました。
煉瓦製の坑口の上に、高さ100mの巻き上げ機が設置されていたと云います。
第五坑西側坑口跡。70m余り続き、ベルトコンベヤーを配置していました。
くさせんり師匠、竪坑櫓はまたのリベンジ!ということで・・・。