メッサーシュミットBf109開発史②エンジン選定の苦悩とスペイン内戦(B型/C型/D型) | 食事処 御来欧音おらいおーね(福岡県筑紫野市阿志岐1521‐1/ゼロ戦/鉄道模型/ガンプラ)

※前人未到の352機を撃墜したエーリッヒ・ハルトマン大尉(最終階級:中佐)の

Bf109G-6型

 

ライバル機ハインケルHe112を破ってドイツ空軍の次期主力戦闘機として正式採用

されたBf109でしたが、意外なことに、その心臓部に積まれていたのはイギリス製

ロールスロイス製ケストレルエンジンでした。これは、搭載予定のユンカース・ユモ

210エンジンが間に合わなかった為でした。

1930年代、航空機の機体設計は著しい進歩を遂げていましたが、航空機用エンジン

に関しては機体以上に開発に時間がかかり、軍用機のエンジン選定は非常に

悩ましい問題でした。我国の日本海軍でも、九六艦戦のエンジン選定に関して、抵抗

が少ない水冷エンジンの試作機(九六式三号艦戦)を開発したり、零戦の場合には

三菱製の機体に、中島製の栄エンジンを搭載しています。

ドイツ空軍でも、小型高出力で信頼性の高いエンジンが無かったのか、Bf109と同じ

単発の急降下爆撃機であるJu87スツーカの試作機もケストレルエンジンを積んで

ラインオフしています。

間もなく、ドイツ最大の航空機・航空エンジンメーカー、ユンカース社が、本来Bf109の

試作機が積むはずだったユモ210エンジンをようやく実用化。試作3号機であるBf109

V-3以降の機体にはユモ210エンジン(680馬力)が搭載されました。

その後、初の量産型、というよりも先行量産型というべき、Bf109B-1が300機余り

生産され、Bf109もいよいよ実戦部隊への配備が始まります。

更に、ユモ210を直接燃料噴射式に改良して、7.92mm機関銃を3丁から4丁に強化

したBf109C-1も登場しましたが、こちらはエンジンの供給不足から少数の生産に留まり、

主に輸出用と訓練用に回されました。

この為、Bf109B-1をチューンナップしたBf109D-1(機関銃は4丁)が開発されました。

Bf109D-1はユモエンジン付きの最終型・最多生産モデルとなり、600機以上が製造

されましたが、搭載エンジンの供給に振り回されている状況に変わりはありません

でした。

こうした中、ユンカース、BMWと並ぶドイツ航空エンジン界の雄、ダイムラーベンツは

ユモエンジンよりも大型で高出力のDB600エンジン(900馬力)を開発。Bf109にも搭載

されて、Bf109E-0型と称しましたが、エンジンの出力向上は目覚ましい性能UPを

見せたものの、DB600エンジンはハインケルHe111双発爆撃機に優先供給される

という悔しい思いをすることになります。

しかし、直接燃料噴射装置を備え、出力も1100馬力に上昇した新型エンジンDB601A

エンジンが完成し、新型機Bf109E-1型として実用化されました。また、これに続いて

エリコン20mm機関砲2丁・7.92mm機関銃に武装を強化したBf109E-3型も登場し、

以後、Bf109は終戦までダイムラーベンツDB601/DB605シリーズエンジンを搭載

することになります。

Bf109の大成功により、1937年にメッサーシュミット博士はBFW社の社長に就任し、

社名もメッサーシュミット社と改めました。これにより、以後のメッサーシュミット社の

製品は、Me262ジェット戦闘機、Me410双発機といった具合に「Me」を付けるように

なりました。

 

時系列は相前後しますが、Bf109の試作機Vシリーズが完成した翌1936年、当時

革命政府が成立していた、イベリア半島のスペインでは、軍部や教会といった反共

勢力を中心とした反乱が発生しました。スペイン内戦の始まりです。

フランコ将軍率いる反乱軍は、ドイツ・イタリア・ポルトガルの支援を受け、革命政府

はソ連・フランスや英米の義勇兵が参戦し、スペイン内戦は独・伊とソ連の代理戦争

の様相を呈しました。

革命政府がソビエト製のポリカルポフ・イ15、イ16戦闘機を繰り出してきたのに対し、

ドイツ空軍は義勇兵「コンドル軍団」の名称で急降下爆撃機ユンカースJu87

スツーカ、双発爆撃機He111、更に開発段階のBf109試作機シリーズV-3~V6、

更には生産型のBf109B-1/C-1/D-1を次々に投入してこれに対抗。

当初劣勢だったフランコ将軍の反乱軍は、コンドル軍団の支援でスペイン上空の

制空権を確保。徐々に巻き返しをはかります。

更に、最新鋭のBf109E-1/E-3型がコンドル軍団に配備された頃には、反乱軍の

優勢は決定的になり、1939年1月にフランコ将軍率いる反乱軍はバルセロナを、

3月末には首都マドリードを攻略し、3年に及ぶ内戦は終結しました。

以後、フランコ将軍は亡くなるまで独裁体制を敷きます。

スペイン内戦は、結果としてドイツがその後の第二次世界大戦に投入した兵器の

格好の実験舞台となり、ソ連製戦闘機を圧倒したBf109の高性能は高く評価

されました。また、ピカソの名画で悪名高いゲルニカ爆撃機等により、大型爆撃機

による都市攻撃に対する恐怖も広く知られることになりました。

 

そして、1939年9月、ドイツは突如ポーランドに侵攻します。第二次世界大戦の

始まりでした・・・・。

第二次世界大戦開戦時、ドイツ空軍の全戦闘機の3分の2はDB601エンジンを搭載

した、新鋭機Bf109E-1・E-3で構成されていました。