Bf109は最高だ!全備状態でならどんな飛行機にも負けない!
そんなBf109G-6/G-14がようやく全機(9機)完成しました。
以前から完成していた2機を加えて11機・・・・。
私の大好きな松本零士さんの「わが青春のアルカディア」塗装(架空塗装)も
合わせると合計14機。
ドイツの友好国フィンランド・ブルガリア空軍塗装も合わせると20機に達しました。
※所属部隊不詳(訓練部隊という)のBf109G-6型。
ここで、Bf109は最高だ!全備状態でならどんな飛行機にも負けない!
そのメッサーシュミットBf109G-6/G-14についておさらいを。
総生産数33000機余。
1935年に登場したメッサーシュミットBf109はナチス・ドイツ空軍や同盟国の主力
戦闘機だったというだけでなく、史上最も多く作られた戦闘機でもあります。
(民間機も含めれば、約50000機が作られたセスナ170/セスナ172シリーズ、
軍用機としては大戦中のソ連の地上攻撃機イリューシュンIL-2シュトルモビクが
36000機。但し、シュトルモビクの方はロシアのお国柄、本当に数を信用して
よいのか疑問・・・・。)
後のメッサーシュミット社を興したウィリー・メッサーシュミット博士は1898年に
フランクフルトの商人の家に生まれ、メッサーシュミット航空機製造の名称で
航空機製造事業を興したものの、第一次世界大戦の敗戦国であるドイツは
表立って軍用機の開発が出来ず、国家や地方政府が補助金を交付して
スポーツ機や旅客機を開発しているメーカーを細々と支援している状態でした。
1926年、バイエルン州政府は、第一次世界大戦の撃墜王ウーデット(後の空軍大
将)が興したウーデット航空機工業や、第一次世界大戦初期のタウベ単葉機で有名
なルンプラー社、それにメッサーシュミット航空機製造等を、バイエルン航空機製造
に集約・再編成することを企図し、メッサーシュミット博士はバイエルン航空機製造
(略称BFW)の総支配人・設計主任者に就任しました。
この為、この時期のメッサーシュミット社の製品はメッサーシュミットの「Me」ではなく、
「Bf」が付きます。例)Bf108(多目的連絡スポーツ機)、Bf109、Bf110(双発多座
戦闘機で、ドイツ空軍では駆逐機と呼称)となっています。
1934年、ナチス政権は再軍備宣言(第一次世界大戦後に禁止された潜水艦・
戦車・軍用機の保有を宣言)を目前に当時の主力戦闘機ハインケルHe51に
代わる新型戦闘機の競作をハインケル社とBFW社に命じます。
ライバルのハインケルHe112は、メッサーシュミットBf109よりもやや大柄で、
速度と上昇力の向上に明確な重点を置いたBf109に対し、視界や運動性に
留意した設計でしたが、設計はBf109の方が進んでおり、コストパフォーマンス
にも優れていたことから(メッサーシュミット博士がナチス党員だった為とも)、
翌1935年には最終的にBf109が正式採用されることになりました。(続く)