世界遺産「明治日本の産業革命遺産」三井三池炭鉱宮原坑~郷土を知らずして世界を語れましょうや!?御 | 食事処 御来欧音おらいおーね(福岡県筑紫野市阿志岐1521‐1/ゼロ戦/鉄道模型/ガンプラ)
今回世界遺産「明治日本の産業革命遺産」に登録された三井三池炭鉱の宮原坑は、
三池炭鉱の明治後期~大正期にかけての主力坑の一つです。

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当初は官営で開発された三池炭鉱を払い下げられた三井組(後の三井鉱山)は、技術官僚
出身の団琢磨(後に三井鉱山会長から三井合名会社理事長、つまり三井財閥の総帥に
なるも、金融恐慌に端を発した血盟団事件で射殺される)を迎え、本格的な採掘に
乗り出します。
福岡藩出身で、金子賢太郎と共に海外留学の経験も持つ団(マサチューセッツ工科大卒!)
は、鉱山技術、特に大型ポンプ等に精通した団は三池炭鉱の抱える課題として排水処理の
解決を重視し、周囲の反対を押し切って世界最大級の英国製デビーポンプ2台を導入、
他の坑口にも同様の排水ポンプを設置し、排水問題を解決します。

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この巻上機の建物は、当時のままの煉瓦です。
恐らく100年近く経過していますが、まだガッチリしていました。

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現存する最古の全鋼製櫓である第二立坑櫓跡。
それまでは木製の櫓が主流であった中、この頃より鋼製になり、後には宮浦坑で鉄筋
コンクリート製の櫓が登場しました。最盛期には年間40~50万tもの石炭を産出していた
宮原坑ですが、昭和6年には採掘を中止しています。

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しかし、その後も排水等を目的に宮原坑の第二竪坑(第一竪坑は埋められ消滅)は
残され、三池炭鉱の閉山近くまで稼働していました。

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こちらは第一竪坑跡。かつてはここに蒸気ボイラーや大煙突が設置されていました。

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今回、案内所として用いられていた建物。
もしや、と思って案内の方に伺ったところ、やはりかつての三池炭鉱の社宅跡だとのこと。
古い公団住宅の様にしか見えませんが、昭和30年ごろには水洗トイレ等を備えた当時
最新のデラックスな社宅だったそうです。
当時はこの地域に20棟以上あったそうですが、
「なつくさや つはものどもが ゆめのあと」
という状態でした・・・。