霊場巡りにまつわる話 その4 千代保稲荷の傷痍軍人(前編) | 50代親父の無為な日々

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年末に千代保稲荷(おちょぼさん)へ行ってきた。私にとって年末年始に参拝するのは毎年恒例だが、子供の頃に見た「傷痍軍人」の印象が深い場所でもある。

 

 ※おちょぼさんも年末で大賑わい。

 

私が小学生だった昭和50年代は「傷痍軍人」を普通に見ることができた最後の時代であろう。そんな頃には傷痍軍人という言葉は、もはや神社で白装束で陸軍帽をかぶり物乞いをする人、という意味になり果てており、ニセ者もかなり混じっていたと思われる。

 

しかし当時小学生だった私からすると、「傷痍軍人」は戦争という歴史をまざまざと見せてくれるリアルな存在であった。


初めて見たのは1970年代中頃、私が小学生の頃におちょぼさんの裏出口の鳥居のたもとであった。

 

この鳥居のたもとに膝をついて四つん這いになり、「戦傷」と書いた箱を前に置いて何やら低い声で歌を歌っていた。ネットで拾った画像だが、まさにコレである。白い着物にカーキの陸軍帽、典型的な「傷痍軍人」である。

 

おちょぼさんは月末・月初(だから月末の夜)に参拝する方が多く、露店も立ち並ぶので、年に数回ではあるが我が家もそうした時をねらってお参りに行った。

するといつも同じこの人が、必ず同じ場所に四つん這いになって、頭を垂れて何やらぶつぶつ言っているのか歌っているのか、ほとんど身動きせずにいるのである。誰かがお布施をする場面も見たことがなかった。

 

親父は「傷痍軍人」の演技などもちろんお見通しで、私の手を引いて小声で「見ちゃいかん」と言って早く通り過ぎようとした。しかし私は怖いもの見たさで、わざと歩みを遅くしてゆっくり通り過ぎようとする。通り過ぎても後ろを振り返り、親父に引っ張られる始末であった。

 

ところが、ある時年配の男性が「戦傷」の箱に千円札を入れたその瞬間、「傷痍軍人」がお礼をしたのを初めて見た。膝をついた四つん這いのまま頭だけがだらんと垂れ下がる、子供の私には理解できない衝撃的な光景であった。

 

そのときから「傷痍軍人」は常識で理解できない存在として偶像へと昇華し、私の中でおちょぼさんへのお参りは「傷痍軍人」を見に行くため、になってしまったwww

 

続きはこちら:霊場巡りにまつわる話 その5 千代保稲荷の傷痍軍人(後編)