【本】堕落論 | 目指せ!脱コミュ障

目指せ!脱コミュ障

思ったことや考えていることを、相手にわかりやすく、綺麗な言葉で伝える練習をしています

坂口安悟の「堕落論」を読んだ。

私の考えを言語化してくれていたり、新たな点に気づかせてくれる、名言ばかりだった。

 

*日本文化私論

・日本の文化人は静養の文化人に比べ、「社交的に」怠慢

・p14  「タウトは日本を発見しなければならなかったが、我々は日本を発見するまでもなく、現に日本人なのだ。我々は古代文化を見失っているかも知れぬが、日本を見失う筈はない。日本精神とは何ぞや、そういうことを我々自身が論じる必要はないのである。説明付けられた精神から日本が生れる筈もなく、又、日本精神と言うものが説明づけられる筈もない。」

・p19 「貫禄を維持するだけの実質がなければ、やがては亡びる外に仕方がない。問題は、伝統や貫禄ではなく、実質だ。」 p35「古いもの、退屈なものは、亡びるか、生れ変るのが当然だ。」 p44「必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい、わが民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。」

・芭蕉の特徴は、旅を通じて大自然の中に自分の庭を見出し、作り出したこと。p29「それ自体が直截な風景であるし、同時に、直接な観念なのである。」「だから、庭や建築に『永遠なるもの』を作ることはできない相談だという諦めが、昔から日本には、あった。」

・秀吉の特徴は、風流や道楽がなく、p32「彼の為す一切合財のものが全て天下一でなければ納まらない狂的な意慾の表れがある」

・p33「俗なる人は俗に、小なる人は小に、俗なるまま小なるままの各々の悲願を、まっとうに生きる姿がなつかしい。芸術も亦そうである。[...]人間は、ただ、人間をのみ恋す。人間のない芸術など、ある筈がない。郷愁のない木立の下で休息しようとは思わないのだ。」

・p35 「『帰る』ということは、不思議な魔物だ。『帰ら』なければ、悔いも悲しさもないのである。」

・p45「『やむべからざる実質』が求めたところの独自の形態が、美を生むのだ。実質からの要求を外れ、美的とか詩的という立場に立って一本の柱を立てても、それは、もう、たわいもない細工物になってしまう。」p44「それが真に必要ならば、必ずそこにも真の美が生れる。」

 

*青春論

・p45 「今が自分の青春だというようなことを僕はまったく自覚した覚えがなくて過ごしてしまった。いつのときが僕の青春であったか。どこにも区切りが見当らぬ。」

・p52「青春とは、ただ僕を生かす力、諸々の愚かな然し僕の生命の年少を常に多少ずつ支えてくれているもの、僕の生命を支えてくれるあらゆる事どもが全て僕の青春の対象であり、いわば僕の青春なのだ。」

・p53「僕が『後悔しない』と云うのは、悪行の結果が野垂れ死をしても地獄へ落ちても後悔しない、とにかく俺の精一杯のことをやったのだから、という諦めの意味に他ならぬ。」

・p104「僕には余裕がないのである。生きることが、ただ、全部なのだ。そういう僕にとっては、青春ということは、要するに、生きることのシノニイムで、年齢もなければ、又、終わりというものもなさそうである。」

 

*堕落論

・p108「生きて捕虜の恥を受けるべからず、というが、こういう規定がないと日本人を戦闘にかりたてるのは不可能なので、我々は規約に従順であるが、我々の偽らぬ心情は規約と逆なものである。」

→菊と刀の「恥の文化」と合わせて何かが言えそうだ

・p110 「我々は靖国の下を電車が曲るたびに頭を下げさせられる馬鹿らしさ」

→戦後まもなく、こんな時期があったのか。

・p116「人為によって保ち得た処女の純潔の卑小さなどは泡沫の如き虚しい幻像にすぎない」

・p117 「たとえ爆弾の絶えざる恐怖があるにしても、考えることがない限り、人は常に気楽であり、ただ惚れ惚れと見とれていればよかった」

・p117「終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、自らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。人間は永遠に自由では有り得ない。なぜなら人間は生きており、又、死なねば成らず、そして人間は考えるからだ。」

・p118「人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。[...]堕ちぬくためには弱すぎる。」

 

*続堕落論

・p120「文化の本質は進歩」 p122「日本の精神そのものが耐乏の精神であり、変化を欲せず、進歩を欲せず、憧憬賛美が過去へむけられ、たまさかに現れいでる進歩的精神はこの耐乏的反動精神の一撃を受けて常に過去へ引き戻されてしまうのである。」 p122「必要は発明の母という。その必要をもとめる精神を日本ではナマクラの精神などと云い、耐乏を美徳と称す。」

・p123「天皇の尊厳というものは常に利用者の道具にすぎず、真に実在したためしはなかった。」 p124「天皇とはかかる非常の処理に対して日本歴史のあみだした独創的な作品であり方策」 p125「我等国民は戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか。竹槍をしごいて戦車に立ち向かい土人形の如くにバタバタ死ぬのが厭でたまらなかったのではないか。[...]そのくせ、それがいえないのだ。そして大義名分と云い、又、天皇の命令という。[...]何というカラクリだろう。惨めとも又なさけない歴史的欺瞞ではないか。」

→宗教に似ているようで、どこか違うのかな天皇制は

・p126 「現在の日本が、そして日本的思考が、現に大いなる堕落に沈淪しているのであって、我々はかかる封建遺制のカラクリにみちた『健全なる道義』から転落し、裸となって真実の大地へ降り立たなければならない。」

→「真実」ってわかりそうでわからない。

・p127 「堕落は常に孤独なもの」「善人は気楽なもので、[...]人間どもの虚しい義理や約束の上に安眠し、社会制度というものに前進を投げかけて平然として死んで行く。」

・p130 「文学は常に制度の、又、政治への反逆であり、人間の制度に対する復讐であり、しかして、その反逆と復讐によって政治に協力しているのだ。反逆自体が協力なのだ。愛情なのだ。」

 

*デカダン文学論

・p134「実質的な便利な欲求を下品と見る考えは随所に様々な形でひそんでいるのである。この歪められた妖怪的な日本的思考法の結び目に当る伏魔殿が家庭感情という奴で、[...]ふざけたことを鵜呑みにして疑ることすらないのである。」p135「日本的家庭感情の奇妙な歪みは浮世に於いては人情義理という怪物となり、離俗の世界に於いてはサビだの幽玄だのモノノアワレなどという神秘の扉の奥に隠れて曰く言い難きものとなる。」

・p135「学問の型を形の如くに勉強するが、自分自身というものに就て真実突きとめて生きなければならないという唯一のものが欠けている」 p137「処世的に如何ほど糞マジメで謹厳誠実であっても、根底的に魂の不誠実を意味している」

→これは、わかる。自分について考えることが少ない社会かもしれないね、特に日本は。

・p142「彼は現世に縛られ、通用の倫理に縛られ、現世的に堕落ができなかった。」

→耳が痛いwwww

 

*エゴイズム小論

・p198「すべて社会に生起する雑多な事象が常にこの種の安易低俗な批判によって意味づけられ、人性や人の子たるものの宿命の根底から考察せられることが欠けている」

→今の日本も一緒。

・p199「家庭は親の愛情と犠牲によって構成された団結のようだが、実際は因習的な形式的なもので、親の子への献身などは親が妄想的に確信しているだけ、却って子供に服従と犠牲を要求することが多いのである。一般の母親は子供の個性すら尊重せず、[...]盲目的に子への献身や愛情を確信しているだけ始末の悪い独裁者であると知るべきである。」

→→良くぞ言ってくれた!!!「私はいつでもあなたの味方だから」って母親に言われて心の中がモゾッとしたのは、母親がその言葉を実現できていないし言葉の意味の重みを誤解していると感じたからなんだろうな。

 

*欲望について

・p207 「陰鬱な家庭に就いても、人々は、それが美徳であり、その陰鬱さに堪え、むしろ暗さの中に楽しみを見出すことが人生の大事であるという風に馴らされてきた。」

→そうかもしれない。そうしたら、「どんな環境も楽しむ」っていうpositivityは「諦め」と同義であり、後ろ向きな感情なのだろうか。もっと考える必要ありそう。

・p214 「人は肉慾、慾情の露骨な曝露を厭う。然しながら、それが真実人によって愛せられるものであるなら、厭うべき理由はない。」

→日本文化私論の意見と一貫している。

 

*大阪の反逆

・p230 「純文学の純の字は[...]如何に生くべきか、思想というものが存している、その意味であり、それに並存して、なるべく多くの魂につながりたいという戯作者がいる。あらゆる人間の各々のいのちに対する敬愛と尊重といたわりは戯作者根性の根底」

 

 

私も、坂口のように、自分の目で「本質と思われるもの」を見極められる人間になりたいです。