「本当のことを知りたい」
いま、多くの人が思っているでしょう。
「安全です」
「大丈夫です」
「すぐに影響しません」
「影響出るのは1万人に数名です」
・・・これで安心していいの?
「本当のこと」というのは抽象的ですが
生活している人にとって「チェルノブイリと同じ」という
レッテルを貼られている福島第一原発の影響が
どんな放射能がどこにどれだけ拡散し
農作物や家畜にどれだけ影響し
生活するうえで問題ないレベルなのかどうか
これが今、一番知りたい「本当のこと」
そして次に知りたいのが
原発が今すべて停止して、生活できるのか
新しいエネルギー源の開発はどうなってるのか
自然由来再生可能エネルギーの可能性はどうなのか
この辺ではないでしょうか。
情報はインターネットを通じて、たくさん見つけることができます。
情報をたくさん見て勉強するうちに
何がどのくらい危ないのか、
また、再生可能エネルギーの現実性につき
判断できるようになってくると思います。
各自の努力にかかってます。
・・・メディアが伝えることを
鵜呑みにして信じるのは、おかしい と思います。
本来のメディアの役割は、それを専門能力として特化することで
情報を消化し情報源にアクセスを持たない人のために
公開して伝える ということに尽きますが
会社として確かに経営存続かかっている現行システムでは
お金を出してくれるパトロン=スポンサーに対して
失礼なことはできない 即ち、彼らに都合の悪いことはいえない
従い、その辺うまく避けて伝えねばならない-
という、ちょっとねじれた状態は否定できません。
国によっては、本当のことを伝えようとすると
消されたり、家族に危害が及んだりすることもあります。
しかし「ジャーナリスト」を名乗るならば
パトロンの制約を受けず
リスクを恐れず
本当に自分の見たものを、信念をもって伝える
そのくらいの気概がなくては
その肩書きを名乗る資格は、ありません。
・・・って、上から目線でごめんなさーいっっっ
でもね、本当に思うんです。
受け手が知りたい「本当のこと」 について
情報源に体を張ってアクセスして、写真とって
自分の思いをまとめてきました
っていうのが、真のジャーナリズムだと。
扇情的な記事を書いて「言論の自由」と吹聴するのも
ジャーナリズムではありません。
マイクを持ってカメラに対し
「これが被災者の皆さんです!」 と
指し示すのもジャーナリズムではありません。
そういうワイドショーがあった と聞いてがっくしきたよ・・・
スポンサーが怖いから言うのはやめてくれ
と諭されて、引き下がるのもジャーナリズムじゃない。
東電スポンサーの番組に関して や
東電関連記者会見にフリーの記者が入れない とか
「安心」を強調したがる報道について とか
考えていることです。
原発について言うならば
実際に原発に行って、写真を撮って
思いを伝えている人の言葉を、私は信じます。
広河隆一さんのブログ
森住卓さんのブログ