【番外④】二代目会長についての話 後編 | 元J民の色々考察ノート

元J民の色々考察ノート

思うがまま好き勝手に考察を書いていきます

初代会長C・T・ラッセルは、「真のクリスチャン」の在り方について、

 

この世の上位者を最も誠実に認める人々であり,天の要求や命令に反しない限り法律や法的

要求に最もよく従う人々である。(中略)文句を言ったり,あら捜しをしたりすべきではない」

 

と述べており、遵法精神の重要性を強調しています。

 

(エホバの証人―神の言葉をふれ告げる人々 190ページ)

 

それにもかかわらず、二代目が会長に就任して以降、

世界各国大勢のエホバの証人逮捕されたり収監される事態となりました。

 

何故なら、二代目の体制下の組織では、政治的な中立――

――実質的には、「いかなる理由があっても(国家に求められても、迫害が免れない場合でも)国家や政治を支持するとみなされる行動はとってはならず、愛国的な行動もとってはならない」

という指針が徹底されたからです。

 

第一次世界大戦下までは、エホバの証人――正確にはその前身となる組織の信者達は、

徴兵の拒否が義務付けられていませんでした。(エホバの証人―神の言葉をふれ告げる人々 191-192ページ)

 

信者全員が徴兵を拒否するようになったのは、二代目会長が就任して以降です。

 

そして二代目会長の就任期間は、運悪く、第二次世界大戦の開始時期と重なっていました。

 

英国では裁判官たちは合計600年を超える刑期を証人たちに課しました。

米国では4,000人余りの証人たちは逮捕され,最高5年の刑期を言い渡されました。

ドイツのエホバの証人は,6000人以上の証人が逮捕され,2,000人以上が強制収容所に

送られたようです。(エホバの証人―神の言葉をふれ告げる人々 194ページ)

 

エホバの証人に対する世界的な迫害が最も隆盛を極めたのは、間違いなく二代目が会長職に

就いていた期間です。

絶対的な「中立の立場」を求めるルールは、非常に大勢の信者を身体的な危害に晒しました。

 

 

―――私は、個人としての「良心的な兵役の拒否」自体を否定する気はありません。

新興宗教とは関係の無い立場で、それを選んだことにより社会的な制裁を受けた人はいます。

大戦下のエホバの証人が「組織の指示」に関係なく「自分の意思で」兵役を拒んだのであれば

それは本人の意思決定です。

 

 

 

問題だと感じるのは、

幼い子供達が激しい迫害に遭うような状況をわざと作り出したこと

および、

国家が求めるルールに逆らってでも中立に関する「組織が定めたルールに」従うべきとする命令

 

の二点です。

 

 

1935年、二代目会長国旗敬礼を偶像崇拝と結びつけました。

それからエホバの証人は、国旗敬礼を崇拝行為とみなすようになりました。

(エホバの証人―神の言葉をふれ告げる人々 196ページ-197ページ、669ページ)

 

この指針により、当時の幼い子供達を中心に、大勢の信者が、甚大な被害を受けました。

 

非常に多くの人たちがアメリカの国旗に敬礼しようとしなかったために身体的な虐待を受けました。1935年11月4日の週には,ペンシルバニア州カノンズバーグの学校に通うかなりの数の子供たちが,敬礼を拒否したという理由で学校のボイラー室に連れて行かれ,むち打たれました。教師だったグレース・エステプも同じ理由でその学校から免職されました。11月6日,ウィリアム・ゴバイタスとリリアン・ゴバイタスは国旗敬礼を拒み,ペンシルバニア州マイナーズビルで放校されました。(中略)1940年,米国が開戦寸前になると,合衆国最高裁判所はマイナーズビル学区対ゴバイティス事件に関し,公立学校における強制的な国旗敬礼を支持する判決を8対1で下しました。その結果,エホバの証人に対する暴力事件が一気に国中で発生しました。

 

エホバの証人は暴行を受け,殴打され,誘拐され,町や郡や州から追い出され,タールと羽毛を浴びせられ,無理やりひまし油を飲まされ,縛り合わされて,もの言わぬ獣のように通りで追い回され,去勢されたり不具にされたり,悪霊的な群衆からあざけられたり侮辱されたりし,罪状を言い渡されることなく何百人も投獄され,外界との接触を断たれ,親族や友人や弁護士と相談する権利を否定されている。さらに,投獄され,いわゆる“保護拘置”として留置された人が何百人もいる。夜間に銃撃された人や,縛り首にすると言って脅され,意識を失うまで殴られた人もいる。ありとあらゆる集団暴行が発生している。多くの人は衣服をはぎ取られ,彼らの聖書や他の文書は没収されて公衆の面前で焼かれた。自動車やトレーラーハウスや家や集会場は打ち壊され,火をつけられた。……暴徒の支配下にある地域で裁判が開かれた際,弁護士や証人が出廷中に暴徒に襲われて殴られたことは数知れない。(中略)1940年から1944年までの間に,米国でエホバの証人は2,500回以上暴徒に襲われました。

エホバの証人の子供たちが大勢放校されたので,1930年代末から1940年代初めにかけて,証人たちは子供たちに教育を施すため米国とカナダで独自の学校を運営しなければなりませんでした。

 

国家主義的な儀式に関する問題は,決してドイツと米国だけのものではありませんでした。南北アメリカ,ヨーロッパ,アフリカ,アジアでも,エホバの証人は残忍な迫害を受けてきました。彼らは,国旗敬礼や同様の儀式が行なわれている時に起立して敬意を払うものの,儀式に参加することはしないからです。子供たちは殴打され,中には退学処分を受けた子供も少なくありません。

(エホバの証人―神の言葉をふれ告げる人々 197ページ、669-671ページ)

 

 

1930年代、二代目会長は、信者たちが身体的な危害に晒されるような指針を与えました。

(もっともこの時、二代目自身が、鞭打ちや殴打等の被害に遭うことはなかったと思われます)

 

二代目以降に定着した「中立」に関するエホバの証人独自のルールは、

二代目の逝去後も、多くの信者達と、国家や政府の間に軋轢を生み続けました。

 

 

他の国でも,エホバの証人は国の象徴への敬礼や口づけを拒んだためにひどく迫害されました。1959年,コスタリカのエホバの証人の子供たちは,法律で言うところの『国家の象徴に対する崇拝』に加わろうとせず,学校から締め出されました。パラグアイの証人の子供たちも1984年に同様な処置を受けました。1959年,フィリピンの最高裁判所は,宗教上の異議申し立てがあったにもかかわらず,エホバの証人の子供たちに国旗敬礼を強制できるという判決を下しました。(中略)1976年,「キューバのエホバの証人」と題する報告は,子供が国旗に敬礼しようとしなかったという理由で,過去2年間に男女を問わず1,000人の親たちが刑務所に送られたと伝えました。 (エホバの証人―神の言葉をふれ告げる人々 671ページ)

 

1960年代から1970年代にかけて,マラウイの全国民は政権を握る政党の党員カードを買うことを要求されたため,エホバの証人の中立の立場は非常に厳しく試みられました。エホバの証人は,それを買うことはクリスチャンとしての信条に反すると考えました。その結果,彼らは前例がないほど残忍な虐待行為を伴う迫害を受けました。何万人もの人が国から逃げることを余儀なくされましたが,やがて故国に強制送還され,さらに残虐行為を加えられた人も少なくありません。 (エホバの証人―神の言葉をふれ告げる人々 195ページ)

 

 

世界各国で、エホバの証人の信者が団体として国家や政治当局からペナルティを受け、

信者達が逮捕されたり収監される事態になったケースの多くが、この「中立」に関する

組織が定めたルールに絡んでいます。

 

二代目会長が、エホバの証人の信者達と、国家や行政との間に敵意を置きました。

どれほど大勢の青少年が傷つく事態になっても、二代目は自ら定めた指針を貫き通しました。

それ以来、エホバの証人の組織は、ずっとの二代目の定めた指針を信者に求め続けています。

 

ちょっと余談

 

エホバの証人の中立に関するルール付け、

日本人の身近なところで言えば「国歌」「校歌」の斉唱と、選挙における「投票」の禁止、

これについても聖書的に反証してみようかと思っていたんですが、完全に挫折しました。

 

そもそもエホバの証人の組織がこのようなルールの根拠として提示している聖句のすべてが、

「いかなる理由があっても」特定の団体への支持や愛国的な態度の表明を「してはならない」

とする理由として成立しておらず、強引にこじつけられたものにしか見えなかったからです。

 

「1世紀当時のクリスチャンは皇帝崇拝をしなかった」と主張した上で

「国旗敬礼と崇拝行為」を関連付けている「世の人間」の著作物を根拠に提示していますが、

 

米国では国旗敬礼をする側も求める側もエホバの証人と同様に「聖書の神」を信じているし

それを「他の神への崇拝」と認識している人間なんてほとんどいないわけで、

「国旗敬礼」等の所作を崇拝行為とみなす考え方自体が「個人の感想」にすぎないんです。

 

「聖書を神の言葉として信じている」と自称している組織だから

「聖書」を使って反証しようと試みても、

主張の根拠が「聖書」そのものではなく「道理や筋道を度外視した俺ルールのゴリ押し」では

まったく論駁しようがないことに気づきました。

 

この点において、私は全面的な敗北を認めます。

 

 

余談の余談

 

ある程度までなら「政治的な中立」を求めることは良いと思います。

米国民を全体で見ると、日本国民よりもはるかに、政治に対して関心を抱いているようです。

著名人の多くが「どの党」を支持するかという立場を表明しています。

米国の宗教団体の中にも、そこに所属する信者の多くが「特定の政治家」を支持していると

周知されている派が存在するほどです。

もしエホバの証人が中立に関する基準を「完全に」解禁してしまった場合、

ほぼ間違いなく信者内で意見の衝突が起こるのは確実とみて良いでしょう。

政治への関心度が高い土壌では、

個人的に支持する政党や政治家が一致するグループが派閥を作ってしまう可能性があるので、

「宗教団体として政治に関与をしない」

「組織の内部にも政治を持ち込まない」

この2点は明確なメリットがあります

 

国家から国民全員に政治カードを所持するような命令があって、わざわざ拒んで怒らせるとか

学校の音楽の授業で「校歌」を拒否して「王国の歌」を歌うとか、そういうのが問題なんです。

そういう無駄な反抗心というか被虐嗜好に何の意義があるのかまったく意味がわかりません。

 

 

 

なぜ二代目会長就任以降のエホバの証人の組織が、信者達の「中立の立場」に固執したのか。

 

エホバの証人は「世のものではない」たちふるまいのアピールにこだわりを示してきました。

(エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々 188ページ)

 

その根底には、二代目会長が、

世の中には「エホバの組織」と「サタンの組織」しかないという考えを広めたことが大いに関係していると思われます。

 

1920年代に二代目がこのような考え方を含む新しい定説を提唱した時、その極端な見解が

初代の「遺稿」とはかけ離れていた代物だったため、受け入れがたいと感じた信者が多くいた

ようです。(エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々 78-79ページ)

 

そもそも、初代会長の「裁き」と「救済」に関する考え方が、

現在のエホバの証人とは大きく異なっていました。

 

初代会長C・T・ラッセルが宗教団体を立ち上げる契機となったのはアドベンティスト派との

接触ですが、そのアドベンティスト派に属さなかった理由の一つについては、下記のように

書かれています。

 

(ラッセルは)イエスの再来はすべての人を滅ぼすためではなく,地上の従順な家族を祝福するためのものであることを悟りました。ラッセルはこう書いています。「我々は,アドベンティスト派の間違いをはなはだ残念に思った。彼らは,肉体を着けたキリストを期待しアドベンティスト派以外の世界とその中にあるものすべてが燃え尽きてしまうと教えていた」。

(エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々 45ページ、133ページ)

 

初代会長は、未来に起きる出来事について

「人類が回復させられ,実際に祝福を受け始める前に,いま人間を束縛し抑圧している現在の地上の諸王国はすべて覆され,神の王国が支配し,その新しい王国によって祝福と革新がもたらされる」

という予告こそしていましたが(この考え方は聖書とまったく矛盾しているわけではない)

ハルマゲドンに関しては、

「共産主義者,社会主義者,虚無主義者が人間の帝国を破壊する」「暴力的な社会革命」に

近しいものだと考えており、それをもって現存する諸制度が覆される、と考えていました。

(エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々 140ページ)

 

彼自身が信者達にどのような教えを説いたのか、

当時の信者達が何を信じていたのか、すべてを知ることはできませんが

 

初代は「エホバの証人以外の世界とその中にあるものすべてが滅ぼしつくされてしまう

とまでは考えていなかったのではないかと思われます。

 

エホバの証人によれば、初代の一派は、

「三位一体論」「地獄の教理」など従前のキリスト教の伝統的な教義は否定する一方で、

自分たちがグループ全体として選別されて1914年に天に召される恩恵を望んでおり、

未来に起きる出来事を「輝かしい希望」と考えていたグループでした。

 

 

エホバの証人が「ハルマゲドン」を「服従」という実質的な強迫として用いるように

なったのは二代目の会長就任以降と考えて良いかもしれません。

 

「ものみの塔」誌(英文),1925年7月15日号は(中略)こう述べました。

「このことからすれば,地上のあらゆる国民はサタンの指揮下で,エルサレム級,すなわち

主の側に立場を定める人々と戦うために集められることが分かる……」

(エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々 140ページ) ※1925年は終わりがくると予告されていた時期です

 

二代目

だれもがエホバの組織とサタンの組織のいずれかに属しているという」考えを信者に広め、

実質的に「自分達に属していない者はサタンの仲間であり神から断罪される」という脅迫

全人類に向けました

 

それから100年近くの間、エホバの証人は

「自分たちエホバの証人以外全員がハルマゲドンで滅ぼされる

と信じ込んで、子供たちや研究生に教えてきました(基準が曖昧だった時期はあるかもしれません)。

 

 

 

エホバの証人の教義の中でも特徴的なものは「祝祭日の禁止」と「中立の厳守」です。

これらの教義は、

「誕生日」「クリスマス」「正月」「君が代」「校歌」「運動会」「学級選挙」など、

学校生活におけるあらゆる活動・行事にも適用されてきました。

 

これらに関わる禁止事項を、2世の多くが自分の意思に関係なく押し付けられました

 

また、「私たちは世のものではありません」という理由により

流行りの娯楽すべてや、同世代の友達との交友をかたく禁じられたり、

親や組織に従わなければ「エホバにハルマゲドンで滅ぼされるぞ」と

脅しつけられました。

 

―――これらはすべて二代目会長から始まりました。

 

宗教2世被害の多くが二代目会長の主義・思想に端を発しています。

 

彼は、世界中の信者達が攻撃される状況を作り出しました。

 

・・・・・・

 

・・・・・・

 

・・・・・・

 

二代目会長は、ただ「自分たち」と「世」を切り分けるだけでは飽き足りませんでした。

 

 

二代目会長は、仲間であるはずの信者達すらも

「天に召される」「キリストの兄弟」の「油注がれた144,000人」

とそれ以外の「地上で永遠に生きる」「大群衆」区分しました。

 

 

 

聖書だけが真理の源だとするなら、この教えは背教です。

後者に与えられた希望は、聖書の解釈方法以前の問題で

聖書そのものには記されていない偽物の希望だからです。

 

 

エホバの証人は、自分達以前のキリスト教(主にカトリック)が成り立ちの段階から

「国政に関与した」「異教の要素を取り入れた」二点を背教だと断罪してきました。

しかし、これらは元々は

「国家の庇護を得て立場を盤石なものとするため」「近隣諸国の異教徒を引き入れるため」

という組織としての生存戦略の一環でもあり、とても長い年月をかけて形成されたものです。

「今現在」のキリスト教が国教として採択されていたり、三位一体を教えているという理由で

「今現在」の僧職者を背教の主犯者のように咎め立てするのは道理にかなっていません。

彼らはエホバの証人2世と同じく、教わったことを受け継いでるだけにすぎないのだから。

 

独断で聖書中に存在しない希望を信者達に押し付けた二代目とはまったく違います。

 

聖書的に言えば、

クリスチャンの救済にかかわる希望誤認させるのは、

それを信じてしまう信者を全滅させかねない行為です。

 

そしてこれは、ただ「盲人が盲人を案内する」たぐいのものではありません。

 

統治体」をはじめとする自称「油注がれた144,000人」は

聖書に明記された慣行を守り、聖書に明記された希望を抱いており

自分達だけキリストの適用したルールを当てはめているのです。

 

聖書の中で保証されている救済に至る条件を故意に独占した上で

ほとんどの信者達に対しては

「我々に忠誠に尽くすならば『決して死ぬようなことはない』」

と言っておきながらダミーの希望に誘導するのは

「背教」とかいう生易しいワードで済む問題ではないと思います

 

 

決して想像はつきませんが、

仮に二代目が、この「階級制度」を善意で思いついたのだとしても、

 

聖書中に書かれている「大群衆」は大患難を経験するグループだと明記されています。

二代目が1935年に「大群衆」だと言った世代のほとんどが亡くなっていますので、

彼の「大群衆」に対する定義づけが根本から間違っていたことは証明されています。

 

さらに、クリスチャンを二分し、

「組織全体の管理者/ルールの制定者」の資格を持つ者達と

「それ以外の全員」に分けたことは、

現在のエホバの証人を取り巻く諸問題に関わってくる

重大な実害を生み出しています。

 

 

・・・・・・

 

・・・・・・

 

・・・・・・

 

 

二代目は、信者から思いやりがあり親切で愛情深い気質と評されたとされる

初代とはまったく異なる人柄で知られていました。

 

今では信者が当時の歴史を学ぶ機会は減りましたが、

二代目は、他のキリスト教諸派に対して激しい怒りを抱いており、

他の宗教の僧職者というだけで「悪魔の代理者」とレッテルを貼り、

信者達にもキリスト教諸宗派を攻撃するように扇動しました。

 

二代目の体制下では、他の宗教に対する攻撃が、主要な目的となっていました。

 

二代目は、「聖書」や「ハルマゲドンの戦い」の裁きを脅迫として使用し、

服従するか否かの選択肢はない、と思わせました。

世界全体を、自分たち「エホバの組織」と「サタンの組織」に切り分けて

自分達以外の全方位に対して喧嘩を売りました。

 

そこで世界全体から敵意が向けられた時、信者達が攻撃の的となりました。

 

しかし二代目は、その信者達すらも、「自分たち」と「それ以外」に切り分けました。

 

これが現代の―――

―――二代目会長以降の「エホバの証人」の成り立ちです。

 

「エホバ」〝仕える〟のではなく、他者を貶めるために

「エホバ」〝使う〟団体になったのです。