【番外②】自分が中心に世界が回っているから「我々のことを悪く言うやつが悪いのである」後編 | 元J民の色々考察ノート

元J民の色々考察ノート

思うがまま好き勝手に考察を書いていきます

エホバの証人は自分達だけが神に選別された真のクリスチャンに該当し、

それ以外のキリスト教諸宗派は「雑草」、偽クリスチャンだと断罪してきました。

それだけではなく、自分達を除く〝間違った〟宗教全体と、諸国家がみな滅ぼされ、

この時に自分達に追従しない人間たちも、みな死滅させられると教えています。

 

つまり、エホバの証人だけが正しく、相反するすべてが悪であるということです。

この考え方は、どのような問題を生んでいるでしょうか。

 

エホバの証人は、事物の体制の終結、

つまり今の世界が終わって大患難が始まる時期について、

幾度も間違った予告を繰り返してきたことは有名です。

 

エホバの証人によれば、

エホバの証人の信者以外は、この週末を生き残ることができません。

その理論で行けば、

組織内で広まった偽の予告に失望して組織から離れていった人々は、

組織に戻らない限り、近い将来、存在を抹消させられることになります。

そのような人々に、エホバの証人はどのような態度を示したでしょうか。

判断を誤らせたことを謝罪したり、手を差し伸べようしたのでしょうか。

 

エホバの証人―神の王国を触れ告げる人々―

という書籍の第6部 28章には、このような文面があります。

 

「こう​し​た​試み​は​人々​を​ふるい分ける​こと​に​なり,

ある​人​たちは​小麦あおり分けるもみがらよう吹き飛ばさまし

 

(これは年代計算の誤り等に失望して組織を去っていった人達のことを指していますが、

   文脈的には、1970年代に「千​年​統治​の​始まり​に​関する​期待」​が実現​しなかったことで

   離反した人々のことを中心に言っているように思われます)

 

ここでいう「もみがら」とは当然のことながら

穀物の脱穀に伴い乖離される「不純物=ゴミ」を指しています。

(「聖書に対する洞察」という書籍では、もみがらについてそのように評しています)

 

終末の時期についての間違った情報を信じてしまい、期待を裏切られたことで

組織に失望したり、組織を疑うようになって離れていった人々のことを

「価値の無いゴミみたいな存在」

のように表現し、いなくなって良かったかのように言っているのです。

 

たとえ組織が終末の時期について間違った情報を流したり、

間違った情報の拡散を容認していたとしても、それが理由で組織から離れるなら、

その時点で、その人間が全面的に悪いのだ。と主張しているようなものです。

 

いかなる原因や事情があろうが関係なく

「自分達から離反し、反意を唱える者は無条件で『悪』である」

これが根底にある本質です。

 

この考え方が、日本の宗教2世問題に対する組織の対応に如実に表れています。

 

エホバの証人「ゆがんだ情報だ」 元信者らの輸血拒否やむち打ち被害証言に反論 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/233995

(東京新聞)

 

子どもへの体罰について問題を提起されたことに対するエホバの証人の組織の声明は

「組織に不満を持つ元関係者のコメントのみに基づき、

ゆがんだ情報や誤った結論が出されていることに心を痛めているというものでした。

 

この報道の内容に偽りが無ければ、エホバの証人の組織は、

むち打ちの被害に遭った子供達がいたことに対してではなく

自分達が非難されている と心を痛めています

 

被害者達が組織の中でどれほど酷い思いをしてきたか、より

組織が悪く言われることの方がはるかに重大な問題だと考えるから、

被害者達の告発は「組織に不満を抱く離反者の広める歪んだ情報」で、

その情報を広める報道が「ヘイトスピーチ」である、と反論するのです。

 

もしエホバの証人が、

「『私達』は神様に選んで頂きたいから、聖書に忠実に、真理にこだわり続ける

というスタンスだったら、

マスコミによって被害が大々的に報道される事態に陥る前―――少なくとも

インターネット上で被害を訴える声が満ち溢れていることに気づいた時点で、

公に謝罪するなり、当時の体制に問題があったことを正式に認めるなりして

組織として責任を負い、被害者と真摯に向き合うことで

事態がこれ以上に悪化することを避けるための適切な対応を取れたはずです。

失態を放置しておけば、組織や信者達の立場が悪くなるだけですし、

何より「エホバ」の不興を買い、捨てられることを恐れたはずです。

 

しかし、エホバの証人は統治体から

「『私達』は神に選別されている唯一の団体」だと教育されています。

自分達だけが絶対的に正しいという前提でしか物事を見れなければ、

「自分達から離反し、反意を唱える人間は、無条件で『悪』である」

こういう考え方しかできないので

 

我々のことを悪く言うやつが悪いのである

 

という稚拙な反論しかできません。

非を認めまいと意地になるせいで、

被害者達との間での関係改善の道を選ぶこともできず、

結果として組織と信者達の評判は悪くなるばかりです。

 

そして、これは被害者と加害者の二者間だけの問題ではなくなりました。

行政が公に動きはじめています。

これはエホバの証人が元2世に対して行ってきた色々なことが

日本における一般的な倫理観、道義的な基準を逸脱していることを証明しており、

組織に関わる人々は、当事者としてこれを深刻に考える必要があります。

 

支配者たちは、善事をする者には恐怖でなく、悪事をする者にこそ恐怖である。

あなたは権威を恐れないことを願うのか。それでは、善事をするがよい。

そうすれば、彼からほめられるであろう。

彼は、あなたに益を与えるための神の僕なのである。

しかし、もしあなたが悪事をすれば、恐れなければならない。

彼はいたずらに剣を帯びているのではない。

彼は神の僕であって、悪事を行う者に対しては、怒りをもって報いるからである。

だから、ただ怒りをのがれるためだけではなく、良心のためにも従うべきである。

 

ローマ人への手紙13章3節-5節 (1955 口語訳)

 

エホバの証人の組織にとって、宗教2世問題への対応に着手した行政の立場は、

キリストに抗おうとする地上の邪悪な政治体制なのか、

それとも悪事を行う者に対して怒りをもって報いる神の僕(しもべ)なのか・・・

 

後者であれば、たとえ本当にエホバの証人が神の是認した唯一の正しい宗教でも

この件においてキリスト様の庇護は期待できないでしょう