いきなりですが、僕が文章を書く上で大切にしていることが2つあって、タイトルと冒頭のつかみです。あなたがこの文章を読み始めたということは、僕のタイトルに惹かれたということです。初めの一歩クリアです。そして以下の段落は、このブログのつかみです。最後まで読んでもらえるように、あなたの心、しっかり掴んでいきますよ。そして、最後まで読んでくれたあかつきには~、あなたは、あなたの大切な人生の時間を失うこととなります。
さて僕は、以前にも2回Rushersのブログを担当したことがあります。その時の反響といったら凄いもので、コーチや部員や、スタッフにお褒めの言葉をいただきました。
監督が、真っ黒のサングラスをかけて僕の肩をがっちり抱えて莞爾としました。果たして何を咎められるのだろうとビクビクして、過去の過ちのアレヤコレヤがファンファーレの合図に合わせて、走馬灯いや、サラブレットのように一斉に中山脳内競馬場を駆け回りました。ネミーティングが2位のスカウトドコーリに三馬身差をつけてゴールインする、そんなさなかに、笑顔で「連載希望だよ」とおっしゃってくださいました。あぶねー。そしてありがとうございます。僕はなんてひどいことを想像していたのでしょう。監督はこんな影の薄い部員のことまでしっかり見てくれている、そんなことを思って胸のファンファーレが鳴り響いたのでした。
あ、しかし連載はありませんでした。
さて、僕がこのブログを書き始める1ヶ月前、周りの部員がソワソワしていて、わけを聞くと、「4年生ブログ、何書いたら良いかわからない」と言っているのでした。
続けて「田谷も担当から連絡来ているでしょ?他の人にも聞いたけど、全員連絡来ているっぽいよ」と言われましたが、
来てないです。だから他の部員と1ヶ月遅れでこのブログを書いています。
ヤッパリ影が薄かった、そんな僕のブログ始めまーーーーーーーーす!
閑話休題−−−。
僕はアメフトとは縁もゆかりものりたまもない半生を過ごしていて、そのままアメフトには触れることはないであろう人生でしたが、ひょんなことからアメフトに出会い、2年生の5月にASとして入部しました。そんな僕のアメフトとの出会いを語る前に、自分の半生を語らないといけません。
僕は、普通ではない家庭環境で育ちました。複雑で厳格で自分の意志など介入できないほど目まぐるしくて窮屈な。
普通とは何か、みたいなことを聞かれてもよくわかりませんが、少なくとも自分の中にある普通とはかけ離れていました。
そんな家庭で過ごしたからか、自分の選択は自分だけの選択ではありませんでした。ほとんどの選択を保護者が決めてそれに従うか、彼らの望んでいるような形を察してあたかも自分の意志を強く持って選択したと思わせるように仕向けるようにしていました。今まで本心だと思っていたことも、意外と自分の気持ちに「気を使う」という不純物が混ざっていたように感じます。意志と芯の通っていない選択に待っているのは決まって失敗でした。勉強でも部活動でも、最後に自分を成功に導いてくれるのは、(成功とまではいかなくとも、)やりきることにつながるのが、自分の、自分だけにしかない強い意志です。自分が大変な場面に直面した時、そこに自分の意志がないと最後まで粘り強く努力し続けることはヤッパリ難しいのです。「親に怒られないために」、「親の期待に応えるために」ほど脆くて自分を蝕むものはないと思っています。そうして薄っぺらく空っぽに生きた結果、平凡な僕に待っていたのはヤッパリ失敗でした。
自分の望むような成功体験はこれまで一回もありませんでした。ただの失敗であればまだよかったのですが、空っぽな失敗です。よく、失敗から学ぶ、と説いてくれる人がいますが、成功を知っているから失敗から学べる気が起きるのであって、失敗ばかりをしている人間に成功の味も教えないで、失敗の不味い味だけを舐めさせ続けて、どういう味だ?なんて詳しく聞いてくる、そんなの酷すぎる話です。失敗から学ぶことがあったとすればそれは自分の無力さとこの先の生活への真っ暗さです。
気がついたら、まるで大木の洞のように図体だけは成長していて中身が空っぽの人間になっていました。昔はよく、マジメで優等生かのように思われていましたが、それはただ、言われた通りにやることがうまかった、絶対に道を外さなかっただけの話です。それも自分の意志が弱いからできたことです。自分自身もそうやって周りの指示に沿って生きる方が楽でした。色んなことを考える必要がないですから。高校までは、失敗ばかりでも学校という環境に守られて、進学という明確なフラッグがあったから、自分に絶望しながらでも生きることができていました。進学ですら、世の中の流れとそうした方が良いという曖昧な価値観に身を任せただけなのだろうけれど。
そんな空っぽさが真に自分鋭く襲いかかってきたのが、大学生になってからでした。周りを見れば楽しそう。新しいことに、新しい遊びに溢れて溺れて、あたり前かのように、そして上手に羽目を外す様子に。
高校までは、欠席をしてはいけないそんな風潮だったのに、大学生になった途端、欠席は普通で、課題はひとに丸投げする、丸投げされたそのひともそれがあたり前かのように受け入れる。嫌な顔一つしないで。僕は同じような状況で「自分の快楽のために僕を使わないで欲しい」とか何とか言って、嫌われてしまいました。
周りが楽しいと思っていること当たり前と思っていることが、自分にとっては全然楽しくないこと、非常識なことの連続で、自分だけが間違っている、そんな世界にいるような気がして気持ちが悪かったです。
違いを認めて、他人を否定せずに自分を肯定するという高度な曲芸は当時の僕には到底できるはずがありませんでした。
この世界の異物感を感じて、生きてきた環境や経験してきたことの劣等感が重なって、自分をひたすら責めるようになりました。
そうして自分にとっては居心地の悪く疑問と自己否定に満ち溢れた初めての大学生活の一学期を過ごして、夏休みを迎える時には部屋から出ることができなくなってしまいました。1日のほとんどをベッドの上で浮かんでは消えるネガティブの泡沫を眺めながら過ごすことになりました。
夏休みが明けて、学校には行かないと単位は取れないし、今までかけた時間が無意味になってしまうことが面倒で、何より親に説明がつかないと思い、何とか大学に行こうとしました。そこで自分の心と体に大きな異変が起きていることに気がつきました。学校の最寄りの一つ前の駅を過ぎると決まって動悸、めまい、腹痛が自分の意思に反して起きるのでした。それでも何とか体に鞭を打って学校に行きました。大学生になって最初の1年間は、もしかしたらトイレに篭った時間の方が、友人と会話をする時間より長かったのではないかと思うくらい、気がついたらトイレにいるようになりました。学校の授業をこなすことに精一杯で、帰り道には全身の力が抜けて駅のホームに立ち尽くして力が抜けて呆然とすることも少なくありませんでした。
ここまで読んでいただきありがとうございます。長いし暗いし、アメフトどこいったん?と思っている方がほとんどだと思います。まだまだ物語の一端しかご覧いただいておりません。一旦、落ち着いていただいて。インターミッションということで。これからがこの文章の本番です。長い前振りをしました。次回、『田谷、アメフトに出会う』です。よろしくお願いします。
閑話休題−−−。
その当時、僕の心を安心させてくれるものは、深夜のテレビ番組でした。ある日、毎週見ていたテレビ番組を見終わり、睡眠の質もグチャにグチャになって眠れなかったので、ザッピングをしているとアメフトの試合放送にたどり着きました。その時の衝撃は今でも忘れられません。あるところでは大きいラインズがぶつかりあっていると思えば、またあるところでは綺麗にパスを投げている人もいて、あり得ないキャッチをしている人もいる。キックの時にだけ出てくる人もいて、「何だこのスポーツ」と、ワクワクしました。何より、10万人の観客も一体となって盛り上がるスケールの大きさに度肝を抜かれました。その日以来、アメフトの虜となり狂うようにのめり込みました。絶望的な学校生活でしたが、週に一回のアメフト放送だけが僕の生きがいで、それがあったからここまで生きてこられたと言っても過言ではありません。それくらいに僕はアメフトに救われていました。深夜3時にブレイディのパーカーを着て、サイダーとあんパンを手に、テレビの前で応援する。仮面ライダーに目を輝かせていたあの頃のように、「すげー」とか「かっこいい」とか呟きながら観るアメフトの時間が何よりの幸福になっていました。
アメフト部に入ると決意したのはコロナ禍になってからでした。一年生の二学期のテスト期間を何とか乗り越えて、コロナの拡大も相まって、相変わらず用がなければ部屋から出ない生活を続けていました。もうその頃にはアメフトに関わらずして死ねないという強い気持ちが芽生えていました。それまでの自分だったら、本当にやりたいことは胸の奥にしまって、いつの間にかその胸から消えていくことを待つのみでしたが、アメフトへの熱だけは冷める気がしませんでした。Rushersのサイトに何度もアクセスして、InstagramやTwitter、オープンチャットに何度も質問を送っていました。「未経験でもできるのか」「歓迎してくれるのか」「ASとは何か」とか。
「やりたい!」「僕でもできることがある」という気持ちと、「やっぱやめようかな。自分にできるはずないし」、「何せ親に言いづらい」、などのネガティブな自分の囁きとの一進一退の攻防が続きました。
そんな攻防が始まって1ヶ月が過ぎた4月の終わりに、気がついたらInstagramのダイレクトメッセージに「入部したいです」と送信していました。もうどうにでもなれというあの頃の狂気が最後に自分の人差し指を動かしたのでしょう。
なんとか親にも言いました。
「アメフトをやらせてください。お願いします」
と。
自分の意志がなく、周りの指示とか反応とかがなければ全く動けなかったそんな僕が、人生で初めて親に向かって自分の意志を示しました。
入部してからも、コロナ禍で2年の9月まで部活に全然いけなかったとか、やっぱり社会的コミュニケーションが苦手のままで3年生になっても同期としっかり話せなかったとか、未経験でASを担当することは到底簡単ではなく、最初の内は全く力になれなかったとか、そんな困難なことは相変わらずたくさんありました。それでも今までと違うことが一つだけありました。それは、アメフト部への入部は人生で初めて自分が、自分だけの判断で決めて始めたということ、でした。大変ではあったけれど、苦ではありませんでした。そこに強い意志と硬い芯があったから。
これは自分が始めた物語だから、最高の形で閉じられるように残りの期間を最後まで責任を持って取り組みたいと思います。
こういう部活動では、チームメイトやチーム、支えてくれた人のために活動するのが良いのでしょうけれど、まずは、これまで蔑ろにしてきた自分の幸せとか満足とか達成感とかを優先したい。申し訳ないですが。もちろん両方をこなせるのが一番ですが、僕にそんな器用さはありません。自分が思う最大の努力を以てした活動が、結果的にチームや支えてくれた人のためになっていれば幸いです。
皆様、そろそろ読むの飽きましたでしょ?なにより書いている僕が飽きていますから。自分語りが激しい人間って嫌われるらしいです。なのでここら辺で終わりにしたいと思います。入部してからの怒涛の日々とか、全く力になれなかった状態からチームメイトが信頼してくれる(よね?)までの過程とか、ハプニングとか色々書き足りないことがあるのですが。
最後に、この自分で書き始めたブログを少しでも良いなと思って画面を閉じていただいたのなら、皆様の大切な人生の時間を少し頂戴した甲斐がありました。
おやすみなさい。あるいは、いってらっしゃい。
担当:田谷皓平