こんにちは、4年DLの阿部瞬です。
今回は引退ブログということで、入部した時のことから振り返ってみたいと思います。僕がアメリカンフットボール部に入ったきっかけは高校時代に野球部で汗を流す中、近くで高校Rushersが練習しているのをよく見ていてかっこいいなと思っていたのが始まりです。僕のアメフト人生はL Bとして始まりました。しかし、たくさん練習して(今思えばあの頃は大して練習していませんが)、先輩からアドバイスを頂いてもなかなか上達しませんでした。
L Bでの最初の思い出は、1年生の8月くらいにほとんどのL Bが怪我をして初心者の自分がO vs Dのlive scrimmageに出場したことです。当時はほとんど経験も無いのにチームの大事な練習に参加して、とにかく先輩たちに迷惑をかけたくないという思いでいっぱいでした。2年生もL Bを経験させてもらって、同時にスペシャルチームで徐々に出場し始めました。大きな転換点になったのが3年生です。3年生からDLにコンバートして様々な経験を積みました。また同時に部活外でもお世話になっている先輩と出会うこともできました。
僕のアメフト人生で最も大きな出来事は春のオープン戦直前にポジションを変更したことです。開幕戦は明治大学との試合だったのですが、その試合の3週間前に怪我人が多発し突如DTを務めることになりました。しかし、急遽入ったポジションで芽が出てスタメンとして明治大学との試合に出場し、サックを記録することができました。その後もDTとして出場し続けて、春秋通して数々のサックやロスタックルを量産することができました。
これらの経験を経てこられたのも、たくさんの人に支えられたからだと感じます。その中でも特に古庄さん、平澤さん、同期、両親には感謝してもしきれません。
古庄さんには「心」の部分を一番鍛えていただきました。しんどい時こそ本当の自分が出るぞと教わり、その言葉を胸に日々練習を重ねました。この教えがあったからこそ秋の明治戦で残り0秒を守り切り、勝利をもぎ取ることができたと思います。また、古庄さんのスキームがなければ、自分がこうやって活躍することはなかったと確信しています。そして、仲間とsame picture を作りあげる楽しさを教わらなければアメフトの面白さも半減していたと確信しています。
平澤さんからはDLとしての全てを教わりました。というのも、平澤さんから教わったヒットがなければ今の自分はないからです。芝刈り機・芝食うのが仕事といじりも交えつつも、僕たちが最高のユニットになるために全力でぶつかってくださりその熱意に何度も心を動かされています。大学最後の年にこんなにかっこいい方と出会えて本当に幸せ者だなと思っています。
また同期のみんなにも心から感謝しています。僕は大学からアメフト部に入りましたが、一生モノの仲間ができたと勝手に思っています。個人的には引退した後も定期的に集まって飲みやゴルフコンペ、後輩の応援にみんなで行きたいと思います。
最後に両親には幼稚園の頃から続けたスポーツ人生を支えていただいたことに本当に感謝しています。何一つ文句言わずに、食事面、金銭面、環境面を何年もサポートしてもらえることは本当に幸せなことです。これからは、親孝行をたくさんすると同時に、自分が受けたサポートを自分の子供やこれから先の後輩たちにしていきたいと思います。長い間本当にありがとう。
これから先社会に出て苦しいこと、大変なことがたくさんあると思いますがこの4年間を思い出せば必ず乗り越えられると確信しています。この4年間は僕にとってかけがえのないモノであったと自信を持って言えますし、この仲間をこれから先も大切にしたいと思います。4年間ありがとうございました。そして、いつか僕がRushersを外からサポートできるように大きく成長します。
担当:阿部瞬
























































