今までの私はお母さんとして必死のあまり、
子供のやることなすことが「そんなこと」とくだらなく感じていて、
やることなすことが気に食わないわけです。
「そんなことやって何になるの」
「そんなことが今必要なの」
「そんなことより勉強(宿題)でしょうが」
「そんなことよりコッチやって。アッチやって。」
と。
馬鹿な事やってる。
何も役に立たないことばかりやってる。
きっと人生狂ってく。
そんな風に、闇雲に恐れては、頭ごなしに闇雲に否定するばかりのお母さんでした。
私ももちろん気持ちがよいわけなく、気持ちが安心しないから結局無意味に疲弊します。
3月2日に政府による一斉休校のお達しがきました。
反対派の方もいらっしゃったと思います。
(反対の理由は、準備不足ということも多いかと思います。いきなりお仕事の調整やら色々問題が何も解決どころか・・・という状態でいきなり開始でしたからね^^;)
ですが、私はとっても大賛成でした。
コロナに感染するかもしれないし、しないかもしれない。
後者なら安心ですが、前者の確率が少しでもあるなら、何としてでも子供の健康を守っていただける状況に
無理やりにでも置いていただきたいと思っていたので。
私たち国民の父か!?と思えるほど、あの時の安倍総理はキラっと見えました。(私の目には)
サッカー少年も、野球少年も、ピアノ女子も、英語キッズも、
他色んな子供たちが同じ条件の下で
「やりたくてもやってはいけない」という下でつまらない日々に封じ込められている。
わが子たちは普段は勉強を少しやっていたくらいで、
ほかに習い事などはしていなかったので、みんなと同じ条件であることから
「これは仕方がない」という気持ちでいられたのです。
久々に、「そんなこと」を最優先に暮らしてちょうだい!という状態に、
子供たちも困惑していましたが、なんかお母さんがピリついていないというのが楽しかったようで、
いつも親子で笑っていました。
私も、(そうだよ。元気なら何だっていいんだ)と思えたので、
今目の前で笑っているわが子の未来は、生きていること以上に何も案ずる必要がなく、
それでいい。それがいい。のオンパレードでした。
どこかから仕入れてくる情報(youtube)でやりたがる娘のリクエストにも応えましたよ。
フルーツ飴ってやつです。最後の洗い物に四苦八苦しました。
娘は「普通にイチゴ食べたい」って感想でした。。。。。(涙)
で、人として最低限のことは絶対にやるというくらいで、
あとは本当に自由に暮らしていました。
暇だと兄妹喧嘩をする日もありましたが、それも暇ゆえの産物です。
思う通りにならぬことを知る良い社会勉強。
理不尽を知る良い勉強だと、今回はあんまり仲裁に入らずどうにかしてもらいました。
だっていつまで続くか分からない休校に、最初から全力で子供の間に入ると後がもたないと思ったものですから。
結果、あんまり喧嘩しなくなりました。
基本的に妹は兄のことが大嫌いです。w
でも「ふーん。でも俺はすきやで。(棒)」というやり口を覚えた兄の成長はグッジョブでした。
暇がゆえに、口笛が少し鳴りました。
暇がゆえに、計算がめちゃくちゃ速くなっていました。
暇がゆえに、8歳がローマ字打ちでキーボードを打てるようになっていました。
暇がゆえに、絵が上手くなっていました。模写とか引くほどうまくなっています。
暇がゆえに、フーセンガムが二重に膨らませられるようになっていました。
他にもいっぱいできている「そんなこと」であふれています。
生きてさえいれば、健康であってくれれば、何だっていいやと思った3月2日。
思わぬ産物が、グチャグチャの家の中と、ボンボン出ていく食費と電気代と引き換えに
子供たちには届いていたようです。
兄は妹の家庭教師のようです。(なのに大嫌いとか言われて気の毒なお兄ちゃんです)
少し考えていました。
子供たちにとって、必要だったことは、お母さんが思う不安、心配からくる「そんなことどうでもいい」の中にいっぱいあったんだなと。
新型コロナ感染拡大防止策の中で、我が家では思わぬ財産を得た気がしました。
実は我が家は、学校に相談し、新学期より小学校が再開したのですが
自主休校させていただいています。
申し出があれば、学校も相談に乗って下さり、ご家庭の判断に任せますと受け入れてくださいました。
本来ならば、行政にて「感染をこれ以上拡大させないために今一度がんばろう!」と休校にしてくださることを
心待ちにしている次第なのですが、京都府はそうはいかず・・・
肺を手術した関係もあり、それ以上にわが子が心配だったこともあり、
自主休校させていただきました。
ですが、恐らく息子のクラスでは息子だけのようで・・・・^^;
『同じ条件の下』から、一気に『雲泥の差』になったのですが、
それでも私は変わりません。
今の辛抱がいつかきっと子供たちのためになると思っています。
そして、誰かのためになるかもしれません。
色んな判断がこれからは「自己責任」という名とともに課せられる気がしています。
私にとって大事なことは何かなぁと考えたことが、
誰かにとっては「そんなこと」かもしれません。
だけど、自分の中から出てきた「そんなこと」からは産物が出てくる可能性があることは
子供に学びました。つまり世界が広がるんですよね。
「絶対にこうすべき!」ということには、若干、世界が狭くなるのかもしれません。
考えを押し付けるとか、否定しながら意見を見聞きする心は捨てて、
今こういうご時世だからこそ、「そんなことから始めよう!」と思います。
小さな努力かもしれませんが、
想像力をたよりに、間違えたとしても取り戻せる範囲で、
命を守る選択を。
そして日々は笑って過ごせる範囲で、
がんばっていきたいと思います。
ご近所ぐるっと短いお散歩でみつけた名残のつくし。
ドレスみたいでこれもまたかわいいし綺麗だなぁとうっとりしました。
春でよかったと救われる瞬間でした。