◆弟が見たお母さんと私の関係 | ハッピーナビゲーター・カウンセラー 弓明子(ゆみあきこ)

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こんばんは、あなたの心を光の方へポンと飛ばす、 ハッピーナビゲーター 弓明子(ゆみあきこ)です。


「お母さんに復讐するためにうつ病になりました。」のブログへ



読者様複数から、

「私も復讐してたかも!!??これでやめられます、ありがとう!」

という、コメントをいただきました。

 

リブログ先でも、響いた方がたくさん。

 

もうそれだけで、書いた甲斐がありました。


このブログをきっかけに、復讐してたことに気づくと、その不幸を終わりにしていけますね。

やったね😁👍🏻

 

 

 

このブログを読んだ弟の視点がまた面白い。

ぜひ、読んでから戻ってきてください。


読んできました?

姉弟で、認識がここまで違うんですねぇガーン




えっと、あの、まずは前置き



前のブログ

お母さんに復讐したくてうつ病になりました


は、17〜8年前の母に復讐してやる!っていう心理の時の話なのね。


 

なので、現在の私の心の状態も認識もかなり違います。



ただ、ちょうど振り返りに好都合だったので、私の心の整理をしながら、いろいろぶっちゃけていきましょう。



とても長いので、面倒な方は、最後の方だけでも読んでみてください。




上差しまずはハグ問題
>ブログから引用
母はハグなんて絶対にしない人なので。  我々夫婦は子供たちに毎日ハグしているので、子供たちは実家に行くと母にもハグします。 でも母からは絶対にしません。 子供に聞くと、「ババはハグすると固まる」と言っていました。(笑) 

 


そうそう、ブログには、復讐していた当時の事(感情)を書いたのでその後の事は端折ってあるのですが、

ハグは無事にしてもらいました🤣


そのハグ拒絶から数年後、弟の仕事を手伝うためにさっちゃん(私も大好きな友人であり、信頼できる3in1のカウンセラーさんでしたがその後亡くなってしまいました。)が実家に行き、

 


「初対面の母とハグしてきた」




と連絡が来まして。


なんじゃそりゃーーー ムカムカムカムカムカムカ


と、当時、戦慄しました。

がしかし、母に言ったら、

 


母「できちゃった てへぺろ
(ニュアンスね、ニュアンス、こんな言い方はしません。)



、、、、なんだとーーー??

あの頃の私の苦しみを返せーーー ムカムカムカムカムカムカ



と、思いましたが、早速実家に行った時にハグしてもらいました。


ミッションコンプリート!!

 


思い返してみると確かにぎこちなかったですね。

父が亡くなった後の出来事なので、これもすでに10年くらい前の話です。


その時に、なんであの時(うつの時)はできなかったの?
と聞いたら、


母は、あの頃は、抱っことか、抱きつくような行為は、大きくなってからやるのは恥ずかしい行為だと思っていたので、拒絶反応が出たそうです。
→ターボの認識と同じ





上差し甘えられなかった問題
>ブログから引用 

あれ?でも、どこか記憶が違うんですよね。幼いころ、姉と一緒に母に抱き着いて甘えた記憶があります。

あーーー、これは、私にもあります。
ただ、弟と一緒に紛れて抱きつく分には大丈夫なんですけど、弟が満足して行ってしまうと、途端に引か剥がされました。順番待ってると触れもしなかった。
単独でもチャレンジしていましたが、記憶の中に抱きつけた記憶はありませんね。

小学校上がるか上がらないかの頃だと思います。

もっと幼い頃は違ったのかな?

 


>ブログから引用
もし「お母さん、ハグして」なんてお願いしたら、断られたと思います。 姉も聞かないで自分からさりげなくハグしちゃえばいいのにと思います。
 母は、甘えたいけど自分に甘えてはいけないと禁止した女の子なのです。



ハグのことは、幼い頃に教えて欲しかった🤣

 

または、うつ病発症した時に聞いてたら、また違ってたかもしれませんね。でも、当時の私では聞く耳もてなかったかも??
17年後に面白おかしくネタにしてるなんて、当時の自分は想像していませんでした。ほんと、復讐に気付いてやめられてよかった。


当時の自分に、「その闇抜けられるから大丈夫だよ」っとイメージを贈りましょう。




ただね、私は、幼い頃から母の反応に敏感でした。

 

手で振り払われた。

すっと体が逃げた。

びくっとした後、そっと握っている手を抜かれた。

 


こんな反応があるともう、怖くて無邪気に抱き着きにいけませんでした。なので、弟のように聞かずに抱き着く。は出来なかったと思います。

 




上差し母の愛情はあった問題

>ブログより引用
ターボが母に愛情を感じるところ
1、ご飯を作ってくれたこと。

2、おやつを用意してくれたこと。
3、世話を焼いてくれたこと。服をタンスに入れておいてくれたり、散らかしてものを片づけてくれること。 これが上位3つです。 書いているだけで温かい気持ちになります。 

 


実は過去、うつ病を繰り返していた時にもターボに同じことを言われたのですね。
でも、ここを感謝できなくて当時保留にしていました。



改めて、感じようとして、、、、、、



拒絶反応が出ました ガーンガーンガーンガーンガーンガーン



思い出す記憶はこれ。



私は母に無視をされるのがとても怖かったのですが、どんな無視だったかと言うと


私の存在はいないものとして扱われます。

声をかけてもスルー

何を言っても、文句を言っても無反応

ふいにぶつかりそうになっても、視線も合わせず、スーッと避ける


けれども、
食事は時間で並べられるのです。

洋服はタンスに仕舞われているのです。

お風呂も時間で沸いている。


だから、何日続いても、誰にも助けてもらえないし、間に入ってもらえない 
大体、私のメンタルが耐えられなくなって、折れていました。

最長1週間くらいだと思います。(数日になったのは大きくなってから)




これがまだ怖い えーんえーんえーんガーンガーンガーンガーン


そこへ丁度、飛んで火に入る夏の虫mamaマス主催、出版もしている友だちの子育てママ専門カウンセラー 福田とも花と話す機会があったので、ちょいと聴いてもらいました。

(昨日のとも花のメール講座にも書いてあるけど、こんな風に、お互いちょこちょこ励ましあいます。こんな自分の弱みをさらけ出せる仲間がいるって幸せだなって思います。)

 


「うんうん、それは怖いよぉー」


と、とも花にひとしきり心地よい相槌をうってもらい、


えーーーん 怖かったよぉーーーショボーン

透明人間になったみたいだったよぉーーーショボーン

陰膳みたいだったよぉーーショボーン

ホラーだったよぉーーーーえーん

 




と、涙を流し

やっと、思い出し怖いを昇華




改めまして、

 

うん、この3つは愛されてる証拠ですね。



あーよかった ️ドキドキドキドキ

 

クライアントさんたちには、うっすら幸せもうっすら愛情もカウントするんだよって、伝えてるのに、まさかの、自分のこれが手付かずだったとは🤣

これからはもうちょっと母に感謝できるようになりますね。

 



 

>ブログより引用

姉はピアノがやりたいと言って狭い家に高価などでかいピアノを買ってもらって、ずるいなと思った記憶があります。

 

これは「ずるい」にびっくりです。

我が家には、習い事を一つだけやっていいルールがありました。

母は自分が幼い頃に習いたかったバレエを習わせたがりましたが、私はピアノが習いたかった。

最初は、すぐ飽きるだろうからとオルガンを2年習い、もしも飽きずに続いたら、ピアノを習っていいという話し合いの結果、ピアノを習わせてもらいました。

 

で、これ、姉弟共通ルールです。

 

弟は、確か公文とそろばんを習ったんじゃないかな?

お金かからない習い事だな、私と違って偉いなって思った記憶があります。

弟も遠慮したのかな?気になりますね。

 

 

姉のほうが広くて二階の景色もいい部屋なんですよ。

確かに、18歳までこの部屋でした。

 

 

で、、、、、、えっと、、、、、、あの、、、、、、これ、、、、、、、

 

私の中では、父の愛情にカウントされてます。

 

会社で働いて稼いできてくれる父のおかげ


 

弟は、母なんですね。

そして、私は、母が男尊女卑を採用しているところが嫌でしたが、女の子だからと守られてる部分もあったんですね。


これは初めて知りました。


 

男尊女卑ではなく


一昔前の


男とは、女とは、というルールを採用していたんですね。




 

 >ブログより引用

姉と母はよく話していた記憶があります。姉はとにかくずっとしゃべっていたけどなあ。

 

しゃべっていましたね。

幼い頃は、母の暇を見つけては追いかけて行って話し掛けてました。

台所で料理する母の後ろで、ずっとしゃべってました。

料理をする母を見ているのが好きでした。

私が料理好きなのは、この記憶も関係していると思います。


(うつの時はこの都合の悪い記憶は吹っ飛んでましたよ。)





でも今は、私からは声を掛けなくなりました。



 

生まれてからどのタイミングかは分からないのですが、いつからか、母との関係性が変わってしまいます。


私の中で、


母が私の妹になり、


母と娘だったはずが、


妹と姉になっていました。



母も私を無意識で姉にして、依存していました。

母のすぐ上の姉が母から見た私によく似ていたそうです。(投影)


私が母に共依存をしていたのです。

(うつの時は依存に回ろうとしますが、失敗しています。)


この関係性に気づいて、解消するために

母にはお姉ちゃん呼びをやめてもらいました。



私は母の役に立とうとするのをやめて


母の愚痴を聞くのをやめ

母の悩みを解消するのをやめ

母のできないことを肩代わりするのをやめ

自分を後回しにして母を喜ばせようとするのをやめました。



やめてみて気づいたこと



私は母と好みが合わないのだということ。


私が好きな場所を母は喜ばないので、母の行きたい場所に旅行に連れて行っていました。(旅費は私)


私が助けないとと思っていましたが、

母は私が助けてくれないとわかると、他の人に頼んでいました。


母以外に助けてもらえないのは、幼い頃の私で、

母は大人なので、私が助けてあげなくても、大丈夫なんだということに気づきました。



うつ病に関しても、

人間関係の悩みに関しても

子育ての悩みに関しても

夫婦の悩みに関しても

仕事の悩みに関しても


私は、母とのトラウマばかり影響しています。

母との関係性は何度も何度も見つめなおしてきました。




 
   >ブログから引用
(母親は)愛情がないわけじゃないどころか、自分から見ると、母は愛情に溢れた人だと思います。(笑) もちろん姉に対しても。




そうそう、だから、

「あなたの望むような母親の愛情をお母さんに望むのは諦めなさい」 


 なのです。


私が母に望む愛情は


私が困った時に一番の味方になってくれること

私を盾にして逃げるんじゃなくて

私の盾になって守ってくれること

ハグや言葉で愛情を伝えてくれること
女だから男だからと差別しない

弟と同じようにやりたいこと(進路)を応援してくれる


そういう母親の愛情が欲しかった。



でも、母はそういう愛情は、出せない人だった。

我が家のルールと私のやりたい事柄もあわなかった



それなのに、



なんとかして、母を自分の理想の母親にしようと、あれやこれやと病まで使って頑張っていたのです。




  
>ブログから引用
 甘えても拒絶されたという話は、長子あるあるですね。 姉がそう感じたとき、母の中の甘えてもいい子供の年齢を越えちゃっていたのでしょう。


これ、ほんとに長子あるあるなのですが、長子の場合、下の子の年齢よりも早い段階で、母親の甘えてもいい子供の年齢を越えます。


原因は、親の「お姉ちゃん・お兄ちゃん」呼びだと思います。



これは私に限ったことではなく、
私のところには長子の方が多くご相談にいらっしゃるのですが、
「自分は下が出来た時点で、我慢させられたのに、末っ子はいつまで経っても甘えても怒られない」 

この不満多いです。

姉妹や親子(注)で、ご相談にいらしてくださる方もいるのですが、やっぱり、甘えていて怒られない年齢の限界は上の子の方が早いです。

(注)セッションは別々です、ご家族の変化を見て、自分もといらしてくださるパターンのご紹介が多いです。



  >ブログ引用
あと、親子の相性もありますね。 母は家族の中で一番頑固です。 それは姉と同意見。


自分も小学生のときに母にいくら説明してくれても分かってくれなかった記憶があります。 お母さんが頑固になる話題のときは無理だ、と考えたのだと思います。 


自分は男ということもあり、分かってほしいはそれほど強くなく、その後にまた頑固な母とぶつかることはなかったと思います。多分。 姉は女だから分かってほしい気持ちが強いのでしょう、あきらめずに母に分かってくれ突撃を繰り返していました。    



これは諦められたターボが羨ましいですね。

母を私好みの母親に変えたかった。

分かって欲しかった。


これを手放すのにほんとに時間がかかりました。




で、手放したら、好きでも嫌いでもなくなっちゃったんです。


あんなに渇望してたのに

あんなに大好きだと思っていたのに



母はあのままのキャラなんだって受け入れたら、母への強烈な思慕がスーッと消えていったのです。





>ブログから引用

私のことは邪魔だと思ってるでしょ?

お父さんとターボと3人がよかったんでしょ?  


これ、笑いました。同じことを思っていたからです。



(笑)(笑)(笑)

姉弟で同じように羨ましかったって、

どっちも、もっともっと親の愛情を独り占めしたかったのかもしれないですね。

もっともっと、楽しい幸せな時間を過ごしたかったのかもしれないですね。




私も3人の子育てをしていて、


子どもたちって「お母さん」のこと大好きだよなって、思います。


母親って、ただいるだけで、子どもに無条件で愛される存在



この世で一番恵まれた、最高に幸せなポジションだと思います。



こんな風に思えるようになったのは、

うつ病を経験して、自分ととことん向き合って、たくさんの気持ちを昇華してきたからだと思います。





>ブログ引用

 姉はよくしゃべるので、家族団らんの中心的存在でした。   とにかく、姉は優等生でした。 両親もそれを自慢にしていました。 


特に母親は勉強ができなかったので、「明子は成績がいい。誰の子かしら」と嬉しそうに言っていました。 


はい、そういう時もあったし、

母は勉強ができなかったコンプレックスから、

母も勉強が出来るんだろうと期待されることを嫌がりました。


目立ったり活躍しても、母親の自分も出来ると誤解されて引っ張りだされることを嫌がりました。


私はそれを、


母の一定の枠を超えると怒られる。


と、認識していました。



(母の姉がリーダー気質でとても優秀だったために、母も先生方に勝手に期待されてはガッカリされたトラウマが刺激されたそうです。)




>ブログ引用

中学、高校と姉と同じ学校に通いましたが、「明子さん伝説」が残っているんです。 姉と同じくらい優秀にならないとというプレッシャーは常にありました。 


明子さん伝説は知りませんでしたが、先生たちからは、とても可愛がってもらいました。



家族からそう見えていたなら、母が姉を投影して反応したのも、仕方ないですね。 





と、、ここまで答えてきて、、、、、



あーーー滝汗滝汗滝汗


自分の都合のいいようにこんなに記憶を改ざんしてたのかぁーーーガーンガーンガーン




濡れ衣着せてごめんなさいって、お母さんに謝るかなぁーー




と思っていたら、





モヤモヤして、否定したい自分がいました。




誰に否定したいんだろう?

誰に違うって分かって欲しいんだろう?


と、感じていたら、



私が私に叫んでいました。





ねえ、私の気持ちわかってよ


お母さんに謝る前に

私の気持ちをわかってよ


ねー、私、


辛かったんだってばぁ


苦しかったんだってばぁ


助けて欲しかったんだってばぁ


やだったんだってばぁ




私のこともっと大事にしてよぉ




やだよぉーー

苦しかったよぉーー


だって やだったんだってばぁ



やだって言ってよ


無理って言ってよ


お母さんがわかってくれなくていいから


そこで泣いていてよ


私はあの時、もっと泣きたかったんだってばぁ


怖くて死んじゃいそうだったんだってばぁ


お母さんの返事なんかどうでもいいから


もっとちゃんと泣いてよぉ






結局、私が分かって欲しいのは、自分自身でした。



心と向き合っていくと、必ず、自分に帰ってくる。



お母さんも、ダミー



どんな時も、どんな状況でも、

私が私の一番の理解者でいることが、私の一番の欲求であり幸せ





たくさんの心理学を学び、分析して理解しても、結局はここに行き着くなぁと、思います。




母に対して、自分に都合よく改ざんしてることに気づくチャンスをくれた弟に感謝です。


 



次は弟の父への復讐編


こちらも姉から見た父と弟について検証してみますね。



とっても長いブログをここまで読んでくれてありがとうございました。



何か、あなたの気付きに繫がりますように






追伸


もう少し自分の気持ちに寄り添って満たされたら、母とまた、おしゃべりしようと思います。

その時に、感謝を伝えられたらいいですね。


とは言っても、この間、うちのコンの話を電話でしたばかりです。



母を以前のように(熱烈に)好きでも嫌いでもありませんが、今は仲違いをしている訳ではありません。




先行募集に日々のあれこれ呟いてます。




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次回は
8月1日20:30〜22:00
9月5日20:30〜22:00
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