千葉県市川市八幡、冨貴島小学校近くにて「こうのピアノ教室」を主宰しております河野敬子です😊
ご覧いただきありがとうございます♪
今日は自分自身のピアノ歴を振り返りたいと思います。
アラフィフのただの街のおばちゃんピアノの先生の歴史に、誰が興味あんねん‼︎笑 と自らツッコミつつ🤣
でも私のしくじりピアノ人生が、もしかしたらどなたかの参考になるかもしれない?!と思いつつ🤣
もし超お暇でしたら😂どうぞお付き合いください✨
私の最初のピアノに関する記憶は3歳の頃、母に
「ピアノとバレエどっちを習いたい?」
と聞かれ即答で「ピアノ‼︎」と答えた事を覚えています。
なぜ即答出来たのかというと、その少し前にピアノのある親戚の家に遊びに行き、生まれて初めてピアノを弾かせてもらったのですが
その時「わたしピアノひける!」と何故か思った事をハッキリ記憶してます。
その時弾けると思って弾いたのが、童歌のおちゃらかほい。
3歳でピアノに初めて触れたのに、何故かおちゃらかほい、のメロディがソラソソソラソソソラソソラで
左手の和音がラドミなことが分かったんです。
俗に言う絶対音感が潜在的にあったということですね。父も母も絶対音感などありませんが、隔世遺伝なのか?不思議です。
さっそく両親は↑のような猫脚木目調のヤマハピアノを買ってくれて、父の転勤先で当時住んでた仙台の、ヤマハ音楽教室幼児科に入れてくれました。
幼児科のグループレッスンは楽しい記憶しかなく、和音をドミソとかシファソとか音当てをさせられるのですが、私が全部最初に答えてしまうので先生からは
「敬子ちゃんは黙ってて」とお達しが🤣
その後また転勤で幼稚園年長から川崎市宮前区に引っ越しましたが、そこでもヤマハに通いました。
何と年長さんだったのに一人で電車に乗って隣の駅まで通ってました🤣
昭和だわ〜ネグレクト‼︎笑 今じゃあり得ない😂
妹が難病で母がそれどころじゃなかったんですが、そのくらい私のピアノに両親共に関心がなかったんですね。親が無関心だったのでずっと楽しくピアノが出来たという一面もあります。
勿論うちの教室も最初から付き添い無しでも大丈夫👌
↑こうのピアノ教室の方針とレッスンの進め方を記事にしました😊
川崎のヤマハでも先生方からスター扱いされ、ジュニア専門コースに行った方が良いと勧められ、グループの他に個人レッスンも年長さんから始めました
初めての発表会で弾いたのは「人形の夢と目覚め」
6歳初めての発表会、武蔵小杉の文化会館だったなぁ
古いし昭和過ぎる🤣
幼稚園にもピアノが置いてあり、皆で季節の歌を沢山歌いましたが「小さい秋見つけた」とか先生の伴奏を耳コピですぐ弾いてました。
当時流行りの聖子ちゃん明菜ちゃんの曲もベストテンを見ては何でも耳コピ👂
ピアノのテキストはあまり練習せず楽しくそんなのばっかり弾いてました。
だから今も練習しない生徒さんを叱れません!自分もしなかったから笑
耳で聞いて弾いちゃうので楽譜は全然読めなかった🤣
そんな私に卒園の時、園長先生が
「立派なピアニストになってね✨」と声を掛けて下さったのを覚えています。
アラフィフの現在、結局ただの街のピアノの先生なのですが😂それは置いといて笑
とにかく耳だけは良いと自信満々の幼稚園時代でしたが、今度は父の実家であり今まさに「こうのピアノ教室」がある千葉県市川市に引っ越す事になりました。
ここで自信満々だった私のピアノ人生で、初めての挫折を味わうことになります。。
その2に続く‥
まだ続くんかい‼️
誰が興味あんねーーん‼️🤣🤣
続きです↓
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