出産予定日から2週間遅れ。
早生まれの未熟児。
祖母はいらついた。
実の長男の長男の理想とは違ったのか
叩けるところを見つけたのか。
できない、遅い、育てが悪いと
いちいち母を責めたてた。
同居しているわけでもなかったのに。
一度の流産の末だったのに。
私は物心ついた時には既に
些細なことに泣きだし
度々酷い鼻血を流し
連夜の夜尿症が止まず
いつも自信がなかった。
小学校高学年までずっと。
父母はなんとかしようと試みた。
小学生でサッカークラブに入れられた。
体が小さく力も弱く
争い事を好まない
内向的で運動が苦手な私は
試合に出される度に
なぜあいつを出すのかと
皆からあからさまに罵られた。
コーチは替えろと訴えられていた。
試合になど出して欲しくなかったが
コーチとしては預かっている手前
嫌でも機会を設けなければならないのだと
その立場を理解して黙って耐え忍んだ。
そろばんも書道も習わされた。
サッカーもそうだったが
何のためにやっているのか
全くわからなかった。
いつも好き嫌いや意志に関わらず
「ためになるから」
「みんなもやっているから」
と決められた。
いつしか、そろばんと書道は
道具入れを持ったまま
通わず遊び呆けるようになっていた。
父母は理由を問うこともなかった。
ある時
母が友達を家に招く前に
「お母さんがタバコを吸っていることは
しゃべったらいけないよ」
と珍しく話しをした。
「ゆびきりげんまん」
をさせられた。
母の友達が来て
特別な記憶付けの衝動に堪えられず
「お母さんタバコ吸ってるんだよー」
と悪気なく話してしまった。
母の友達が帰った後
黙って顎を掴まれ
頭を持ち上げられ
開けられた口から
喉の奥底に向けて
大きな針を突っ込まれた。
「約束したよね」と。
「何本飲ませようか」と。
目を剥いて睨みつける
鬼の形相とはまさにそれだった。
泣き喚きながら謝り続けた。
うちにもやってきた
団地からの脱出
父母の憧れのマイホームへの引越し。
小学5年だというのに
その意味がわからなかった。
マイホームに着いて
今日からここで生活だと言われて
団地にはもう戻らない
友達とはもう会わない
ことに初めて気がついた。
けれど寂しいという感情はなかった。
友達はいたが
友達の意味はわからなかった。
友情の意味がわからなかった。
父母はいつもこども達に
何も説明をしなかった。
父も母もこども達と話をすることは
ほとんどなかった。
父と母が話をしている記憶もない。
団地住まいの頃
食卓の上を数々の食器が飛んだ。
母は父に何かを叫んでいた。
幼い私は家を飛び出し
隣の部屋の老婆に
泣き叫びながら助けを求めた。
団地住まいに
楽しかった思い出は
今も
ひとつたりとて見つけられない。
今日もありがとうございます。