そんなふうに言われたら、
さっきまで、怒りまくっていた人が
急に、にやけてしまうかもしれない。
それほど、私たちは、自分を認めてもらえることが嬉しいと思う。
ただ、やっかいなのは、この世が、陰陽一対のしくみになっていると言うこと。
承認欲求の存在は、自分を認めてもらうために、自分以外の人を見下したりすると言う、傲慢な自分を創り出してしまう。
承認欲求を持つことが悪いとか、傲慢なのは良くないとか、そういうことではなく、人として生まれてきたなら、当然持ってしまうモノ。
ただ、霊性進化をしたいと望む場合、どうしてもこの承認欲求は超えたい。
私はまだ、ここを超えていないから、超えた時、どんな世界が観えるのかはわからない。
でも、確かなのは、『自分が自分の存在を完全に認めるコトができた状態。』になっていると言うことは、わかります。
『承認欲求を使った幻想世界を創造しない』 と、決めたことで、承認欲求の炙り出しが起こりました。
でも、承認欲求は、バームクーヘンのように、何層にも重なっていて、ちょっとやそっとでは手放せない。
逆に言えば、それほど、私は私を認めることができていない。
『承認欲求を使った幻想世界を創造しない』 と決めたら、即、承認欲求が無くなると思いたいですが、そうはならない。
『承認欲求を使った幻想世界を創造しない』 と決めたら、そこに至るまでのプロセスが開始されます。
私の内側の奥底に、どんな承認欲求があり、どれほど深いものなのか、私にはわかりません。
だから、外の世界と言う鏡を使って、私の知らない私を観るしか方法がありません。
と、言うことで、今日の私の出来事で気づいたことがあったので、全くの個人情報駄々洩れですが、お話しさせてくださいな。
今日、母の部屋に行ったら、急に
「これを写真に撮って、90歳になった人でも、こんな作品が作れるんやって、ひろこさんや、職場の人に見せてよ。」
そう、母が私に言うんです。
「これ」 と言うのは、
これのことで、布を使って母が作った物です。
私は、めんどくさいし、そんなことしたくないと思いました。
だから、その時は、
「はい、はい。わかった。わかった。また、ひろ子さんを直接連れて来るから・・・」
と、言葉を濁して、もちろん写真も撮らずに、苦笑いしながらその場を立ち去りました。
そのあと、私は家の掃除をし、玄関のレイアウトを、下の写真のように変更しました。
母が、私たちと夕食を食べに来るとき、必ずこの前を通ります。
母は、私がこの場所を季節によってレイアウトするのを見て、いつも綺麗だと言ってくれます。
だから、夕食を食べに来たら、きっとこのことを話すだろうと思っていたら、全くその話しはなかったので、母が部屋に帰ろうとした時に、
「玄関、見てくれた?」
そういうと、「」
だから、一緒に玄関に行きました。
そして、「綺麗やなぁ~」と言いながら、「明日の昼間に写真を撮るわ。」そう言いました。
もちろん私は、満足しました。
でも、
え これって、私
母は、自分の作品を写真に撮ってと言いました。
だのに、私は、母の欲求を満たしてあげることをしませんでした。
自分にないモノは、与えるコトができません。
いわゆる、枯渇状態です。
母の欲求を満たそう。
そう思い、さっき母の部屋に行き、写真を撮ったら、嬉しそうにしていました。
『自分で自分を認める』
簡単そうで、これは結構難しい。
母との会話の時、「めんどくさい」が、発動していました。
だから、その「めんどくさい」から意識を反らすのを止めて、写真を撮ると言う行動に出ました。
もちろん、ひろ子さんにも職場の人にも、そんな話しをするタイミングがあった時には、写真を見せてあげようと思っています。
と言うことで、
みなさ~ん 90歳の母ちゃんが作った作品、素晴らしいですやろ
画面の向こうで、凄いなぁ~って言ってやってくださ~~~い