映画「陰陽師0」を観てきました! | 占いworld♡エンタメ部

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ネタバレ全開ですので、ご注意ください。

「陰陽師0」は、若かりし安倍晴明の物語。占いに携わる人間として安倍晴明は避けては通れない人物と個人的に思っております。

 

「陰陽師0」の感想を一言で言うと、映画予告にもあるように呪術エンターテイメント!とーっても面白かったです。占い好きな人はもちろん、陰陽道は道教の影響が色濃いので、魔道祖師が好きな人も存分に楽しめる映画だと思います。安倍晴明は伝説てんこ盛りの人で、史実と伝説がごちゃまぜになっている感が強いですが、この映画は純粋にエンタメとして楽しむことをお勧めしたいと思います。

 

 

さて、ここからネタバレしますので、鑑賞予定の方は回れ右してね。「陰陽師0」は事前に内容を知らない方が楽しめると思います。

 

 

上のようなA5サイズのカードをもらいました。新しい「呪(しゅ)」と清明と博雅の「はじまりの物語」とありますように、「呪」の捉え方が非常に面白かったです。「呪」と「占い」の考え方については後で感想を述べますが、まず私は言いたいです。博雅って本当にいい人です!清明が主役ですけれど、博雅なくして清明はありえないと思わせるとても素敵な人だと思いました。

 

学生清明は才能に満ち溢れているのは間違いないのですが、超生意気な人間です。上におもねることなど一切なく、我が道を行くところは魔道祖師の魏嬰に似ているような気もします。でも魏嬰のような愛嬌はありません。呪いに見せかけた殺人事件が起こり、それを解決していくのですが、清明が亡骸を検分している様は陰陽師より検死官?と思いました。呪術に長けているリアリストという印象でしょうか。

 

一方、博雅は貴族に臣籍降下していますが、元は皇族。陰陽寮在籍の人々にとって博雅は帝につながる重要人物。なので下へも置かない対応です。清明はそんな博雅を平気で足蹴にします。普通の貴族なら烈火のごとく怒るでしょうが、博雅はそうではない。清明に「失礼な奴だ」ぐらいのことは言いますが、鷹揚な態度でさほど気にしません。

 

博雅は伊勢の斎宮を務めた皇族の姫で、自身の従兄弟である徽子女王(よしこじょおう)が好きなのですが、帝の恋文を徽子女王へ届ける使者となります。ここで色々とひと悶着あるのですが、徽子様に告げる言葉がとても素敵なのです。ここの場面は是非実際にご覧頂きたいと思いますが「私は笛を吹ければひとりでも幸せです。徽子様も琴を弾いている時はそうではないですか?」多少セリフは違うかもしれませんが、そのようなニュアンスの言葉を徽子女王に投げかけるのです。好きな人を我がものにしようとするのではなく、相手の一番の幸せは何かを考えて行動する素晴らしい人だなと感じました。

 

そんな博雅だからこそ生意気の塊みたいな清明が、最後には「お前はいい奴だ」と言うに至ることになるのではないかと思うのです。だって、本当にいい人なんですもの、源博雅!

 

さて、この映画の本題とも言える「呪」と「占い」の捉え方について書いてみたいと思います。

 

「呪」は暗示あるいは催眠術で意識に働きかけます。意識でも無意識への影響で、暗示を受け取ることにより現実に反映するみたいな感じです。「事実と真実」との言葉を清明が語る場面があるのですが、真実は主観の入ったもので、人により真実は異なります。一方、事実は客観的な事象ということなのかと思います。

 

この映画のバトルは無意識界で行われます。無意識界でなされたことが現実となるというスタンスのようです。思考は現実になる、引き寄せの法則とも類似しているかもしれません。

 

映画内で「つながっている」とのフレーズが出てくるのですが、これは無意識界でつながっているとの意味かと思います。顕在意識はほんの表面部分のみで、意識のほとんどは潜在意識下にあります。通常は眠っている無意識や潜在意識を操れるのが優れた陰陽師であり、安倍晴明はそれができる天才という位置づけなのだろうなと思いました。

 

次に「占い」の捉え方です。陰陽寮は占いを駆使して都を運営していく官庁で、占いがお仕事です。映画全体のメッセージとして「意識が大切」と言っているのかなと思いましたし「占い」は怪しげなまじないではなく、技術や技能として捉えてる気もしました。ただ、安倍晴明が「占いは統計学」と言っていたのにはかなり違和感がありました。客観的な事実と主観的な真実を語る清明のセリフと矛盾している気がするのです。技術、技能だとしても無意識界に働きかける時点で客観的事実とは異なるように思うのです。一方、統計学は緻密に事実を積み重ねて分析する学問とのイメージを私は持っています。

 

統計学のwikipediaの説明を読んでもよく理解できなかったので、それこそ私の主観でしかないのですが、事実を積み上げて分析する学問の統計学と占いは全く別物じゃないのかなと考えています。なぜなら占いは事実ではなく、象徴や兆しを読もうとするものだと思っているからです。象徴や兆しを事実に当てはめていくので、統計学的に使うこともあるのかもですが、統計学とは根本的に違うのではないかと思うのですよね。とは言え、そもそも統計学が何かが分かってないので、統計学に詳しい方にサルでも理解できるようにわかりやすく教えて頂きたいなぁと思っています(笑)

 

【追記】・・・・・

統計学についてChatGPT(無料版)に質問してみました。私の質問と回答をそのままこちらに転記します。

 

質問:統計学とはどのような学問かを教えてください。7歳の子供が理解できるようにわかりやすく教えてください。


回答:統計学は、数字やデータを使って世の中のことを調べたり、分析したりする学問です。例えば、あるお店が何個のりんごを売ったかや、学校のクラスで好きな色が何%かなど、色々なデータを集めて、それを使っていろんなことを考えるんだよ。
たとえば、統計学を使って、ある病気がどのくらいの人に影響しているかを調べたり、選挙のときにどの候補者が人気があるかを知りたいときにも役に立つんだ。統計学を使うと、たくさんの情報の中から大切な情報を見つけることができるよ。

【追記ここまで】・・・・・

 

些細な違和感はあるものの、映画そのものはとても面白かったですし、観に行けて満足です。たくさん映画を観ている訳ではないですが、山﨑賢人は映画の出演率が高い気がしますが、これも私の主観なんでしょうね。主演が多いのでそう感じるのかな?「キングダム 大将軍の帰還」が7月に公開予定で、観に行く気満々なのでそのように思うのかもしれません。「キングダム」も大好きなので公開が今から楽しみです♬