ケアーマネージャー通称、ケアマネのYさんから連絡があった。母の住まいから車で15分程の
 場所に、これからオープンするデイサービスがあるので見学をしてはどうか?と言う話しだった。
 ここは、ただご老人を座らせておく従来のディサービスと違い、いろいろな運動器具を使い
 身体を鍛えていく積極的な所だと言う。   
 先日、母を他のデイサービスデイに連れて行った私は少し慎重になりながらも、身体を動かす
 ディサービスと聞いて、まだまだ活動的な母にはピッタリではないかと思った。
 さっそくYさんに教えてもらったデイサービスを私一人で見に行く事にした。
  そこは、大きな屋敷を改造した素晴らしい和風作りの家だった。庭も手入れが行き届き、大きな
 植木が並んでいた。広めのウッドデッキには長椅子が置いてあり陽だまりの中でゆっくり
 時間を過ごす事が出来るようだ。
 建物の中に入ると、そこには数人の若い従業員の方がいた。まだ、オープン前と言う事で何箱も
 ダンボールが積まれていて、新築の様な新しい匂いがした。
 所長と名乗る大柄の男性が、名刺を差し出しながら説明を始めた。

  こちらのデイサービスは、ある大手電気会社の子会社が運営しているそうだ。
 広々としたリビングに3つの丸いテーブルが置かれている。ここはお茶を飲んだりする場所で好みの
 飲み物を出してくれる。メニューまであり、緑茶、紅茶を初め冷たいジュースなど豊富にあり、
 いくら飲んでも皆無料との事だった。テレビを観たり音楽を聴いたりする時はフカフカのソファが
 置いてある場所に移動する。そのソファの下には足のマッサージ機械と足浴の入れ物が
 並べられていた。
 壁際のじゃまにならない部分に足腰を鍛える運動器具が幾つも置かれている。数えても大きい物は
 4つ、小さいものでも4つある。マッサージー用のベッドの他休憩用のベッドもある。
 リビングの隅には2つほどドレッサーの様な洗面台が置かれており、目の前のガラス棚の中には、
 その会社が売り出しているお肌を若返らせると評判の美容器具も置いてあった。
 電気会社が運営しているから、器具は全品その会社の物であった。本当に素晴らしいと
 私は思った。ここなら母もきっと満足するのではないだろうか?
 ここで働いている方々は、どうであろうか?母の事をどういう風に介護してくださるのだろうか?
 一日のうちの数時間だが、母がここに来る事を楽しみにするだろうか?
 いろいろ考えてみたが、まずは一歩進まないことには何事も変わらない。
 私は、ケアマネのYさんに母に一度見せて、もし気に入ったらオープンしたらすぐに
 ここに入りたいと返事をした。
  デイサービスに連絡し見学させてもらう事になった。
 「あのね、ママと同じ歳くらいの人達がね、お茶飲んだりおしゃべりしたり
 楽しく過ごす場所があるのよ。」
 軽く私は、母を誘った。
 「えぇ?何よ?それ。私は行かないわよ。」
 わかっていた事だが、即答され断られる。
 母は新しい人間関係を始める事など、もう面倒くさくて仕方ないと言う。
 さらに、そんな年寄りばかりが集まる場所にどうして自分が行くのか、と憤慨する。
 それでも私はあきらめず、お昼ご飯を一緒に食べようと、その近くの和風レストランに誘った。
 「ねぇ。話しの種に見に行ってみようよ。すぐこの近くにあるんだよ。」
 お昼を食べてご機嫌になったのか、母は渋々了承した。

  そのディサービスは、住宅街にある普通の家だった。
 「こんにちは~」
 ドアをノックすると、中から愛想の良さそうな年配の女性が出て来た。
 「先ほどお電話した者ですが、見学に来ました。」
 母と一緒に中に入る。
 通されたリビングルームには、大きなテーブルが真ん中にあり、二人のお年寄りが
 向かいあって座っていた。その隣の部屋は八畳くらいの和室だが、やはり真ん中に大きな
 テーブルがあり、それを囲むように四人のお年寄りが椅子に座っていた。
 お手伝いをしている方は全部で五人。皆お揃いの青いエプロンを着けている。
 お年寄り達は誰かと話しをするでもなく、自分の前に置かれたお茶をすすっている。
 聞くところによると、皆は母より上で、80代、90代の方達だった。
 どちらかと言うとスタッフの方が母の年齢に近い感じがした。

  ちょうど壁時計が二時の時刻を知らせると、お年寄りの前に紙と鉛筆が配られた。
 1+2= 3+2=と10個くらい数字が並べられた計算問題だった。
 「どうぞ、こちらに来てご一緒にやってみてください。」
 一瞬、母の顔が歪んだのを私は見逃さなかった。
 母に椅子を勧めてくれるが、母は、顔の前で手を振り、けっこうです、けっこうです
 と強く拒否した。
 別のスタッフが母に言った。
 「是非、ここに来てくださいね。お風呂もゆっくり入れますし、のんびりできますよ。
 お迎えだってお宅まで車で伺いますから。」
 私達は、丁寧に御礼を言い、ディサービスを後にした。

  「何か凄くイメージが違ってたね。でもね、ディサービスもそれぞれ違うし、沢山あるから
 他もいろいろ見に行ってみようよ。」
 私は、無口になってしまった母に明るく言い訳した。
 ディサービスの見学は私の勇み足だった。
 最初に私一人が見学に行き、スタッフの方と話しをしたり雰囲気を感じたりした後、
 母に合う合わないか判断をしてから、母を連れて行くべきだった。
 「だから言ったのよ。あんな年寄りの集まりなんかに行かないって!」
 思いっきり自転車のペダルを踏みながら、母は風に煽られながら高らかに叫んだ。
 「私はね、まだ若いんだから~。」
  町を歩いていると、00介護センターとか書かれたワゴン車を良く見かけるようになった。
母の近所にもその車が来ており、いつも何人かのお年寄りが乗っていた。
どこに行くのだろうか?
夕方になると、車は戻って来て、その家の玄関前まで送くってくれるようであった。
運転手の方は急いで後ろのドアを開け、お年寄りに手を添え注意深く降ろし、優しく笑顔で
声をかけ至れり尽くせりだ。
調べて見ると、それはデイサービスと言う施設で、一日の数時間お年寄り達が、お茶を飲んだり、
おしゃべりを楽しんだり、お風呂も付いていて入浴したりする憩いの場所のようだった。そこには、介護の専門の方を始め、お手伝いの方達が数人いてお年寄り達の面倒を見ている。
このような施設を利用すると、介護をしている家族も、ほんの数時間でも、ゆっくりと自分の時間を持てると言うものだ。介護認定レベルによって、1日からでも4日でも利用出来る。
デイサービス、デイケア、ショートサービスなどそのお年寄りの利用の仕方によって選べるみたいだ。

 母の住む近くにもデイサービスがあるようだった。
おしゃべりが好きな母の事を考えると家に一人でいるよりも、いろんな人と交流を持ち
お茶を飲みながら、同じくらいの年代の方達と過ごす方が良いのではないか。
絶対良いに決まっている。私は独断で判断した。
さっそく私は母を連れ、近所のデイサービスに電話をかけ見学に行く事にした。
まだ、この時期母の介護認定を待っており、ケアーマネージャーの方からの
連絡待ちだったが、母にとって良いと思った事はすぐに動けるように行動したいと
  母が住む家は40年近く経ち、何度かリーフォームもしたが所々傷みが目立つ古い物だった。
 柱や壁には傷がつき、床は部分的に浮いている状態で、基礎である土台も多分腐っているだろう。
 けっして居心地が良いとは言えなかったこの家で父が生存中、老いた二人は
 何を話していたのだろう。家族と言う形態が始まり、私達子供は、ここで生まれ育っていった。
 長い年月の中で家にも人にも、さまざまな思い出が染み込んでいるものだ。
 時々、実家に行き掃除をしていると、それらを偶然発見する事ができた。
 押入れの中に大切にしまわれていた過去からのタイムカプセルを開くと、それは色あせ
 埃の匂いがした。子供の頃のアルバム、そして赤ん坊の頃、若い母に背負われた時に使われたであろう
 ネンネコなどだ。母は、これから先誰も使う事などない物も大事にしまっていた。
 まるで、自分の生きてきた証を残すかのように。
  
  ある日、母が困惑気味に言った。
 「ネズミが出て困っちゃうよ。あそこの電気屋さんが古い家を壊してから、
 ネズミが家に移ってきたのよ。」
 気がつくと家の中にゴキブリ駆除箱の他、ネズミ駆除用もキッチンの隅や冷蔵庫の後ろ、
 さらにネズミ捕り用のピンク色の餌が、廊下の端や食器棚の中に、小さな皿に入れ置いてあった。
 食器棚の中まで?と思ったが、ガラスが割れている隙間から中に入りそうだと
 母が用心の為に入れたらしい。
 食器が置いてある所までネズミが侵入して来るとなると衛生面で非常にやっかいな事だと、
 気持ちが重くなった。

  夜のうちだけ天井からカサカサ音が聞こえるだけと思っていたら、数日もしないうちに昼夜問わず、
 あちらこちらからネズミの走る音か聞こえるようになった。
 それからしばらくして、私はとうとう、真夜中にカーテンを駆け上がる三匹のネズミと遭遇し、
 隣近所に聞こえるほどの悲鳴を上げてしまった。
 さらにネズミは一階のキッチンや水周り部分だけを走り回っているだけでなく、
 二階にも侵入してきた。ベッドの下の方で音がする。蒲団の中に入ってきたらどうしよう、
 私自身恐怖感で落ち着いて眠れなくなっていた。
 しかし、母は全くお構いなしで平然としていた。
 「ネズミは、一杯いるわよ。あそこの電気屋さんの家を壊してから家に来たのよ。」
 いつもの事だが同じ話しを繰り返す。
  以前よりもテーブルの上に食べ物を置かない事、風呂場の石鹸も桶で隠す、掃除も以前よりまめに
 するなど母に注意はしたが、暫く様子を見るしかないだろう。
 ネズミは、クマネズミで名前とは裏腹に身体は小さいが頭が良いのか?警戒心が強いので
 駆除用のネズミ捕りを仕掛けようが、餌を置こうがなかなか素人には捕まえる事が困難な
 生き物だった。
 「とにかくネズミは、食物を狙って来るんだからテーブルの上に食べ物を置いていたら駄目だよ。」
 何度も母に言い続ける事にした。
  電話向こうのその声はとても明るかった。
 ケアーマネージャーと名乗った女性は、福祉事務所から紹介された老人介護の
 スペシャリストだ。私は事務所でもらったガイドブックを読んでいたので、
 ある程度ケアーマネージャーが、どんな事を助けてくれるのか知っていた。
 逸る気持ちを抑え、彼女の来る日を指折り数えて待っていたある日、
 ケアーマネージャーのYさんは母に会う為に隣の町から自転車に乗ってやって来た。
 思っていた通り、元気で優しさ溢れる女性だった。
 「今日は介護認定を受ける為の調査なので、まず娘さんの話しを聞いてから
 お母さんに会いましょう。」
 とYさんは言った。
  私は、これまでの母の経過を手短に話し、二階でテレビを点けながら横になっていた
 母を呼びに行った。
 母は不機嫌だった。なぜ自分が知らない人と会わなければならないのか、
 何の目的なのか、娘のおまえは何を企んでいるかと文句を言った。
 それでも、どんな人が来たのか気になったようで渋々と階段を下りてきた。
  
  「こんにちは!ケアーマネージャーのYと言います。
 お母さんにお会いしたかったのと保険の事で聞きたい事があって来たんですよ。」
 Yさんの屈託のない笑顔に心を許したのか、母は何度もお茶を入れながら
 嬉しそうにしゃべりだした。さっきまでの不機嫌さはどこに行ったのだろう。
 人恋しく、誰かと話しをしたかったのだろう。
 ここ数日、話しをするのは娘しかいなかったし、その他の時間はテレビが唯一
 母の相手だったからだ。
 Yさんは、ニコニコ笑い、母のおしゃべりに頷きながらもメモを取る事も忘れていない。
 「で、お母さんのケアーマネージャーは、誰にしますか?」
 私は驚いて言った。
 「えっ?Yさんではないのですか?」
 「私は、福祉事務所から依頼されてお母さんの介護認定の調査で来たので
 どなたか他のケアマネの方にお願いして良いのですよ。」
 私は、もし隣町から自転車でこの家に来るのが大変でないなら、是非
 Yさんにお願いしたい、と頭をさげた。
 母が何度も々同じ話しをしても、それを嫌そうな顔もせず頷いてくれたYさん、
 それは仕事と言えばそれまでだが、私は自分の心の奥で響くこの人なら大丈夫だ、
 と言うインスピレーションを信じ、それに従ったのだ。
 ケアーマネージャー、通称ケアマネYさんとの出会いは、母の生活が一転する
 大きな前進が約束されたのだった。