母を車に乗せ、福祉事務所から紹介された病院に向かった。
 前もって予約を入れておいたが、病院は混んでおり物忘れ外来にしても一時間近く待たされた。
 内科などと違って、必ず誰かが付き添っている。娘さんなのかお嫁さんなのか、又は福祉関係
 の方なのか、皆お年寄りに優しく言葉をかけている。
 お年寄り達は、それぞれが頷きながらボンヤリ窓の外を眺めていた。
 都会の喧騒からはずれ、新しいその病院の窓から見える風景は、のどかに野菜畑が広がっていた。
 皆、ここで待っているお年寄りは、物忘れがひどいのかしら、母と同じなのかしら?
 私も窓の外を見ながらそんな事を考えていた時、やっと順番がまわって来た。

  診察室に入ると、大柄な四十代くらいの白衣を着た医師が座っていた。
 私の顔をチラッと見ると、すぐに母に向きかえった。
 「お母さん、ご主人が亡くなってしまって淋しいですね。今、一人で頑張っているんですね。」
 初対面の医師は、優しく母に声をかけた。
 母は涙ぐみながら、えぇ、えぇと医師の言葉に相槌を打つ。
 「私の方が先に逝けば良かったのに。。。」
 母はハンカチで目を押さえ医師にそう言った。
 「お母さん、それは神様が決めたことなのですよ。だから、もうそういう事を言うのは
 やめましょうね。」
 その医師は、さりげなくそう母を諭した。
 そして、幾つかの質問をした。
 今は、何月でどの季節か、日本の首相は誰か、自分の住んでいる住所はどこか、家族は誰がいるか
 と言う質問だった。日常生活を送っている人にとって社会の出来事は、忘れたくても忘れる事の
 できない生活の一部だが、認知症の人は社会の出来事に関心が薄れていくと言う事なのだろうか。
 驚いた事に母は、医師の質問に全問回答した。
 さらに簡単な計算問題や隠した物を当てる問題も完璧だった。
 医師は凄いですよ!記憶力が素晴らしいです!と母を褒めた。

  私は、介護保険の申請をする為に医師の診察を受けに来たのだが、この医師はちゃんと
 その事を把握しているのだろうか、と少々不安になった。
 何も異常なし、認知症なんかではありません、お母さんは普通ですよ、と診断されたら
 どうしたら良いのだろう。
 しかし、この医師は最後に私に認知症とのつきあい方と言う紙を渡し、小さな声でこう言った。
 「本も沢山出ていますから、少しでもこの病気はどういうものかを家族のあなたは
 しっかり勉強してください。そして、今日から薬を出します。
 アリセプトと言う早期痴呆に効果がある薬と精神を落ち着かせる薬、そしてビタミン剤
 の三つです。忘れないように飲ませてあげてください。」
 そして医師は続けて言った。
 「お母さんは、全然どうと言う事はないです。元気だし、それほど記憶も衰えていません。
 介護1くらいが適当でしょう。」
 私は正直言って頭が混乱した。全然どうと言う事もなく元気だが介護1のレベルとは
 いったいどういう意味なのだろう。
 母の手前、認知症ですと診断結果を言えなかったのだろうか?認知症は物忘れなので
 精神的な病ではない、故にそう診断結果を母のいる前で伝えてしまうと母が悩んでしまう
 と思ったのかもしれない。

  その後何度かこの医師に会い母の相談をしていくのであるが、母を待合室に待たせ症状を聞く為
 私一人医師の所に行ったりした。
 「先生!母には大丈夫って言っていましたけど本当は、実際はどうなんですか?先生は母を激励して
 いるんですよね?家族には別の話しがあるのではありませんか?
 私にも予防薬としてアリセプト頂きたいのですが、最近物忘れが多いのです。」
 「アリセプトを飲まなくてもあなたはまだ、大丈夫ですよ。」 
 真剣に聞いてくださった医師に今は感謝の気持ちで一杯である。その頃、段々と母の様子が
 変化していき、さらに他の家族との確執があった為、精神的にくじけそうになっていたのだ。
 患者もそうであるが、付き添う人も時に精神的にまいる時がある。
 どんな病気でもこれは共通だろう。
 患者だけを診るのでなく、付き添う人にも心配りの出来る医師は尊敬してやまない。
 その医師は私にこう言った。
 「あなたは、誰よりもお母さんの事を想い、正しい事をしているのです。」
 この一言によって、どんなに私自身励まされた事であろうか。
  私は、老人福祉について何も知らなかった。
 今まで父と母は元気だったし、二人で生活しているのだから何も心配する事はなく
 福祉を利用するのは何か困っている人の為のものぐらいにしか思わなかった。
 介護保険は、どのような仕組みになっているのかさえ私は知らなかった。
  事務所に行くと感じ良い女性が応対してくれた。
 父が数週間前に亡くなり、母が物忘れがひどいと言う話をしただけで、
 その女性は細かく丁寧にアドバイスをしてくれた。
  第一に介護保険。母の保険は切れていて再申請が必要だった。
 そういえば父が生きている時、母が病院に行かないので手続きが出来ないと
 言っていた事があったが、あの時のものだ。 
 再交付してもらう為には病院に行き、認知症など医師の診断が必要と言う事だった。
 さらにケアーマネージャーと言う方が母に会って調査し、介護保険が使える
 いろいろなプランを考えてくれるらしい。
 介護保険も1から5段階まで症状によって分かれており、母がどのくらいのレベルなのか
 判断されるとの事だった。
 父も母も介護保険の内容は、何も知らなかったに違いない。自分達が入院した時に
 保険が使えるぐらいの認識だったと思う。
  区や介護保険サービスについて書かれたガイドブックを胸に抱え、まずは紹介された
 総合病院の物忘れ外来と言う、初めて聞く診療科に電話を入れた。
 -物忘れ外来-
 一般的には、神経科に行くようであるが、このように専門的な名前が付いた病院が
 今は全国に広がっているようである。
  運が良い事に私が母と一緒にいる数日中に予約が取れた。
 実家から車で10分の距離である。
 そこなら自転車で行けると言う母に、そうねぇ近いから大丈夫ね、などと
 何も考える事なく返事をしていた私であった。
 母は体力的に問題はなく元気一杯で、隣駅のスーパーなど三十分くらいの距離ぐらい
 どうと言う事もなく軽々と自転車に乗る事ができたのだ。
  母は、一人になった。
 しばらくの間、妹は週末に私はその他の曜日に実家に通う事になった。
 家の片付けと食事作り、そして母の話し相手の為だ。
 ある日、母はキッチンで洗い物をしていた。
 二階にいた私は、焦げ臭い匂いに気づき上から叫んだ。
 「ねぇ、何か焦げているよ!」
 洗い場の隣にはガス台があり、さっき母は自分で煮魚の鍋に火をつけたのだ。
 「何で鍋を見ないの?さっきから焦げてるって言ってるのに!」
 私が階段を下りながら、急いで鍋の蓋を取ると既に水分はなく煮魚は焦げて
 部屋中に煙と嫌な匂いがたちこめた。
 どうして、ほんの数センチ先にあるガスの火を消す事が出来ないのだろう。
 普通なら、火に鍋がかかっている事は常に意識の範囲にある。持ち場を離れたなら
 少しは忘れる事もあるかもしれないが、鍋は母の右側にあったのだ。
 もし、声をかけなかったら、いったいどのくらいその鍋は火にかかっていたのだろう。
 母は、何事もなかったように
 「あらぁ、焦げちゃった?気がつかなかったわ。」
 と言った。

  母は笑いながら、よく火事一歩手前で済んだボヤの話をした。
 「この家は、キッチン側が煙が抜ける坂になっていて、私が鍋を焦がすと煙が
 上の方に立ち並ぶ家にまで登っていっちゃってね。火事だと思って驚いた人が
 消防署に電話しちゃって何度も消防車が来て有名だったのよ。また奥さんですか?
 って言われちゃって。」
 楽しそうに話す母の話を聞いた人は皆、氷ついた。
 火は家を燃やすのだ。燃えている中に人がいれば、人は死ぬ。
 しかし母は、たかが煙り程度の火事でもない自分の家に、消防士が飛び込んで来る事が、
 おかしくてたまらないようだった。 
   
  ある時、隣の住人に言われた。
 先日、外の元栓は開いているのに、ガスがつかないので見てくれないかと
 母が言ってきたそうだ。隣の方が調べると、キッチンのガス台のスイッチが点火になっていたが
 ガスは出ておらず、どうやら異常を感じたガス漏れ探知機によって自動的にガスが止まった
 ようであった。隣の人はもし何かのきっかけで火でも出たらと、恐怖で固まったと話してくれた。
 本当に御心配をおかけしまして、と頭を下げる。
 ここのところ、実家の隣近所の方に頭を下げる事が多くなった。それだけ母が近所の方々に
 お世話になっているのと、多くの心配をかけている。
 
  お年寄りが火事に巻き込まれる事が多い。母だけは大丈夫と言う事はないのだ。
 どうしたら良いのか、何を改善したら良いのか、数時間後に火事を起さないとは
 限らない。必ず毎日、火は使うのだから。
  しばらくして私は区の福祉事務所に行く事を決めた。
 母のことをどのようにしていったら良いのか、アドバイスを求めたかったのである。
  父の葬儀は滞りなく、ごく普通に行われていった。
 母は、父が亡くなった事の悲しさとは別に、しばらく会っていなかった親戚の人達に会えた事を
 素直に喜んでいた。
 いろんな方からのお悔やみの言葉にも母はそれなりにちゃんと対応し
 最近の父の様子を話していた。
 
  父が死んでから、私の妹AとBが登場する。
 妹Bは、父の運ばれた病院に来た人間である。
 そして、もう一人の妹Aは父と確執があり、実家に寄る事もなく父と話すこともせず
 父親の死と言う場面で七年ぶりにこの家に戻ってきたのだった。
 葬儀は、ほとんどこの二人の妹達によって決められ、行われていった。
 喪主はお母様ですから、最後の挨拶は御礼の言葉だけでも言わせてあげてください、と
 葬儀屋に言われたにも拘らず、妹Bはマイクを握り母を隣に立たせ挨拶をした。
 親戚は怪訝な顔をしていたが、伴侶に先立たれ気が動転しているゆえ挨拶も
 出来ないのであろうと大方は思った事だろう。
 式は無事終了した。

  私と妹達は、父の物を片付け始めた。
 父が寝ていた蒲団、下着や服などを処分しようとすると
 母が必ずやってきて、これはまだ使える、これは捨てないで!と
 ゴミ袋の中に入れた不要な物を取り出すのだった。
 妹達は、そのたびに大声を上げ、こんなゴミを何に使うって言うの!
 死んだ人間の着ていた服を取っておいて、どうするって言うの?と、怒鳴るのだが
 母はかたくなにゴミに出す事を拒み、何度も々それは繰り返されるのだった。

  母は以前からあらゆる場面でこの実の娘達に言い負かされていた。父がいる時は母もいくらか
 反論もしていたようだが、父の死後、娘達に何か言われるたび、母の中でくすぶり続けていた
 どうしようもない怒りの矛先は、長女の私に向かってきた。
 母は私に当り散らし、ゴミへの執着は、ますます強くなりつつあった。事態は深刻になっているのだが
 ただの性格上の問題であり母の我が侭であると主張する妹達には認知症と言う病なのだと遠まわしに
 言ったところで理解されなかった。
  ボケならなおさら脳に刺激を与えるくらいの方が良いじゃないかと言うのが妹達の考えであり、
 母に対して、妹の一人は小さな子供に接するような言い方をし始めた。
 母が何かを忘れてしまったり、物事を理解するのに時間がかかるようになると、
 「00さん?さっき言った事を、もう忘れちゃってるの?私はこう言ったでしょう。」
 という言い方をした。

  母は少し情緒不安定になっていた。
 自分の妹が来ると味方が来た様に感じるのか、娘の言動に腹を立て急にヒステリックになり、
 持っていた箸を折ったり、茶碗を投げつけた。私は、もう何も言わない様にと妹を制するのだが、
 それ以上に母の気持ちを逆撫でし有無も言わせない様ねじ伏せるのだった。
 途中で泣き出す母を私は車で外に連れ出し、気分を変えさせる為に知り合いの家に
 連れて行ったりした。

  認知症は、しばらく一緒にいなければ初期の段階では、気がつきにくいかもしれない。
 家族でさえ異常と正常がどこで区切れるのかわからないのだ。
 外から見ると何もおかしくはないのである。物に対しての執着も年寄りの物欲と取るのか、
 性格に問題があるのか家族は苛立ちを覚えるだろう。
 この病をインターネットや本などで本格的に調べ始めたのはこの頃からだった。

  母が白い箱に向かって泣きながら手を合わせているのを見た時、
 今まで忘れかけていた大切なことを思い出した。
 母は、何十年間共に生活して来たパートナーをほんの少し前に失ったと言う事実だ。
 そしてそれは、自分達の父親なのだ。人はそれぞれ親、兄弟に対して想いは
 違うかもしれない。でも、この時期、残された母を大切にしてあげようと思うのは娘として
 当然の事ではないだろうか。
  息を切らせ病院に着くと、母は長いすに腰掛け何人かの警察官に囲まれていた。
 自宅で人が亡くなると、どんな状態で亡くなったのか警察は調書を取るようである。
 母は私の顔を見ても、まるで気づいていないかのように淡々と父の様子を話していた。
 「あの人は、お酒が好きで今日も朝から飲んでいたんです。」
 「奥さんね、お酒飲んでいて、その後どうなったんですか?具合悪そうだったとか。」
 「いつもと変わった事はなかったです。気がついたら蒲団の中で冷たくなっていたから。」
 「さっきは、玄関で倒れていたって言ったけど、今度は蒲団の中でとか言っていますね~。」
 警察の人は皆混乱していた。
 「奥さん、ご主人は、朝はどんな状態だったんですか?」
 母はうんざりした顔で何度も質問してくる警察官に言った。
 「何回も言うけど、朝はいつもと同じでしたよ!私が気がついた時、あの人はお風呂場で
 倒れていたんです!」

  病院の入り口から母の妹と姪っ子が入って来た。
 待合室は、日曜日と言う事で他に人は誰もいない。  
 「どういう事?どうしちゃったのよぉ!」
 二人は大声で叫び走ってきながら、母を挟むように長いすに腰掛けた。
 そして、警察官からかばうように母の背中をさすり始めた。
  しばらくすると最後に、母の三番目の娘であり、私にとっては一番下の妹Bが駆けつけた。
 彼女は警察官の顔を見るやいなや、父が以前どの病院に通っていたか、どんな病気で入院した事が
 あるか、誰よりも自分が知っているかのように父の症状を伝え始めた。 
 いやぁ助かりましたよ、どうやって調書を書けば良いかわからなかったから
 と警察官は、満足そうにメモを取り始めた。
 母はその時から急に無口になり、二人に背中をさすられながら下を向いてしまった。
 そんな母に、父はどこにいるのかと尋ねると母は黙ったまま、あっちと指さした。
  
  白いカーテンの向こうに父は横たわっていた。
 右の目が少し開いたままでほんの少し口も開いていた。
 何かまだ、見ておきたかったのだろうか、まだ何か話しをしておきたかったのだろうか。
 がしかし、いつもの寝ている父の顔だった。
  私は、冷たくなった父の手に自分の手を重ねて、ママのことは何とかするから心配しなくて
 良いよとつぶやいた。

  「ほら、もう行くわよ!あなたは私の車に乗って、あなたはあっちに乗っていって。」
 妹の声がした。
 母は心配そうに振り返り私を見た。
 大丈夫だから先に家に戻っていて、私は大きく頷いた。

  父の死後、母の認知症は段々と悪化していった。
 配偶者の死と言う大きな出来事に直面したからだろうか。
 それとも、それを含め人間関係のストレスやその他、母を取り巻く環境が
 認知症を進行させてしまったのだろうか。
 父のいなくなってしまった母の生活を、どのように助けていけるだろう。
 認知症の一人暮らしと言うあまりにも大きな課題に
 私は手探りの状態から、一日も早く何かを掴まなければならなかった。