11月の半ば、布団一式とクリアケースに入った冬の服や下着類、そしてテレビ、小さなタンスなどの最初は

  必要な物だけを車の後部席に積み、私の家に向かった。

  

   家に着くと私は、母に夕食を食べさせながら、何度も繰り返し母に言った。

  「あのね、少し寒くなってきたから、当分ね、ディサービスみたいな所に行くのよ。

  ママだけの部屋もあるのよ。皆と楽しくお話しが出来て、つまらなくなったら自分の部屋に行けば良いの。

  テレビだって、リビングで皆と見たり、自分の部屋にもあるから一人で気兼ねしなくて良い所よ。」

  「ふ~ん。ディサービスは楽しかったから、あんな所だったら良いわね。」

  母は、にこやかに賛同した。

   明日、気分良くグループホームに入居してくれるだろうか。母は私の心配とは裏腹に早々に眠りについた。



   次の日の朝、ホームに連絡し到着時間を伝えると共に、母の様子を話した。

  目的地は、わからないが自分がどこかに行くのだと言う事はわかるようだった。

  母は、昨夜とは打って変わって不機嫌だった。

  「ねぇ、これから、私をどこに連れて行こうって言うのよ!」

  「だから昨日から言ってるけど、ディサービスみたいな所よ。」

   私は、グループホームと言う名称は使わず、母が気に入っていたディサービスみたいな所だと 

  何度も繰り返した。

   車に乗ってから15分くらいも経つと、不機嫌さはピークに達した。

  あと少しでホームに着くと言うのに

  「どこに連れて行こうって言うのよ!えぇ!」

  「行かないわよ!何で荷物を運ぶのよ!」

   

   何で何回も言っているのに、わからないのだろう。しかし、ここで声を荒げたら、ますます母は意固地に  

  なるだろう。

   私は、深く深呼吸をし自分を落ち着かせた。

  そして、 再び母に話した。

  「ママ、ディサービス気に入っていたでしょう?ママの住んでいた家は、ネズミが出たり、これから冬になってストーブも

  ガズも危ないし、少しゆっくり出来るのよ。何人もお友達が出来るだろうし、食事だって三食出るし、おやつもあるのよ。」


   私は、そこがどんなに楽しい所なのか、一生懸命母に訴えたのだが、母の機嫌は直らなかった。

  どうしたら良いか、嫌がる母を無理にホームに連れて行って大丈夫だろうか?

  もし、どうしても駄目なら連れて帰るべきだろうか?私は心が揺れていた。


   そうこうしているうちに車は、ホームの入り口に到着した。

  私達が母を車から降ろしていると同時に、連絡を受けていたホームのSさんが

  玄関のドアを開け、明るくにこやかに出て来られた。


  「こんにちは!いらっしゃいませ!」

  母に声をかけてくれた。

  

  母は一瞬キョトンとした顔をしていたが、急にシャンと腰を伸ばし

  「これからお世話になります。」

  と自分からSさんに頭を下げた。

  あれほど、文句を言い不機嫌になり、ここへ来るのを拒んでいた母なのに。


   私は熱い物が胸の奥から溢れてきて、思わず目を瞬かせた。

  Sさんは、笑顔を絶やさず、優しくそんな母の肩を抱き、ゆっくりホームの中に入っていたのだった。


 妹Aは、その日の夕方、仕事が終わってから実家に来た。
母と普通に会話している。
二人で夕食の用意をし、和気あいあいで楽しそうだ。
 妹は、私に気づくと小声で言った。
「私といる時は、全く普通だけど?信じられないよ、錯乱状態なんて。」
「そう、ママはいつもは普通よ。でも普通じゃない時もあるのよ。
貴女がその部分を見てないから、わからないと思うんだけど。」
と私はやんわり説明した。
ふ~ん、と言って、又、妹は母と料理を始めた。
今日は、煮魚を作っているようだ。
   
 母は、この妹に特別な感情がある。
妹が赤ん坊の頃、自分が外出の際、自分の母親や姉妹、近所の人に預けた時の事が強く
頭に残っている。
「本当にこの子は、おとなしくて良い子ね~。手が掛からなくて可愛い。」
といつも褒められ続けた母は、自分の本当の分身が産まれたと喜んでいた。
私達の小さい頃の話になると、この妹Aの話が常に登場し、母は、いつも満足気で

幸せそうだった。
 そして、この子は、弁護士かお医者さんのお嫁さんになるのよ、と私や周りの人達に言い続けた。
確かに妹は学校での成績も優秀で、性格も静かで真面目で、それは私自身も
認めるところだった。
 だが、私はこの静かで真面目な妹の心の隅にある冷たい感情に時々、驚いたものだった。

小さな話しだが、彼女と食事に行き、私が食事代を支払う時でさえ、
彼女から、ありがとうの一言を聞いた事がない。お姉ちゃんと呼ばれた事もない。
 常に私よりも何かを上だと思いたいようで、それは、彼女の私を見下した態度でも
伺われるのであった。

 弁の立つ、理論整然として話す妹に、私は自分の意見を言ったところで常に
「それはね、違うんじゃない?意味不明よ。それは、貴女の勘違いでしょう。」
等々、反論されていた。これに妹Bが一緒に加わると、さらに、私へ風当たりが強くなるのだった。
 それでも妹なんだから、と言う思いと、自分が頭を下げれば物事がスムーズに行き、
無駄な時間や混乱を招かなければと言う思いから、馬鹿な私は常に彼女達の意見に耳を貸そうとした。

 もう一人の妹Bは、この頃、私との携帯を不通にしてしまった。
父が亡くなったばかりで、これから母の事を決めていかなければならないこの時期に、
そういう事をする意味は何なのか?私は理解出来なかった。

 それを妹Aに伝えると、
「私が間に入ってうまくやるから、しばらく、かかわらない方が良いんじゃない?」
との事だった。
 昨日まで普通に連絡を取り合い、普通の姉妹関係が続いていけば良いなぁと思っていた矢先の
青天の霹靂であった。人を間に入れて物事を伝えれば、話しは湾曲に
伝わる。又、説明不足になる事もある。
 そこまで私を仲間はずれ?にする原因は何なのだろう。

 妹Aにメールを出した時、私は、昔から妹の貴女が可愛くて仕方がない、と書いたところ、

会った時にこう言われた。
 「家族とか妹とか、そう言う家族愛みたいなのやめてくれる?気持ち悪いから。」

 伝えた正直な感情を本人に否定され、私は、言葉が見つからなかった。
何を望んだわけでもなく、ただ、姉妹でこれから仲良くしていこうね、みたいな事を書いた
程度の軽い文に、彼女は重く反応した。

 「貴女は結婚しているでしょう?」
「私達は一人で生きていかなくちゃならないのよ!」
「誰かさんみたいに暇じゃないのよ。」
「旦那さんが稼いだお金で暮らしている人にはわからないでしょう。」
「独身女は大変なのよ!」
 何度も妹達の口から出てきた言葉は、
「結婚している人は良いわね。」と言うフレーズであった。

 結婚には結婚した大変さがあり、子供がいればいる大変さがある。
それをあえて、妹達に言う事はなかった。


 妹達は自分の選んだ人生に怒り、私に八つ当りしているのだろうか?   
結婚しなかったのは本人達の一つの選択であるはずなのに。
二人の妹達は結束し合い、この頃から認知症の母を間に、私にいろいろな方面から
挑戦してくるのだった。

  もう母を一人にさせてはいけないのではないか。
 もう限界ではないだろうか。明け方の錯乱状態と痩せてきた母の身体の状態を考えると、
 この冬を一人で越すのは無理ではないか?私はそう感じていた。
 私は、ケアマネのYさんに、
 「先日見学に行ったグループホームに母を入居させた方が良いのではないかと、
 思ってるんです。」
 と言った。
  Yさんも、
 「その方がお母さんには良いかもしれないわねぇ。
 そう決まれば今行っているディサービスや配食サービス、一声ヤクルトの方にも
 連絡しなければね。」
 と目の前のパソコンを打ちながら、そう言った。

  私は迷っていた。
 本当にその方が良いのに決まっている。誰かがいつも側にいてくれて、ちゃんと考えられた
 栄養のある温かい食事も出てくる。薬だって飲み忘れもないし、お風呂も何日も入らない事も
 ないだろう。時間がある時は、入居している人達と好きなおしゃべりを楽しんだり、
 テレビを観たりする事だって出来る。
  だが、私は一歩前に踏み出すのを恐れていた。
 ここで母がグループホームに入居になれば、母はもう二度と今住んでいる自分の家に戻る事は
 ないかもしれないのだ。
 父と母が苦労して得た家、日々生活し私達兄弟を育ててきた思い出の場所から、私一人の判断で
 母を移してしまって良いのだろうか?
 入居しようとしているグループホームは、母にとって本当に幸せなのだろうか?
  だが、誰かがこうする!こうしなくては、駄目だ!と率先して道標を作らねば、母はこの状態が
 ずっと続く事になるのだ。何もしなかった事で母に万一の事があったら、あの時、自分に強い意志が
 あり的確な判断が出来たら母は長く生きていたのに、と後悔するのではないだろうか?
 もし、そのグループホームが合わない時は、又別の道もあるだろう、その時に又考えれば
 良いのではないだろうか?
 私は、自問自答を続けた。

  妹のAに連絡し、母の状態を告げた。今日の夜、実家に来ると言う。
 私自身の気持ちを固め、その方向で動こうと妹に伝えなければならない。
 私は、母の妹であるF叔母さんにも連絡し事の状態を伝えた。
  叔母さんは、
 「今のお母さんの様子を見たら、その方が良いんじゃない。心配だものねぇ。」
 と言ってくれた。
 親戚に伝えるのは、この叔母さん一人だけである。
  私は、グループホームのSさんに連絡を取り、本来は、来年の春の入居を考えていたが、
 入居を早めたい事、予約した上の階がオープンするまで下の階に入る事が可能かどうかをたずねた。
 9月にオープンしたばかりの、そのホームは現在入居者が9名のところ5名だけなので、
 スタッフの目も行き届いていますよ、と言う。
 もちろん幾つも部屋が空いているので、仮入居と言う形で一度来たら良いのではないか?
 と言ってくれた。
  仮入居は三泊四日である。少しの着替えと手荷物を運べば良いのだが、引き続き入居となれば、
 その次の日から本入居として契約もしなければならない。
 仮入居は、母には意味がないのである。
 少しの荷物でなく、小さな家具も運ばなければならない。
  私は、いよいよ大きな決断をしなければならなかった。
 目に見えない何かに押される様に、ケアマネのYさんに、
 「グループホーム入居に向けて動きますので、よろしくお願いします。」
 と頭を下げていた。
 私は、何件かのグループホームをインターネットで調べた。
母の区にも幾つかあったが、今後の事を考えると私の住んでいる近くの方が、
何かと便利ではないかと考えたのだ。
急な呼び出しがあった時でも、すぐにとんでいける。
グループホームは、建物は、個人の家を改装した物もあれば、洒落た作りのマンションの
様な建物もあった。どの施設も作りの違いはあれ、ほぼ基本的にいろんな面で同じに思った。
食費、住居費、生活雑貨費、介護料などは、どこもだいたい一ヶ月約20万前後だった。
食費が安いと思えば、住居費が高い。家賃が5万のところもあれば7万のところもある。

 入居する人数も介護スタッフの人数もほぼ、どのホームも同じようで
1ユニットと称し、入居者は9人に、スタッフが3人から4人とそんな感じであった。
 私は、9月にオープンしたばかりのKと言うグループホームをクリックした。
出版や不動産も手がけ、さらにグループホームを持っている大きな会社だった。
写真も数枚添付されており、グループホームで過ごすお年寄りの姿があった。
皆、楽しそうに食事を作ったり、折り紙を折ったり、散歩している。
 ここは、明るい雰囲気が伝わる。お年寄りが皆自然に笑顔でいるのが感じられた。
 私は、お問い合わせ係りのSさんにメールしてみる事にした。
  その日、私はすぐにケアマネのYさんが所属している
 介護センターで彼女を待っていた。
 ディサービスでの母の様子は、定期的に彼女に報告が行っている。
  しばらく待っていると、自転車に乗ったいつもの元気な彼女が現れた。
  彼女の笑顔は私に元気を与えてくれる。
  数時間前の明け方の話しをした。

  「それは、凄い剣幕でした。良く聞いていると泣きながら私を責めて
 るんですよ。どうして、こうなっちゃったのかしら?」
 私は、数週間前まで落ち着いていたはずの母の急激な変化に戸惑っていた。
  「ディサービスでの様子を聞いてみたら、いつも眠そうにして仮眠ベッド
 で横になっている事が最近は多いと言う事です。たぶん、夜中にお仕事を
 しているんだわ。」
 「お仕事?」
 私は驚いて聞いた。お仕事ってなんだろうか?

  私が怪訝な顔をしているのを見てYさんが説明した。
 「お仕事ってね、お母さんが時間を忘れてずっと何か物を探しているって事よ。」
 「何か気になる物があるのよ。それは、もしかしたら、もう既にないかもしれないし、
 そのない事を忘れちゃって延々に探すの。じゃなかったら自分でどこかにしまって
 あるんだけれど、それこそ普通に忘れているから探す。
 でも、途中で何を探しているかわからなくなる、その繰り返しなのかもしれないわね。」
 「えぇ?じゃあ、自分で何を探しているかわからない物を探していると言う事に
 なるじゃないですか?。」
 「そうねぇ、認知症ってそういう感じなのよ。」

  私は、少し悲しくなった。
 ない物を探す、出てこない物を探す、そして母は、必死に夜中になると何かを思い出し
 その何かを見つけようとしているのだ。
 寒い部屋で何時間もの間、それが見つからない事に苛立ち、絶望的な気持ちになりながら
 母は押入れやタンスの中を開けては閉め、閉めては開けて同じ事を繰り返していたのだ。
  これだけ探しても見つからない大事な物は、きっと側にいた娘が持っていったのに
 決まっている、と思いたかったのではないだろうか?