2005年11月から、母が心待ちにしているディサービスを週2日から3日に増やす事を考えた。 月曜日の
 配食センターのお弁当と週三回のお昼で4日間は必ず一度は食を取る事が出来る。
 週末は妹が食事を作ってくれるし、その他の食べ物を冷蔵庫や棚の中に入れておけば
 大丈夫ではないかと考えた。
  又、最近では面倒くさがって、たまにしか入らなかったお風呂もディサービスで入れてもらえる。
 私は、ケアーマネージャーのYさんと次の月の打ち合わせをする為に
 実家に戻った。

  その日の明け方、事が起こった。
 私が寝ているベッドの足元に母が立っていて何か叫んでいる。
 気がついて時計を見ると、4時を少し過ぎたところだ。
 「あんたぁ、親がまだ死んだばかりなのに、みんな持っていちゃって!
 泥棒じゃない!何で、こんな事するのよ!」
 同じ事を繰り返し、仁王立ちし叫び続けている。
 「そんな所に立っていると風邪をひくから蒲団の方へ行こうね。」
 と母の背中を軽く押すと、その手を払いのけた。
 それでも何とか蒲団の上に座らせる。

 「どうして?親の物を持っていってしまうなんて、ひどいわよ!」
 泣いているようで泣いていない。タオルでただ目を押さえて、うっうっと
 嗚咽しながら、しゃべり続けている。泣き真似の様に見えるが本人の気持ちの中では
 泣いているのであろうか。
  認知症の人は、自分にとって一番身近な甘えられる人に内容はどうあれ訴えると、
 どこかで聞いた事がある。母は私に甘えているのだろうか。
 しかし、すでに一時間以上母はしゃべり続け、一向に止まらない。
 「どうしてよぉ、ひどいじゃない。あんたがそんな娘だとは思わなかった。」
 薄っすらと明るくなってきた窓の外を見ながら、私はしゃべり続ける母を一喝した!
 「いい加減にして!」
 一瞬母は、びっくりして黙った。
 「誰が何を持っていったって?よぉく、考えて。誰が病院に連れていってる?
 誰がディサービスの事決めてるのよぉ、皆、私でしょう?しっかりしてよ!」

  母は我に返った様だ。
 「あらぁ、私ったら何言ってたのかしら?どうかしてるわ。ごめんね。」
  母は何事もなかった様に、テレビを付けると蒲団にもぐり込んだ。
 そして、しばらくすると寝息をたて眠ってしまった。
 私は、一睡も出来ず朝を迎えた。
 もしかしたら、母は以前に比べ認知症が少し進行したのではないか、
 不安に思った私は、その日すぐにケアマネのYさんに連絡したのだった。

母は、介護保険の範囲の中でいろいろなサービスを受け、ここまで順調に来た。
ディサービス、お弁当の配食、お出かけヘルパーさん、そして、声かけのヤクルト。
しかし、母が一人で生活するのも限界が来ていた。
これから冬が来たら、暖房器具の取り扱いをどうしたら良いだろうか。
買い物もできず、ただでさえ食事を取らない母は、ずっと蒲団の中で過ごしてしまうと
予測できた。


私は、母の状況を考え、しばらくして老人の施設を調べ始めた。
施設は、在宅型と入所型と二つに分かれているようだ。
母が利用しているディサービスや、数日間の泊まりが利用出来るショートスティなどは在宅型。
入所型には、介護老人保健施設・ケアハウス・グループホーム(痴呆症高齢者
グループホーム)・介護老人福祉施設(特別養護老人ホーム)・養護老人ホーム・
軽費老人ホームA型B型・有料老人ホームとある。


 入所する契約金の段階で何千万から何百万と言う高額の値段を支払う施設もあれば、
所得に応じて入所できる市や県、区などで運営されている施設もあるようだ。
又、入所する人の介護状況にも施設が異なっていた。
 私は、母の状態や金銭的な事を考えると、認知症に良いグループホームに的を絞った。
お年寄りが数人と一緒に住み、食事作りや洗濯、掃除など自分のやれる事はやる。
その中にいつも数人のヘルパーさんがいて、いろいろな面で助けてくれるのであった。


 皆と過ごすリビングやキッチン、お年寄りが楽に使用できるバスルームやトイレ。
プライバシーが守られる個室も、それぞれの人に備わっていた。
これだ!母は、沢山の仲間がいて楽しく生活する方が良い。
グループホームは、母には絶対に向いている!
私は何度も全国のグループホームのホームページを検索していった。

  今日は、現在私がアルバイト先であったお年寄りの出来事を急遽
 こちらに書きました。
 
  いつもの様にビデオ屋のカウンターで仕事をしていると、入り口の方から
 「すいません~。すいません。」
 と、お年寄りの声がした。
 急いで入り口に飛んでいくと、一枚の紙を片手に握り締めた一人のおばあさんが
 立っていた。
 「あのね、私家に帰りたいから車代貸して欲しいの。ほら、これが私の住所で、ここに
 帰りたいのよ。」
 ボロボロになった紙切れを私に差し出した。
 おばあさんの顔を見た。
  左目が何かにぶつけたのだろうか、それとも誰かに殴られたのではないか?青いアザが
 ついていた。顔色が悪い。
 まだ、季節的に早い頃、半袖一枚のブラウスはあちらこちらに染みがついている。
 「ねぇ、これ年金の紙なのよ。」
 私は思わずおばあさんの手を握った。
 おばあさんの手は冷たかった。少し震えている。体温が下がっているから震えているのか
 それとも、どこか具合が悪いのではないだろうか?普通ではない。
 時刻は、夜中の一時半を周っている。
 このおばあさんは、徘徊しているのだろうか?それとも本当に帰れなくなってしまった
 老人だろうか?

  私は、お金、お金と言い続けるおばあさんに話しかけた。
 「家に誰かいないの?」
 「娘がいるのよ。」
 「じゃあ、その娘さんに電話してあげましょう。」
 「駄目よ、駄目。娘は病気だから。」
 「じゃあ、そこに交番があるから、オマワリさんに相談してみましょう。」
 「駄目よ!オマワリなんか!あんたじゃ話しにならないから、あんたより偉い人
 呼んで来てよ!」
  私も仕事中であるし、他の従業員の手前いつまでもおばあさんに係わっているわけには
 いかない。まして店長を呼んだところで、同じ様に交番におばあさんを連れて
 行くであろう。
  私はおばあさんの痩せて震えている肩を軽く抱き、外に出た。
 「駄目だったら、オマワリなんて駄目よ!お金貸してくれるわけないわよ。」
 駄々をこねるおばあさんに、大丈夫よ、大丈夫よと、なだめながらゆっくりと歩いた。
 そして、交番の前にいたオマワリさんを発見した。

  背の高い年配のそのオマワリさんが、おばあさんの顔を見るなり大きな声で怒鳴った。
 「何やってるんだ!駄目じゃないか!また、出歩いて!近所なんだから早く家に帰りなさい!
 こんな時間に毎晩フラフラして!家から出て来ちゃ駄目なんだよ!」
 おばあさんは、ハイ、すいませんと頭を下げている。
 いいから、あんたも戻って、とオマワリさんは私にヒラヒラと手を振った。
 振ったと言うより、追い払う時の手だ。
  私は少しの安堵を覚えながら、何で毎晩真夜中に出歩いているのだろう、誰か
 ケアする人はいないのだろうか?とそれが心に引っかかった。
  お年寄りが一人暮らしで、認知症の症状が現れたら、この都会で誰が
 気づいてくれるのだろうか?

 「すいません、今戻って来ました。」
 「どうだった?」
 店長が聞いた。
 「えぇ、オマワリさんに怒られていましたよ。毎晩外に出ちゃ駄目だって。」
 「じゃあ、騙されるところだったね。タクシー代。」
 「えぇ、まぁ。でも、それが病気だと思いますよ。」
 私は怪訝そうな顔をしている店長にそれ以上話す事は止めた。
 
  時間は二時半過ぎ、アルバイトの仕事が終了した帰り道、
 遠くの方であのおばあさんが、まだ歌をうたいながらフラフラと
 歩いていた。
  さっきのオマワリさんが自転車で後ろについている。
 「ゆうや~け こやけ~の♪」
 静まりかえった住宅街に、いつまでもその声が響いていた。
  母の状態をケアマネさんに報告する。
 何よりも食の確保が今一番の重要課題とケアマネさんと話しあった。
 ケアマネさんが言うには、認知症の人は時々冷蔵庫の中に食品があったとしても、
 それをどのように料理したら良いかわからなくなるらしい。
  又、お年寄りが食べたばかりなのに、時間も経たないうちに何か食べたがって満腹感を
 感じられないのと同じように、母は食べていないのに空腹感を感じられないのだった。
 
  母もそこまで症状が進んでしまったのかと、私は愕然とした。
 母は週二日ディサービスで昼食だけは取る事が出来たが、急遽さらに近くの老人向け 
 配食サービスを頼む事にした。
 これは介護保険の一割に含まれ、自己負担の一回の弁当料は450円だった。
 ちゃんと配達の人が手渡ししてくれるらしい。
 「ママね、月曜日にお弁当が届くから、ちゃんと受け取って食べてね。」
 「何でそんなの頼むのよ。ご飯なら自分で作れるのに。」
 怪訝そうに母が言う。
 「週に一度のお弁当は区のサービスよ、本当にいたれり尽くせりね。歳は取ってみるものだわ。」
 と冗談交じりに私が言った。
 「へぇ~。最近は、年寄りに親切なんだね。」
 「それからヤクルトも届くから必ず飲んでね。」
 母は区のサービスと言う事に気分を良くしたようだ。
 「私はヤクルト好きだから毎日だって飲むわ。」

  ヤクルトは一人暮らしの老人の為の物で区に申請すると無料で配られる。
 一人暮らしの老人安否がこのヤクルトの配達で確認してもらえるのだ。
 郵便受けにヤクルトが溜まってしまうと配達の方から家族に連絡が入り、
 状態を確認をしてくれるという。
 ケアマネさんが区へ働きかけてくれたおかげで、玄関先の郵便受けに行く事を忘れてしまう母には
 配達の方が声を掛けてくれることになった。
 週末は、妹が食事を作ってくれるはずだ。
  これでなんとかしばらくは、母の食は大丈夫だろうか。

  それらが数回配達され、実家に行った時に冷蔵庫の中を見ると
 何本かのヤクルトや配食サービスの食べ残したお弁当も入っていた。
 「お弁当は味も良く美味しいわよ。」
 母は蒲団の中にいた。

  これから寒くなったら、母はどう暖を取るだろうか。古い家は壁の隙間から風を通していた。
 今まで使っていた石油ストーブは危な過ぎる。電気ストーブのスイッチを点ける事が
 出来るだろうか。寒くなれば、一日中蒲団の中で過ごす事が多くなる事は目に見えていた。
 私はその年、母が一人で冬を過ごす事が出来るか大きな不安を抱いていた。

  しばらくして私はパソコンの前にいた。いろいろな認知症の症例を調べると共に
 まだ、元気な母にはそこしかないと、ある場所を探し始めたのだった。 
  母は、今までしなかった行動を取るようになった。
 「今日、そっちに行くから。」と朝電話を掛ける。
 三十分後に、もう一度電話を掛けるがいくら掛けても通じない。
 話し中になる。
 実家に着き確認すると、電話のコンセントが抜かれている。
 「どうして、線を抜いちゃうの?」
 と聞くと
 「えぇ?そんなの知らない、私は抜いてないわよ。」
 と覚えていないようだ。電話のコンセントをどうして抜いてしまうのだろう。
 電話が通じなくなる事が多くなってきた。
 
  又、一人でいるのに、三合のご飯を炊く。食べているようで食べていない。
 冷蔵庫の中を確認すると、残ったご飯が幾つもの茶碗に入っていた。なのに又、米をとぐ。
 おかずとして入れておいた魚や肉、冷凍食品レトルト類は手をつけずに残っている。
 いったい母は何を食べているのだろう。
 「ねぇ、ご飯食べてる?おかずは、何を食べてるの?」と聞くと
 「何だって食べてるわよ。お腹がすけばお煎餅だって食べてるわよ。」
 母は蒲団の中で答えた。
  何となく母の顔が小さくなり、険しい顔つきになったように感じるのは気のせいだろうか。
 ディサービスに行く時に来てくれるヘルパーさんから細かく連絡が入っていたので、
 少し安心した私は三週間ほど実家に行かなかった。
 母の何かが変わってきた。それが何かとは的確には言えないが
 私は母が以前より良い状態ではないのでは?と感じ始めたのだった。
 
  私は、週末に実家に来て食事を作っているはずの妹Aに連絡した。
 「週末の度に、実家に来てご飯作るの大変かもしれないけど。ここ最近も
 来てくれてるの?」
 「えぇ、行ってるわよ。だけど、私も忙しいから土日のどちらかね。土曜日に行けば
 泊まって食事は何回も作るけど。この間も突然怒り出したのよ。
 それでも、ご飯どうするの?って聞いたのに、何も言わずプンとして二階に上がっちゃったから
 そのまま、ご飯なんか作らずさっさと帰って来たわよ。」
 でも、認知症と言うのはね、と話しをしようとすると妹は面倒臭そうに言った。
 「あのね、年寄りなんだからそんな一日や二日ご飯を食べなくたって死ぬ事はないから。
 あなたは心配症で考え過ぎよ。何で何事も起こっていないのに騒ぎ立てるわけ?」
 「あぁ、あぁゴメンね。じゃ又、ご飯だけは、よろしくお願いしますね。」
 「あのね、別にあなたに頼まれなくたって行ってるから。」
 
  電話向こうの妹と私との間には明らかに大きな温度差があった。
 考え方も、性格も違う。たぶん妹は妹なりに母の事を想っているだろう、
 がしかし、食は命を繋ぐ。年寄りだから食べなくても良いと言う理論はおかしな話である。
 栄養が足りなければ免疫力が落ち、しなくても良い病に倒れる。週のうち一日でも二日でも
 食が抜ける事を考えると、母の健康状態に黄色信号が点滅し始めたのだ。
  
  何も起こっていない時にこそ、次の策を練っておくべきだと私は思う。
 もし、母が一人で生活が出来なくなったら?母が動けなくなったら?
 生きている先にどんな事が待っているかは誰にもわからない。しかし、母の身に何か起きてから
 慌てて事を進めても熟慮していない分、余計な心配や不安、混乱を伴ったりする。
 病を持っている親の事をいくら考えても、考え過ぎると言う事はないのだ。
 肌寒くなって来た十月、これからの事をぼんやり考えながら私は最終電車に揺られていた。