母は私に会うと
 「ディーサービスがこんなに楽しいとは思いもしなかった。」
 と何度も言うのだった。
 「娘に感謝しなくちゃって皆に言ってるのよ。」
 と嬉しくなるような事も言った。
 しかし、私が
 「ディはね、毎日はないのよ、週二日だけなのよ。」
 と言うと途端に不機嫌になり
 「そんな事はないわよ!皆、また明日ねって言ったんだから。毎日あるのよ!」 
 と曲げなかった。
  ある日、ケアマネのYさんが二人のヘルパーの方を連れやって来た。
 三台の自転車が家の前に並ぶ。

  新しい場所、新しい人、新しい出来事に遭遇する時、ある種の緊張を伴う。
 それが母に関する事になると、どうしても私は慎重になる。
 ケアマネのYさんは当たりだったがヘルパーの方達はどうだろう?
 当たり、はずれと言うと語弊があるが、これから母がディに出かける三十分前に
 お世話になる人である。相性が悪く、母が臍を曲げ他人が家に入って来るなんて許せないと、
 ディに行かなくなってしまったりしたら、今までの苦労が水の泡になる。老人の気持ちは難しい。
  母もヘルパーさんに会うと言うと
 「なんでよ、又、新しい人を連れて来るってどういう事よ。」
 と怪訝な顔をした。
 「ママがディに行く前にお迎えに来てくれる人よ。」
 と私は小さな嘘をついた。
 母はディから来てくれると信じた途端、顔一杯くしゃくしゃの笑顔になり
 「よろしくお願いします。」
 と頭を下げた。ヘルパーの方達は、二人とも物静かで優しそうな雰囲気だった。

  ディの車がお迎えに来る三十分前に来て、母が何か朝食を取ったか
 鍵はあるか、薬は飲んだか、着替えをバッグに入れたか
 最小限の確認をし、ディの車に乗せてくれる所までの仕事をしてくれる。
 母の日常に少しの安心が増えた。
  ヘルパーの方達もいろいろな方のお世話をしているので、お年寄りの気持ちも
 良くわかっているようだった。
  母が眠っている二階には上がらない、食器棚の中に賞味期限の過ぎたパンが
 あっても、捨てた方が良いとは言うが、自分達は勝手に捨てたりしないなど、
 お年寄りが心を開き信用してくれるようになるには、焦らず話しを聞き、
 ゆっくり物事を進めて行くのが一番問題のない流れなのだと話された。
  明日のディからヘルパーさんが来て、出かける準備をしてくれるだけでなく
 母の様子を見て心配な出来事やおかしい事があったら、すぐに知らせてくれる事になった。
  母のディサービスが軌道に乗り始めたと思ったある日、三軒隣のTさんから
 電話があった。私が実家と自分の家を往復しているので、何かあった時にはすぐに
 連絡してくれるようになっている。
  Tさんが言った。
  「お母さんね、ディサービスが楽しくて仕方がないようなんだけれど。
 毎日あると思ってるらしく家の前で朝から何時間も待っているのよ、雨が降ろうが
 風が吹こうが。それに車も通るから、危ないから中で待っていた方が良いよって
 言うんだけれど、迎えの車が来て自分が家の中にいたらわからないと困るからって
 言う事、聞かないのよ。」
 
  いつも母の事を気にかけてくれるTさんからの有難い連絡だった。
 私は何度もディに行く日は、この日とこの日よ、とカレンダーに○をし、母も新聞やテレビを
 読んだり見たりしていたので大丈夫かと思ったのだが、母は今日は何日の何曜日と言う事が持続して
 記憶されないようだった。
  同じように母は毎日薬を飲まなければならない。一人でいる母にどうやって薬を飲ませたら
 良いかと数字のところに小さいビニールが付いているカレンダーを買い、そこに薬を入れて
 みたりしたが、今日と言う日が母の頭に記憶されなければ順番にいくら薬をカレンダーに入れた
 ところで飲む事ができなかったのだ。
 実家に行ってそのカレンダーを見ると飲んだり飲まなかったりだった。
 もし飲んだのに、飲んだ事を忘れてしまって二度、三度服用してしまったら、どうなるのだろうか?
 と新たな問題が発生した。
 そこまで考えていなかった私は慌てて医師に相談した。
 医師は、そんな事もあるだろうから認知症の老人用の薬は成分は軽めにしてあるとの
 話しで、ほっと胸をなでおろした。
  ディの車を毎日外で待つ母をどうしたら良いか、ケアマネのYさんに連絡する事にした。
 こういう時、頼りになるのは、的確な判断やアドバイスが出来るケアマネさんだ。
 私はもちろんだが母にとっても本当に信頼出来る素晴らしいケアーマネージャーに巡り会った。
 話しに聞くと、いろんなタイプのケアマネさんがいる。
 自分の思う事や聞きたい事が言えない伝えられない、どうしても納得がいかないなど介護している
 人とケアマネさんの相性が合わなければ違う人に変わってもらった方がお互い楽になると思う。
 介護にかけてベテランのケアマネの方だからと言って、自分と合うとは限らないからだ。

  私は、Yさんに言った。
 「母はディが最高に楽しいようで毎日玄関の前で待っているんです!」
 Yさんは、その一言で全てを察したらしく
 「じゃぁ次の策を考えましょう。」
 と言って私と会う日を約束してくださった。 
   母は回を重ねるごとに、ディサービスを心待ちにするようになった。
  その日、皆とのおしゃべりがどんなに楽しかったか、どんなにお風呂がくつろげて
  気持ち良かったか、お昼ご飯の味つけが良く口に合うなど、母と一緒にいるとディの
  話しは止む事を知らなかった。母の目は輝いていた。
   私は、へぇ~とか、それは凄いね、と相槌を打ちながら、普通に質問をしてみる。
  「どんな話しをしたの?」
  と聞くと、いつからか面白い話しをするようになった。
  母は人の名前こそは覚えてはいないのだが、ちゃんと会話は成り立つようだった。

  「私は、とうとう娘に姥捨て山に捨てられるのかと思ったって皆に言ったのよ。
  そうしたら、皆大笑いよ!」
  「えっ?何?姥捨て山?」
  母は又、思い出した様に笑いながら私に言った。
  「ほら、年老いた親を口減らしの為に山に捨てに行くって話しよ。
  あの有名な昔の話。」
  あぁ、あの話しだろうか?
  「楢山節こう」だったか題名の字も定かではないが大昔にテレビで観た事がある。
  それも白黒で本当に古い映画だった。映画では、年老いた母親を荷車に乗せ息子が
  泣きながら冬の山に置きに行くと言う悲しい実話を元に作られた話だった。

   自分が娘によって姥捨て山に捨てられると言う気持ちで、あの初日に車に乗っていたかと思うと
  母には可愛そうな事をしたと思ったが、しかし、なぜ私に捨てられると考えたのだろう。
  母にとってディサービスとは、鬼が待ち構えている恐ろしい場所と思ったのか、
  それとも冬の山に向かう荷車に乗ったおばあさんと、自分をだぶらせ車の中で涙したのか
  今になっても、その時の母の気持ちは察する事はできないが。

   「私を姥捨て山に捨てるのね!って叫んだら、行ってから文句言ってよ!って娘が
  大声で反論してきたの。娘の仕打ちに涙を呑んで諦めてここに来たら、まぁ皆さん
  ここは天国じゃない。娘は、ほら、みなさいって言うしね。皆にその事を話したのよ。
  大笑い。愉快々!」 
  母の話しを聞いていると、最後につじつまが合う様に自分自身で話しを作り
  まとめている事に気がついた。母自身はたぶん話しているうちにこんな風だった、
  と思い込み、そのまま確定し話を続けていく。
  軽い話しなどはかまわないが、認知症を知らないと、嘘をついているとか、自己顕示欲が
  強いとか第三者は思うだろう。
  あえて私は、母の話しの内容を否定する事はしなかった。
  認知症を理解していたのではなく、楽しんで喜んでいる母に、私はそんな事は言った覚えはない、
  言った、言わないのレベルで気持ちを乱す事はやめようと思ったからだ。

   母の話しの中で娘の私がどんなに恥かしい立場になっても、ディのスタッフさんは
  理解してくれるだろうと淡い希望を持った。
  母の報告を受けた時、スタッフはくっくっと何やらおかしさを我慢しながら電話で言った。
  「今度お母様が姥捨て山に連れて行ってくれるとおっしゃって、皆楽しみにしているんですよ!
  娘さんが良く場所をご存知だとか。(爆笑)))」 
  はい、おまかせくださいとも言えず、相手には見えないだろうが私は顔を赤くして
  「はぁ~。」と気の抜けた答え方をした。
  初日の日、母を送りだしてから私は時計ばかり気にしソワソワしていた。
 まるで幼稚園に初めて我が子を送り出す母親の心境に似ていると言っても過言では
 ないだろう。
 ディに着いてから、どういう感じだろうか?いきなり、こんな所に連れて来て!と
 怒り出しスタッフを困らせてはいないだろうか?
 誰かと楽しくおしゃべりが出来ただろうか?
 昼食はちゃんと食べただろうか?
 お風呂は嫌がらず入っただろうか? 

  幸運な事に緊急用の携帯電話は鳴らなかった。
 スタッフだって、介護のプロである。
 いろいろなお年寄りを見てきているのだから、我がままを言おうが、
 帰りたいと言おうがどうにかなだめたり、気を紛らわせたり
 対処してくれるだろう。私は、スタッフを信じた。
 受動的なテレビやラジオよりも人と触れ合っている方が数段良いに決まっている。
 静まっている脳も活発になると私は思った。
 
  しかし、最初は本当に嫌がっていた。嫌がる母を無理矢理私は送り出してしまったのだ。
 4時を少しまわったところでディの方から電話があった。
 「お母様は、本当に楽しそうに、他の方とお話されていました。最初朝の車の中では
 泣いておられましたが、ディに着くと落ち着かれ、お茶を飲んで、お昼も良く
 残さずに召し上がっていました。これから、お家までお送り致します。」
 良かった!本当に良かった!
 母は家に着くなり、ニコニコ笑いながら今日出会った人と楽しく話しをした事、
 お昼ご飯がとてもおいしかった事、お風呂に入って、とても気持ち良かった事など
 繰り返し々話し、その日は、いつもより少し早く深い眠りについていったのだった。
  介護保険もギリギリ間に合い、母を連れオープン間じかのディサービスに行ってみた。
 スタッフの説明にも母は、ふん、ふんと頷くだけで、ここが良いとも、入りたいとも
 反応はなかったが、ただ和風作りの家が素晴らしいと別の部分に興味が湧いた様だった。
 私は、独断でこのディサービスを決定した。週2回火曜と木曜、朝9時半から4時半
 ワゴン車が家の前まで来て送迎してくれる。
 初日、ちゃんと行く事が出来るか確認の為に、前の日から実家に泊まり、手提げ袋の中に鍵、
 ハンカチ、メガネを入れておく。

  スタッフの話しによると、一人暮らしの認知症の方は母の他にもいるが、
 外出準備は皆、一人で出来るようなのだ。
 母の問題はまさしく外に出る時、必要な物を自分で用意出来るかと言う事だった。
 特に鍵が問題で、普通はバッグに入れっぱなしにしたり、引き出しの所定位置を決め、そこから
 持って出れば良いのだが、なぜか母は鍵を移動してしまうのだった。
 それならば玄関にフックを取り付け、そこに掛ければ、スタッフの方が確認し、鍵をかけ持たせて
 くれれば済むのだが、その場所からも母は鍵を外してしまうのだった。
 なぜか、メガネ、鍵、印鑑等、物を移動する。
 たぶん、母の気持ちの中で大切な物を、こんな所に置いてはと移して行くのだと思う。
 そして、その物を動かしている間に記憶が途切れてしまうのだろう。
 バッグの持ち手に紐を付け鈴と一緒に鍵を付け音が出るようにしても、それをいつの間にか
 外してしまうのだった。どんなに外しては駄目と言っても、すぐに取ってしまう。
 しかし、どんなに探しても出てこなかった物が、ひょんな時に母の手に握り締められて
 いる時があるのだった。それは、本当に不思議な事であった。
  スタッフには、もし母が鍵を持っていない場合は庭側から鍵を掛けずに出ても
 構わないと伝えた。泥棒に入られる確率はそれほど高くはないだろう。

 「おはようございます!」
 家の前で明るい声が響いた。
 不安げな顔の母は、優しいスタッフの手を借りながら車に乗り込んだ。
 新しいワゴン車の後ろを見送りながら、ただ、母が楽しい一日を過ごして
 欲しいと願った。
 これで一歩前進したと少しだけ私は安堵した。
 この時期私には、母の事を相談する身内もなく孤立無援の状態であった。