日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために -31ページ目

日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために

日本映画をひとりの男が見続けます。映画はタイムマシンです。そういう観点も含め多様な映画を解説していきます。範疇は作られた日本映画全てです。

歌う不夜城
1957年 東宝
監督:瑞穂春海 主演:江利チエミ、雪村いずみ、宝田明、久保明、越路吹雪

「ジャンケン娘」「ロマンス娘」に続いて作られた総天然色ミュージカル篇。といってもミュージカルのところは日劇や東宝のステージでの舞台である。その部分とドラマ部分のつなぎはすこぶるテンポが悪く。日本の大衆演劇の流れのようである。そして、一貫性のない出し物の羅列も今のテレビのバラエティの作りにつながるやぼったさがある。いまだに日本にミュージカルが定着しきれない理由はこのあたりにあるのだろう。とはいえ、江利と雪村の歌は絶品であり、それを十分にいかせなかった日本というものを考えてしまったりした。

江利と雪村は大ステージめざしてオーディションを受けていた。二人共受かり、スターを夢見て特訓中。しかし、大企業の社長の江利の父(若原正雄)は江利が踊りをやることに大反対。婚約者の江原達怡に彼女をやめさせるようにいう。そんな彼に追いかけらる雪村と江利を救ったのが見知らぬ青年(久保明)だった。彼女たちは教会の少女を慰問していたりした。次のデビューは雪村だとうわさされていたが、ふたを開ければ江利になっていた。すべては若原の仕業だった。江利を舞台にだし、新聞社に悪い記事を書かせやめさせようとしたのだ。だが、結果は江利のステージを見た新聞社は絶賛の記事を書いてしまう。そんな若原の策略を知ってしまう江利は次の舞台の前に怪我をするふりをする。江利のかわりにこんどは雪村がステージにのぼり喝采を受ける。江利は舞台をやめて若原と一緒にアラスカにいくと言い出す。だが、江利をまたステージに戻したのは久保だった。久保は若原に雇われていたのだが、江利にやりたいことをやるようにステージに送り出す。雪村と江利のステージを若原は見つめていた。

映画の最初と最後に越路吹雪のステージがでてくる。当時の東宝の舞台で稼ぎ頭だったのではないか。あるいみ日本人離れした容姿とその歌声がファンの心をつかんだのはよくわかる。映画の四分の一程度がステージシーンである。当時の日劇と思われるステージでのラインダンスやさまざまな出し物でその雰囲気がよくわかる。まだまだテレビの普及しきっていない時期、こういう興行が日本のもっともはなやかなものだったということだろう。

そのステージは一級品とはいえ、やはりMGMのミュージカルのようなものではなく(かなりそれを意識してはいるが)日本的な陳腐なものと言わざるをえない。カラーなので色彩にはこっているが、結局映画的なつなぎができずにカメラが動かないのがなにかやぼったさばかりが目に付く感じなのだろう。

そして、娘をやめさせようとする父親の話が特におもしろくもなく、誰に向けて作られたのかがよくわからない。当時の三人娘のでている映画は似たようなものが多く、子供も楽しめるようにと作った感じがなにかパワー不足の原因という気もする。子供を子供として使うと成功しないということだろう。というか、日本人には、こういうものを作るスピード感というものが全くなかったのだろうが・・・。

だが、江利と雪村の歌はさすがである。特に雪村が部屋で落ち込んで歌う「ハートブレイクホテル」などは、この映画の子供的な部分を吹き飛ばす感じだった。でも、二人共、いまひとつ日本人体型なのが特に画にしても前に出ない理由だろう。江利などはいいかた悪いがちょっと漫画のキャラクターのような感じだものね。(サザエさんの体型ではないよ)

彼女たちの周辺を走る久保や江原など男優陣との恋物語があまり中心に書かれていないのはやはりアイドルだからなのか?いろいろと中途半端なのだ。

それに対比して、宝田明と中田康子のカップルがでてくるが、こちらは大人の感じがでている。ということは、やはりチエミ、いずみのファンはかなり下の層と考えられて作られているのだろう(実際、彼女たちをおばさんになってからしか認識していない私にはよくわからないところである)

そのもっと下の層のためになのか、子役の松島トコ子がでてくる。父親の田中春男に連れられ、宝田の前で「歌を聴いてください」と歌いだすが相手にされない役だ。特に面白くはないのだが、これが数回続くとこの映画の中では印象に残ってしまうから不思議である。

その松島もステージを踏むラストは、舞台を次々にさまざまなジャンルの人がでてくる施行。有島一郎と三木のり平のコントなどいらぬものまででてくる。珍しいのは小坂一也とワゴンマスターズ。ウェスタン歌手時代の彼が自分のバンドで歌う姿はここで初めて見た。かなり貴重だと思う。

悪い言い方をすれば学芸会に毛が生えたような品になってしまった感じであるが、まあこれでも当時の三人娘のファンは楽しめただろうし、カラー映画というのはこれでも客をよんだのではないかと思う。
海外ポップスが日本で受け入れ始めた頃の時代背景を考えながら見たりすれば、少し興味はわく一本である。


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万事お金
1964年 東宝
監督:松林宗恵 主演:坂本九、星由里子、浜美枝、平田昭彦、有島一郎

源氏鶏太原作のお金に関わる婚約騒動記といったところ。この映画封切りが1964年の10月14日である。まさに東京オリンピック真っ只中の封切り。ほぼ、観客は入らなかったのではないかと思われる。(あくまでも私の予測)でも、オリンピックをやっているころには高度成長で「金、金、金」の世の中になっていたということなのか?あくまでも、幸せは金だという話の末に・・・・という感じの映画である。

坂本は星と恋人関係にあったが、星が資産家の平田と結婚すると言い出す。平田は女をとっかえひっかえで何人もかこっているといい、あまりいい評判がないが、星の親たちは金が入ると大乗り気。振られた坂本のところにも社長の有島がお見合い話をもってくる。取引相手の娘(浜)と結婚して会社を救ってくれというのだ。坂本は乗り気でなかったがお見合いをする。そしてその見合いをする店に平田と星がデートで現れて気が気でない。だが、浜も実は好きな男がいて坂本を利用しようとしていたのだ。親(伴淳三郎)から金をもらったら好きな男と逃げるという。そのために一千万という金をちらつかせ坂本を口説く。星がどうにもならずに坂本は浜の話を受ける。しかし、しばらくたって伴が仕事で失敗して100万円しかないといいだす。それでもいいかと坂本は気があってきた浜と本当に結婚しようと思うが、浜は金を一銭もおとさずに好きな男のところに去ってしまった。ひとりぼっちの坂本の前に、やはり話が破談になった星が現れる。ふたりはもとの恋人に収まった。

恋か金かという選択をせまられる若い男女の話。坂本九が東宝の二大美女と絡むなかなかうらやましい映画。とはいっても、色っぽいところは、浜と軽いキスをするところくらいである。坂本は歌を歌うわけではなく、全くの三枚目というところ。でも、飲み屋のマダムの市原悦子までモーションをかけてくるのだからなかなかもてる役ではある。

そして、金が降ってきそうな感じが続き、結局はすべてが流れて、恋心だけが残るというまあ、単純な話である。ということで、見所は、浜と星の女心のあらわしかたか・・・?

坂本のライバルの金持ちの平田も最初の30分くらいは姿をあらわさず、坂本と一騎討するような場面もないので男の映画ではない。あくまでも女が坂本を振り回す映画である。ということで、浜と星の映画なのだ。

個人的には浜のほうが体も雰囲気も色っぽさがすきである。スタイルも断然浜の方がいいわけで、星はおとなしすぎる感じがする。そういう意味ではふたりのキャラクターははっきり違うようになっているし、そのあたりは映画としてわかりやすい。

有島や伴淳などがわきを固めているので、まあ安心してみていられる東宝サラリーマンもののいっぺんというところか?星の母親役の浪花千栄子の金欲しい感じがいつもながらに光っている。

とはいえ、あまりひねりのない一作である。1964年の東京なのだが、あまりオリンピックも含め、それらしいものがでてこない。そのあたりもおもしろくない。

ある関係
1962年 大映
監督:木村恵吾 主演:船越英二、淡島千景、三木裕子、大宮敏充、菅井一郎

佐野洋原作の小説を木村監督自ら脚色した作品。映画のテーストはヨーロピアンな感じの不倫破滅劇。話はシナリオの習作のようなシンプルなものだが、なかなかよくできた小品である。それでいて随所にいい役者が使われているので画面全体に重厚感があったりもする。この程度のものを今のテレビで撮ったら傑作と言われるかもしれない。なかなか時代を超えて見ても味わいがある一作だ。

船越と淡島は夫婦で淡島のいとこの三木を待っていた。三木に縁談をすすめるためだった。そんな三木は実は船越と深い仲だった。三木がこの家に下宿しているときに船越が無理やり犯して以来、ふたりはそういう関係にあった。この日も帰る三木をおいかえて抱擁した。ふたりは待合で日々会う仲だったが、もっと時間が欲しかった。三木は薬剤師で勤めていた薬屋ではそれなりに自由に過ごしていた。そんな中、淡島が友人と熱海に一泊でいくという。船越は許す。三木はふたりの自由な夜ができるとかんがえる。そして、淡島から旅行用の歯磨き粉をたのまれた三木はある事をかんがえる。淡島を殺そうと思ったのだ。そして渡す歯磨きのチューブに青酸カリを注射で打ち込んだ。同時に船越も同じことを考えていた。船越は二日酔いの薬だと淡島に青酸カリ入のチョコを渡した。そして淡島はでかけ、次の日、船越の会社に電話がかかってくる。淡島が死んだという。それも自殺だと。三木と一緒に駆けつける船越。淡島は心中をはかっていた。そして、飲んだ青酸カリはふたりが仕込んだものではなかった。まあ、結果オーライでその旅館で二人で楽しもうとする二人。三木が温泉につかっているうちに船越は淡島の荷物の歯磨きを使って葉を磨こうとした。船越のいない部屋に帰ってきた三木は歯磨き粉をさがすが見つからず、中に入っていたチョコを食べた。ふたりは別々に倒れて死んでいった。旅館と警察は迷惑顔で処理に急いだ。

まあ、因果応報という感じの話であり、そのかけひきが面白く描けるかというのが鍵になる。そのあたりは、ここでの木村監督の演出はかなりさえている。80分弱の小品でもあるが、無駄なシーンがなく一気に見せてくる感じはかなり秀逸だ。そして、構図もかなりこっていて、観客が彼らの秘密を覗いている感じがとてもよい。

淡島の愛人が最後まで顔さえわからないのも無駄がないところで、映像で船越と三木の心理をいかに捉えるかを追求した感じなのが良い。映画のお手本的な部分が多々ある。

そして、淡島千景をこんな役に使う贅沢さも光る。他に三木が務める薬局の主人役の大宮敏充(デン助です)や刑事の菅井一郎、旅館の主人の松村達雄など、芸達者が脇をしっかり固めているところも映画を重厚にしている。

そこに加えて船越の大映的なねちっこさが生きている。相手役の三木裕子という人は、この時代に20本くらいのえいがにでている人だが、あまり特徴がなく残らなかったのだろう。とはいえ、芝居はなかなかうまい人だ。そんなふたりの破滅劇は最後まで緊張感をもってすすみ、最後に気が抜けた瞬間に彼らに不幸が訪れるという図式は観客をなにか満足させる作りなのだ。

今のテレビドラマのサスペンスがこういうシンプルな作品を作ればかなり傑作と言われるだろう。最近のドラマは脚本に無駄が多すぎるのだ。

あまり見る機会はないとは思うが、こういうヨーロッパ映画的な洒落た不倫劇サスペンス、私は嫌いではないし、時代を超えて受け入れられる作品だと思う。機会あれば、是非!