やがて夏休みになった。省三は毎朝5時頃起きてジャイアンツの選手がトレーニングしていた近くの公園の周りを1時間ほど走った。8月下旬巨人軍は来た。若い選手が去年より2、3名増えていたがレギュラーの選手は変わりなかった。若手の選手は公園の周りを1周してから武庫川の土手を十数名で走っていた。省三も選手の後ろについて走った。選手たちも軽いジョギング程度なので省三も後れながらでも何とかついていけた。
「きみ、去年サインをしてあげた子だね。我々の走りによくついてこれるね。何年生だ?」選手たちは省三のことをよく覚えていてくれた。
「小学6年です。あれから毎日小学校の校庭を15、6周走っています。夏休みになってからはこの公園の回りを走っています」
「この調子で走っていたらいい選手になれるよ。がんばれよ。」
このように気軽に声をかけてくれたのは後年レギュラーで活躍する柴田勲選手だった。
そして将来省三の作った赤いバッテンググローブをしてテレビで見せてくれた最初の選手だった。又青い稲妻というニックネームで活躍した松本匡の青い手袋も、張本勲選手の黒い手袋も省三が作り出すのだがこの6年生のときの選手に抱いた憧れが省三の人生の大きな柱となったのだった。そしてプロ野球選手が雲の上の人だったのが地上で一緒に汗を流す身近な存在になって来たのであった。現在アメリカのメジャーリーグで活躍している松井秀喜、イチローの手袋も省三が開発したものだった。
~第34話に続く~