いまだ走れず・・・。
市民ランナーというのは、基本的には普段の仕事などをしながら「趣味で」走っている人たちのことなので、「まあ、そのくらい・・・」ということもあるのだろうが、この正月は、まったく走れずとても残念な結果になってしまった。
例年ならば、箱根駅伝の選手に負けじと、駅伝真っ最中でも走っていたのだが、今回は「お腹の病」。
気分が悪く走れない。
食欲がない。
食べたあとも腹が痛み、トイレからも離れがたい。
そして、食べる量もぐっと減るので体力も落ちてしまい(体重がしっかり減ってくれるのはありがたいのだが)、走る気力も減衰してしまう・・・
ということで、通常の風邪とは違ってけっこうダメージが大きく、意外に長引く。
多少の腹痛だったら、走ってもいいか?と思うのだが、いまだ、すっきりしないと不安もあり走る気力がそがれてしまう。まったく。
結局、1月も5日もたつのに、たったの10km。
今月末は、「館山」です・・・。まいったな~。
今日のお昼は、パンなどにしてなんとか腹痛も収まってきたようなので、明日こそは走っておきたいが。
「駅伝版 ルーキーズ」を見た!
2010年のお正月。
元旦は朝から初日の出を見に行くなど、元気いっぱいだったのだが・・・年末の忙しさや、寒さの中でのランで油断をしたのか、どうも「腹風邪」にあたったらしく、2日からほぼ寝込み状態。
結局、走ることはままならず、箱根駅伝観戦がメインとなる。
2日往路。自宅はR15の目の前であるので、当然、ダウンを着込み応援に向かう。
2区の中継所を過ぎたら、ほぼ15分程度で来るだろうと予測はしていたが、やはり思ったとおり。
あっという間に、走りぬけていく。
もう、ダニエルなんて速くて、カメラが追いつかず、結局こんな写真↓
目の前を通り過ぎたとおもったら、カメラが追いつかず後ろ姿しか追えなかった・・・。
そして、東海大のスーパールーキー MURASAWA!
かっこいい!
結局、往路も総合も「新・山の神」柏原がいる東洋大学という結果であったが、しかし、東洋大学のことをよく調べると、こりゃまさに、駅伝版「Rookies」!(以下、その記事)
第86回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根・芦ノ湖-東京・大手町)は3日、復路(5区間109・9キロ)が行われ、東洋大が圧倒的な強さで2連覇を達成した。2位に3分36秒差でスタート。一度も先頭を譲らず、通算11時間10分13秒で2年連続2度目の総合優勝を果たした。総合連覇は02~05年に4連覇した駒大以来。就任1年目の酒井俊幸監督(33)は97年の神奈川大・大後栄治監督の32歳に次ぐ史上2番目の若さで優勝監督になった。最優秀選手は山上りの5区で区間新をマークした東洋大の柏原竜二(2年)が2年連続で選ばれた。
10人の汗が染みこんだ鉄紺のたすきが、2年連続トップで大手町のゴールに戻ってきた。「よっしゃ~」と叫んだアンカーの高見が歓喜の輪に埋もれる。酒井監督の体が部員の手によって3回、空に舞った。「大手町で胴上げされるのは非常にいいものだと思いながら空を見ていました」。初優勝の昨年は大会前に部員が不祥事を起こし、川嶋監督(当時)らが引責辞任したため胴上げを自粛。2年分の思いを込めた歓喜のシーンだった。
昨年の箱根で監督代行を務めた佐藤コーチの要請を受け、福島・学法石川高の教員を辞めて母校の監督に就任。1年目で頂点を極め「プレッシャーはありました。何よりも(高校に)教え子を残してきたから…」と言って大粒の涙を流した。
往路の5区で柏原がつくった3分36秒差の貯金を最後まで守り切った。6区の市川(1年)は5キロ付近で左足親指のつめが割れたが「みんなが待っているので関係なかった」。泣き顔で激走し、区間9位と奮闘。7区の田中(2年)は区間賞で2位との差を4分27秒にまで広げた。全員が区間10位以内と大崩れのない完ぺきなレースだった。
酒井監督が就任したのは箱根制覇から3カ月後の昨年4月。川嶋前監督はシドニー五輪マラソン代表。選手時代に箱根では目立った実績がなく、大学での指導歴もない新米監督と日本一を経験した部員との間には距離があった。高見は「年齢が近くて、戸惑いが生じていた」と振り返る。33歳の青年監督は、その距離を日々の努力で縮めた。
前監督時代は実力によって2グループに分けられ、主力組しか監督の指導を受けられなかったが、59人の部員全員と面談を行い、各自に合った練習メニューを配布した。埼玉県川越市内の寮の近くにつくった全長800メートルのクロスカントリーコースの草むしりも率先して行った。そんな姿を見た部員たちは「何とかしなきゃと思った」(柏原)と徐々に心を開いていった。メンバー入りのチャンスも平等に与えた。競争意識が高まり、昨年10月の出雲駅伝で区間賞の川上(2年)、箱根を2度経験した釜石(4年)が箱根のメンバーから外されるほど層は厚くなった。
4年にして最初で最後の箱根を走った工藤は「柏原に勇気をもらい、伝統のつなぎと安定感で恩返しできた」と感慨深げに話した。「東洋大は柏原だけじゃない」とは田中の言葉。酒井監督は「来年はもっと強くなる」という。“新・山の神”柏原を中心に次の世代も育っており、東洋大の黄金時代が到来しそうだ。
◆酒井 俊幸(さかい・としゆき)1976年(昭51)5月23日、福島県生まれ。学法石川高から95年に東洋大入学。箱根駅伝は1年時に3区区間11位、2年時に7区区間12位、3年時は1区区間13位、主将の4年時は故障で欠場。99年にコニカミノルタに入社し、全日本実業団駅伝3連覇に貢献。05年から4年間、学法石川を指導し09年4月に東洋大監督就任。
<東洋大連覇まで>
▼部員逮捕(08年12月1日)2年生部員(当時、事件直後に退部)が通学途中に電車内で、女子高生の下半身などを触った疑いで逮捕される。
▼監督辞任(同3日)川嶋伸次監督と川野祐司部長が引責辞任。関東学連特別審査委員会で、箱根駅伝出場は認められる。
▼箱根初優勝(09年1月2、3日)佐藤尚監督代行が指揮を執り、5区の柏原の活躍などで、67度目の出場にして初優勝。
▼新監督(4月)酒井俊幸監督が就任。
▼出雲3位(10月12日)柏原が1区で区間2位、川上が4区で区間新の活躍で、チーム史上最高タイの3位となった。
▼全日本2位(11月1日)柏原が1区で区間2位となるなど、チーム史上最高の2位となった。(スポニチ)
柏原選手も、酒井監督も、自分と同じ出身ゆえ身近さを感じるが、それ以上にこのひたむきな姿勢がまさに「Rookies」や、「風が強く吹いている」に通じるように思う。
そして、シード入りした青学も同じ。
青学大が8位に入り、69年の9位以来41年ぶりのシード権を獲得した。最終ランナーの鈴木(3年)がゴールすると、チームメートから歓喜の声が響いた。原監督は「今回はシード権を狙うと、ずっと言い続けてきた」と、有言実行に胸を張った。
往路を終わって9位につけた。シード権は上位10校に与えられる。11位とは2分18秒差。一時は日体大に抜かれ10位に転落した。しかし、一般入試で入学した10区の鈴木が踏ん張った。1年時に500メートル走るだけで脱落していた男が「負けるわけにはいかない」と奮起。終わってみれば往路の順位を上回っていた。
昨年、33年ぶりに箱根に戻ってきたが、第85回記念大会による3校の増枠に、予選会で最後の1枠に滑り込んだ。今年は通常の20校枠に予選会8位で胸を張って出場した。
6年前に、校内で、陸上部は野球やラグビーと並んで強化部指定制度を適用された。
それまでは、部員は「茶髪にピアスにパーティーざんまい」(原監督)。しかし、強化部指定以来、寮生活で規則正しい生活を心がけた。その地道な努力が、ようやく実を結んだ。
勝つためには、そんなひたむきさが必要なのだ・・・。
自分も、早く体調を直して走りたい・・・。(クク・・・ク 腹が痛て~~~)(涙)
今年も、ありがとう!
今年も「紅白」を見ながら、何のことのない大晦日を過ごせています。
まずはその事に、感謝です。
仕事は12月が年度末なので、何はともあれ一年の終わりを、ほっとしながら過ごすことができるひとときでもあります。
今年は年間3650キロを目標に走ってきましたが、残念ながら、夏場の不調と、多少の根性無しの性格が影響し、3200キロと、昨年3400キロからも大きく後退してしまいました。
ただ、その中でも、ウルトラマラソンではなんとか12時間も切れましたし、まだまだフルもハーフも記録更新はかなわなかったものの、走る仲間も増え、ランナー仲間との交流も増えました。
走る練習ルートもいくつか開発し、走りそのものを楽しむことができました。
そして、とうとう半世紀を生きました。反省すべきことは数えきれない。
ただ、それは自分の「生きざま」であり、間違いのない、間違いようもない生き方だったと思っています。
これからも、一歩、一歩、前を向いて、足を踏み出すしかないでしょう。
信念をもって。
今年も一年ありがとうございました。
また、来年のこの日も、のんびり「紅白」をみながらくつろげることができますように。
皆さんにとっても、最高の幸せな年になりますように!








