守破離(しゅはり) その2 | 鈴木 彰の ミドル・シニアランナーのためのランニングブログ

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@runnerのCEO、e-Athletesヘッドコーチの鈴木彰が、なるべくプライベートな部分は避けつつ、主に概ね40歳以上のミドル・シニア(中高年!)ランナー向けにランニング関係のあれこれを綴ってみようかなってとこです。

 渋谷パルコで「ピカソ愛と芸術の版画展」をやってますが、ここで展示しているのは、晩年の、あのお馴染みの抽象的な作品がほとんどのようです。


 一方、箱根の森美術館では、ピカソの若い頃のデッサン画が常設されています。誰がどう見ても普通の~てか、しっかりとした基本に基づいて描かれたデッサンであって、あのピカソも、若い頃は、こうやって修行をしてたんだな~ってことが分かります。最初っから抽象画を描いていたわけではないってことですね。


 「守」は、基本の習得。 

 「破」は、基本からのアレンジ。

 「離」は、独自の境地に達すること。


 ということで、いうまでもなくピカソは「離」の域に達しているわけですが、その過程では、しっかり守→破→離 の過程を歩んでいることになります。


 第二のピカソを目指し、子供の頃から抽象画の英才教育をしたってダメなわけで、神童が大人になると、ただの人になってしまうのは、どの世界でも同じことなのでしょう。



 ランニングのトレーニングに決まりはないとか、100人いれば100通りのトレーニングがあるとか、そういうことがよく言われたりもしますが、それは、この守→破→離 の過程で無数に枝分かれしていくことによるものです。


 まあ、なかなか「離」の境地に達するものではありませんが、「破」くらいまではアリで、更に「破」のマイナーチェンジとなると、無数に広がっていくのは確かですね。それを「100人いれば100通り」と言うのならそうかも知れませんが、そのほとんどは、いずれかの「破」からの派生であり、その「破」は「守」に基づいているものです。

 

 例えて言うならば、武道や武術に流派があり、それぞれの流派が指導者ごとに道場を持っているようなものです。そこに「同じもの」と「違うもの」が混在するわけですね。