その狼は彼らの頭目のようで、右目を失って独眼だった。
菊之介は半分太刀を抜きかけたまま、狼から目をそらせなかった。
彼は菊之介に近づくと、くーんと鳴いて、菊之介の太刀を持つ手をなめ、さらに顔をぺろぺろと舐めた。
菊之介は狐につままれたように、しばらく動けなかった。
狼は尻尾を振り、何度も菊之介の顔を舐めてくる。
菊之介は少し落ち着いてくると、狼の顔を手で挟むようにした。
「おまえ、だれなんだ。どうして、わたしを」
独眼の狼に知り合いはいないはず。
そう思いながらしげしげと狼の顔を見つめる。
もとより覚えがあろうはずが
「おまえ、まさか!」
菊之介は一年以上前、怪我をした母狼と、子狼を助けたことを思い出した。
「おまえ、あの時の狼か、あの子供だった」
狼はくーんと鳴いた。
「母は、母狼はどうしたのだ?」
狼に人間の言葉がわかるのか、彼は悲しそうな目で下を向いた。
「そうか……やはり、死んだのか」
菊之介はしみじみと狼の体を見た。
眼だけではない。傷だらけだ。この独眼といい、ひとりになった彼が、この山で生き抜いてゆくのにどれほど大変であったのか、容易に想像できた。
菊之介は狼を撫でながら
「兄上もいるのだぞ。
ほら、あの時うさぎや山鳥を獲ってきてくれた兄上だ。
会ってくれるであろう」
と言って立ち上がった。
大悟は菊之介の帰りが遅いので不安にかられてきた。
ロンの一件以来、太刀使いも磨きがかかり、武人らしい潔さも出てきた菊之介だった。
しかし、所詮は城育ち、いわゆるお姫様だったのだから、山育ちの大悟とは鍛え方が違う。
危機に対する処理能力も、菊之介にはまだまだ心配なところがあった。
大悟が思い余って探しに行こうとした時、少し離れたところから歩いてくる菊之介の姿を認めた。
しかもいっしょに来るのは狼ではないか。
大悟がどうするべきか迷っていると、
「兄上!」
と、菊之介が手を振った。
「兄上、この狼を覚えていますか?」
菊之介が指さしながら、狼と走って来た。
続く
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