中山道歩きでは行くことが出来なかった伊富岐神社に向かいます。
水色の線が今回歩くルートで今は赤矢印のここにいます。
この航空写真の一番下の方、東海道本線の下に並行して続くのが旧中山道。
東海自然歩道はちゃんとこの伊富岐神社を押さえているんですね。
また小雨降ってきました~!
社標からは非舗装でいにしえの参道がのこっています。
鳥居跡。
歴史ある二の宮としてはやけにあっさり解説板でアピール不足では。
普通は創建やら祭神やらいろいろ書いてありますよね。
神橋はもちろん渡らずに。
森を後ろに控え静かな表情。
関ヶ原合戦で消失したとのことで、信長に焼かれたのでなくて尾張民としてはホッとします。
これが伊富岐神社の大杉!
比較的下からいくつもに分かれる樹形は珍しいです。
この木はどんな歴史を刻んできたのでしょうか、関ヶ原合戦も見おろしたのかも。
社務所も見ほれる造形です。
そしてトイレをお借りしようと足を向けると・・・あれ?
向こうになんだか石柱が・・・?
急ぎ足で向かいます。
おーっ!・・・道標じゃん!!!
しかも3本も並んでます。
ホントは元からある場所で見たいのですが、残るだけでも失われるよりは良いですしね。
出来れば元あった場所の記録が残っていてほしいのですが。
何はともあれ鑑賞を笑。
手前から見てきますよ~!
右 垂井
左 岩手 大滝 道
御大典記念 大正四年
2本目は・・・。
右 岩手道
左 野上道
左 関ヶ原道
・・・御大典記念 大正・・・四年でしょうね。
3本目はと。
右 関ヶ原
左 野上 道
右 岩手道
左 岩手道
・・・・・・そして御大典記念 大正四年、お前もか笑。
この地域、どれだけ大正天皇即位を祝ったんだろうか笑。
神社なんかの奉納石物では御大典記念はちょいちょい見かけますが・・・。
何はともあれとんでもなく大収穫の伊富岐神社参拝でした。(個人の感想です)
伊吹集落を出るとまた農地を貫く道が次の町まで続きます。
町はずれにお堂が並んでます。
手を合わせて覗き込むと馬頭観音さま。
うっすらと彩色が残っていて、昔は鮮やかな色彩だったのかと思えます。
それもちょっと見たい、だれか絵具持ってきて!
伊富岐神社で一旦分かれていた東海自然歩道と再び合流しました。
眼前にはようやく青空が見えてきました。
振り返ると・・・真っ暗な関ヶ原方面、ですがここまで逃げ続けてきてようやく雨雲から逃れられたようです、やれやれです。
整地された直線区間は残念ですがしばらく歩けば曲線を描く道が集落に流れ込んでいきます。
旧岩手村の中心集落に入ります。
蔵が並んでて入り口からなんとなく大きな集落です。
廃材になって寝っ転がっていますが「木の電柱」を久しぶりに見ました。
昔はたくさん見かけましたがめっきりというか、全く見かけなくなりました。
石垣の奥に赤い鳥居、この土地は元はなんだったろう。
こんな感じの大きな敷地の武家屋敷とかがあったのかもしれません。
竹中陣屋があったのだからこのあたりの中心的な町だったのでしょうし。
洋風テイストの理容店さん。
そういえば道路に面してない袖壁並びは見たことなかった、歩いてるといつも道路側からしか見ないからかな。
火の見櫓、屋根の反り返りデザインが特徴的で面白い。
赤報隊顕彰碑というものがありました。
幕府側だった竹中家は官軍側に下り、主家のために幾ばくかの家臣を赤報隊に参加させたものの、
その後の情勢の変化で偽官軍側にされてしまったこの地元の人たちの名誉を守って残したいといった趣旨の内容でした。
ちょっとこの景色!
いろいろありすぎて何から手をつけようか笑。
竹中半兵衛さんの地元に着きました、ここは来たかった場所なのでテンションアップです、続きます。