岐阜市内の古民家を見て歩き、その①、御鮨街道を北へ。 | 歩いて走って登って、毎日ビールか日本酒。

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・・・ついつい今日もまたビール&日本酒をグッと。

 

名鉄岐阜駅。

今日は岐阜市内に残る古い町並みを探して歩きます。

岐阜市内は戦災でかなりの範囲を焼失しています。

しかし北部(岐阜公園あたり)は比較的被害をうけなかったエリアです。

 

国立公文書館デジタルアーカイブ

ここに全国の都市の戦災地図がありました。

古い町並みの残る町を探すヒントになりそうです。

他にも江戸時代の国絵図なんかもあって興味深いサイトです。

 

人気の川原町はその代表ですが今まで岐阜に行った折、住宅地にも古い家が点在しているようなので気になってました。

今日はスマホの地図を頼りにノープランで岐阜市古民家探索散歩です。

 

まずは岐阜駅エリアから御鮨街道(岐阜街道)をたどり市街地北部まで移動です。

この御鮨街道は7年前に歩きました

歩き出してすぐに解説板があります。

嬉しいことに岐阜市、なかなかの御鮨街道推しなのです。

 

この解説板、街道沿いにいくつも立っています。

 

道は直線的に北に向かいます。

 

ん?

 

カラス無茶するな笑。

 

商店街的、いや問屋街的な通り。

 

 

ああどうしてこうなったぺちゃんこな家が笑。

捕まった宇宙人みたいです。

 

仏具神具のお店が増えてきました。

市街地東端のエリアは伊奈波神社や橿森神社があり、

さらにお寺がたくさん集まってる寺町っぽいエリアなのでこうなったのでしょう。

 

道標がある角を橿森神社に。

 

 

 

入ってすぐに岐阜信長神社。

 

いろいろ盛りだくさんなのですが、個人的には石物に注目です。

明治42年寄進の石物。

篝火みたいなのをつるすものと思うのですが、文字を読むと・・・。

「笹五呉服店員」奉納。

 

で、その下に名前が。

久七 修七 幸七。

源七 大七 新七。

名前がそろってる、源氏名、しこ名的なお店での名前?

でも寄進してるくらいなのでお金はある程度ある下っ端丁稚奉公人ではないような気もするし。

笹五呉服店もググってもわかりませんでした。

 

 

 

同じ明治42年のこちらは「法学士 藍川清成」とあります。

藍川さんはググるとすぐ出てきました

国会議員の後、名鉄や中電など名だたる中部の企業の社長を務めた大物でした。

 

橿森神社を出ると、御鮨街道に並行する一本東の道を進みます。

 

レトロボルボ。

 

だんだん良い道になってきた。

 

 

古民家食堂があっていいにおいがしてたけど、まだのれんが出てなかった、残念!

 

 

お寺が集中している寺町的な場所に出ました。

 

 

 

謎のモニュメントのある上宮寺。

 

 

浄土寺の門前には記念碑。

 

ロダンの作品のモデルをした、森鴎外の小説のモデルにもなったという花子(太田ひさ)さんという女性の記念碑。

存じ上げませんでしたがほんと波乱の人生です。

 

一度御鮨街道に戻り、街道歩きの人が必ず写真に残すうだつの上がってる大きなお屋敷を見て。

 

 

また山沿いの道に戻りとふらふら無計画に進みます。

ホント山ギリギリの家たち。

 

山ギリギリの稲荷さん。

 

「境内官有地第一種・・・」

そういえば、全国のこんな零細な地元神社って地権的にはどうなってるのでしょうか?

 

お昼になったので、御鮨街道沿いのうどん屋さん、高松屋さんで冷たいうどんをいただきます。

やや暑くなってきたのでひんやり美味しいうどんをいただきました。

 

これは御鮨街道。

 

ショーウインドーのタイルが素敵な古民家宝飾店。

 

中には「本日分賣切申上候」という木の札。

「賣」という文字、「買」の旧字かと思って調べたら「売」の旧字なのでした。

「本日売り切れ」ということか、でも宝飾店でどんな場面で使ったものなのか?

 

有形文化財としての古民家も残ってます。

 

 

伊奈波神社参道にも面白い古民家がリニューアルされて現役で頑張ってます。

 

伊奈波神社参道と、岐阜善光寺。

このあたりから岐阜公園、金華山ロープウェイ、川原町など観光地に近くなってきて、

飲食店とかもだんだん増えてきます。

 

そして古民家も多いエリアに入ってきました。

 

 

 

 

すしのこ。

 

 

これは元何の建物だったのか、看板と飾り板。

 

 

このあたりは街道というよりは城下町です。

 

観光マップ、お寺だらけなのがわかります、そして御鮨街道のルートも記載されています。

観光地の川原町ではなくちゃんと御鮨所跡が終点になってるのも街道歩きマニアックです。

これからこの地図の「現在地」を中心に縦横無尽にほぼノープランで歩きますよ。

 

 

赤ラインは御鮨街道、ここに巨大金華山道道標。

これはホント大きくて車で通る人も容易に見られます。

 

 

明治45年、岐阜市大佛町 、繭糸屑物商 村瀬さんの建立。

それで今、この道標の村瀬さんの事を調べていたらこのあたりのことにとんでもなく詳しいページを見つけました!

PDFで153ページもあり重いですが、岐阜新聞社発行「岐阜町金華の誇り」という本がwebに!

情報量が多すぎて頭に入りきらない・・・。

この日見かけた古民家や寺社、道標とにかくてんこ盛りの情報で、今から読んでみます!

 

 

そして上の場所から北に御鮨街道に入ってすぐのこの場所。

 

この場所にきてやっぱりあたりを見回してもお地蔵さまはいません。

7年前に見つけた道標地蔵さま

もう一度挨拶しようとうろ覚えの場所を出発前にストリートビューで探したのですが、見つかりませんでした。

↓こちらが当時の写真。

 

 

谷汲道 かし渡?(河岸渡?)大佛道かな。

 

ストリートビューの「他の日付で見る」のタイムマシンで探して見てみました。

するとお地蔵さま、写真の後ろの古民家が2015年~17年の間になくなり更地になったあとも路傍に置かれていましたが・・・。

しかし2019年にいなくなってしまいました・・・。

こうしてまた一つ歴史の証人が消えていった・・・涙。

 

ここから本格的にうろうろします、続きます。