父から聞いた戦争の話 | ゆるゆるくらそ

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 ~みっこけの ひとりごと~

くもり

今朝のベランダ気温29℃

雲り

 

このところホントに大気不安定

雨が降ったり止んだり…そして雷

空も忙しそうです

 

音譜

 

先日、NHKドラマを観て、父から聞き思い出した話を・・・

 

私の記憶が怪しくならないうちに

聞いた話を書き留めておこうと思いました

 

 

 

 

父は新潟の海辺の小さな町に生まれ育ちました

 

浜にいるとアメリカ軍の戦闘機の操縦士の顔がわかるくらい

低空を飛んでくることもあった

 

東京から疎開で来た子供たちは旅館に泊まっていた

食料は乏しかったらしく

お腹がすくから畑へ連れていってくれと言われ案内すると

貪るように食べて取れるだけ取ってしまうから、すぐにバレちゃう

作物が育つまで時間がかかること

少しずつにした方がバレないこと

教えても、お腹空いてたんだな~誰も聞かなかったと

 

海と山があり食べるものは恵まれている方だったのに

父の祖母は蔵にあった品を持ち出しては、米などと交換に行ってたこと

ボートでそれを運ぶ手伝いをしたのが父だったそう

 

学校にいて空襲警報がなると

海に山に各自散り散りに逃げ、

解除されても誰も学校にもどらないのだと笑って話してくれました

 

父と違い、優秀なお兄さんは兵隊へ

その姿はカッコ良く見えたそうです

命取られることなく終戦を迎えました

 

10歳の時に、終戦を伝えるラジオを大人たちに交じって正坐して聞いたそうです

やんちゃでいたずらっ子な父は

いつもと違う大人たちの様子に大人しくしていたと

 

戦後、東京に来てからの方が食料が不味く少なくて辛かったのだそう

 

食料乏しいそんな東京多摩地区で暮らしていたのが母でした

 

 

母は戦争のことを多く話しませんでした

防空壕に逃げたことと

食べ物の話を少しだけしたくらい

 

私が子どものころ、具沢山なすいとんを作ってくれました

 

戦争中はこんなに具はなくて汁ばかりだったこと

サツマイモは芋まで育つのが待てなくて根っこようなものだったこと

そういう経験が強くなのか

食べ物を粗末に扱ってないけない、食べられることは有難いことなのだと

言われました

 

***

 

義父母は名古屋にて空襲にあいました

確か、軍事工場があって、狙われたのだと・・・

 

***

随分前のことですが

仕事先で軍服姿のキリっとしたお顔立ちの写真を見せてもらったことがあります。

ちゃめっけたぷっりに「かっこいいでしょう」と・・・

軽々しく「カッコいい」と答えていいのかどうか凄く迷ったことを覚えています

 

終戦が後少し延びていたら生きていなかったと話してくれたその方に

「怖くなかったの?逃げ出す人はいなかったの?」

と聞いたら「逃げ出しても捕まる。その後の罰の方が怖かった」と話してくれました

 

 

シドニーにいる時に聞いたのですが

日本はオーストラリアへ攻撃をした唯一の国と・・・

一週間かけて飛んで行ったと話てくれた方がいました

 

その他、日本も他国に対して攻め、人々を苦しめた過去があります

そのことも忘れてはいけない

 

 

今も戦いは続いてる国・地域があります

一日も早く紛争・戦争がなくなり平和な地球になりますように

 

私の記憶のために

おつきあいいただきありがとうございました

m(__)m

 

 

穏やかな一日になりますように

 

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