張飛益德は劉備と同じ現在の河北省涿県の人。

演義では、張飛翼德になっている。

関羽は兵卒を慰撫したけども、所謂知識人に対しては驕慢。
張飛は身分の高い人を敬愛したけども、身分の低い人には憐れみをかけなかった。
劉備は、いつもそのことを気にしていて、ことあるたびに張飛に
「刑罰で人を殺しすぎる上に、いつも兵士を鞭打っているにも関わらず、その兵士を側近にしている。
 これは災いを被る道だ」と諌めていた。
まさにその通りの最後になってしまうわけだけども。。。。

とは言っても、208年の長阪の戦いや、215年の張郃との戦いは素晴らしいものがある。


張飛の長子であった張ホウは若くして亡くなっていて、次子の張紹が後を継いだ。
また、張ホウの子のチョウジュンは、孔明の子のショカツセンとメン竹で戦い戦死している。

演義の中にある、張飛の子の張ホウと、関羽の子の関興が義兄弟になって
劉備の東征や孔明の南征・北伐で活躍したというのは、演義の作者の脚色。。。



関羽雲長は、河東郡解県の人だったが亡命し、劉備のいた涿郡に流れた。
桃園のってのは、演義の作者の創作。

蜀記によると、198年曹操が呂布を攻めたとき、
呂布が救援に向かわせた秦宜禄(しんぎろく)の妻を娶らせてほしいと
曹操に何度も何度も申し出た。
しかし、曹操は、美しい女性なのだろうと予想し、それが的中!
そのまま曹操は、その女性を手元にw
関羽は、心中穏やかじゃない・・・・って状態に。

関羽が、顔良を斬った後、曹操の元を離れるとき
五つの関を単騎で突破する話があるけど、これも演義の作者の手による創作。

馬超が蜀の平西将軍になった時、関羽より官位が高かったので、
関羽は、孔明に馬超の能力は誰に値するかと問いただした。
孔明は、関羽の性格を把握していたので、
「馬超の才は、文武に秀で、武勇は張飛と先を争うような人物だが、
 それでも、髭殿の傑出した武勇には及ばない」と手紙で答えた。
この手紙を受け取った関羽は、とても喜んで賓客に見せ回ったそうだ。。。

また、演義の、龐徳に射られた矢を名医華陀(タは人偏)が治療する場面は演義の脚色で、
実際は、流れ矢に左ひじを射られた関羽が(年数不明)、諸将との宴会の席で
平然と切開手術をした事を、219年の関羽が死ぬ年のこととしたものだった。

同時代の人々から、関羽も張飛も「1万人の敵に相当」と言われていたけど、
かたや「自分の勇名をたのみ猪突猛進し、しばしば兵を失った」ともある。
三国志の作者である陳寿は、「関羽は強情で自尊心が強く、張飛は乱暴で恩愛を施さず、
その短所のため身を滅ぼしたのは道理からいって当然だ」と批評している。

演義の中では、完璧な武人として描かれているけど、
実際は、もっと任侠っぽくて人間味溢れていてよいなー^^
なんにしても、傑出した人物であったことは間違いない。

関羽ファンの人には面白くないかもだけど勘弁を><



この前、久々に部室に行って、みんなと話したw

地球外生命体が・・・wwwww

$Daddy

ウルトラQに出てきそうだ^^;

$Daddy

釣りアイテムか~☆
うらやましいような・・・ww

$Daddy

なんか、こわいww



湘南・藤沢のFM放送局 レディオ湘南(FM83.1)に
The Boys Pure Side というバンドのメンバーでもある
うちの息子がナマ出演することになりましたw

毎週月曜日の20時半~22時にやっている湘南ミュージックタウンという番組だそうです。

出演日は、1月3日☆
お暇な方、聞いてやってください^^