張飛益德は劉備と同じ現在の河北省涿県の人。

演義では、張飛翼德になっている。

関羽は兵卒を慰撫したけども、所謂知識人に対しては驕慢。
張飛は身分の高い人を敬愛したけども、身分の低い人には憐れみをかけなかった。
劉備は、いつもそのことを気にしていて、ことあるたびに張飛に
「刑罰で人を殺しすぎる上に、いつも兵士を鞭打っているにも関わらず、その兵士を側近にしている。
 これは災いを被る道だ」と諌めていた。
まさにその通りの最後になってしまうわけだけども。。。。

とは言っても、208年の長阪の戦いや、215年の張郃との戦いは素晴らしいものがある。


張飛の長子であった張ホウは若くして亡くなっていて、次子の張紹が後を継いだ。
また、張ホウの子のチョウジュンは、孔明の子のショカツセンとメン竹で戦い戦死している。

演義の中にある、張飛の子の張ホウと、関羽の子の関興が義兄弟になって
劉備の東征や孔明の南征・北伐で活躍したというのは、演義の作者の脚色。。。