私は思う。あのTシャツは「過ち」だと。【2016 チャレンジ富士五湖 その4】 | ごまめが歯ぎしりをやめる日

ごまめが歯ぎしりをやめる日

くだらない事をうだうだと書ける今日という日に、心から感謝。

ランナーが着るウエアの背中につい目が行くほど、多種多彩になった。


自身が所属するランニングクラブの名前やロゴ。

あるいは自らに対する戒めや教訓みたいなメッセージが書かれたウエアを着て、走っている人もいる。


言葉の内容は、「走る」のようなシンプルなものもあれば、「踏み出せば その一足が・・・」とか「一歩ずつゴールへと近づいている」とか。


追い抜き、追い抜かれを繰り返すたびに見えるその背中に、時には自らが励まされたり気力をもらったり、走りながら見ているだけでも、楽しいものである。



しかし、よりによって心身ともに疲れきっているこのタイミングで、

私にとっては「悲しい」と思える光景を目にすることになってしまう。

80km過ぎ。復路の西湖に差し掛かったあたりの事だった。



私を追い抜いて行く、男性ランナー。



彼が着ていたTシャツの背中に書かれていたのは、




『現在の政権与党に対する、批判的な意味を込めたメッセージ』 だった。





誤解のないように書いておくが、


ウエアに書いてあったフレーズが「No」の意味であろうが「Yes」の意味であろうが、私自身の「悲しい」に変わりはないということ。




昔から、世界中のいろんな場所で、たくさんの人が唱えている。



スポーツに「政治」を持ち込んではいけない。




右翼だの左翼だの、原発反対だの賛成だの、法案制定だの増税だの護憲だの改憲だの・・・


思想や立ち位置、その考え方がどうであれ、


政治に関する論議を「スポーツの場」に持ち込むことは、タブーである。



それはプロに限らず、アマチュアでも市民愛好家のレベルでも一緒だ。


競技に集中し、日頃の成果を発揮し合う場所に、政治への意見、主張に対しての同意や共感、意識高揚を促すメッセージなど、関係ないし必要もない。





・・・歴史ある大会の地で、なんて事をしてくれた。




自分が正しいと思っていることなら、 どこで何をやってもいいのか。

それは表現の自由、とはいわない。ただの傍若無人。

場違い、という意味においては行為として「レース中の立ち小便」と同列だ。




おそらく本人は、公共の場において1人でも多くのランナーに、背中のメッセージを伝えたかったのだろう。それが届いた人、その行為に賛同する人もいたかもしれない。


でも私のように、不愉快に感じた人もきっといたはずだ。



完走を目指して必死に走るランナーに、何を余計な情報を与えようとしているのか。

あのTシャツを着て走った本人が考える「良い政治」というのは、ランニング、そしてスポーツに対する「冒涜」を経なければ達成されないものなのだろうか。





東京マラソンをはじめとした陸連公認の大会においては、

政治的、宗教的な主張、広告宣伝を記したウエアの着用は禁止されている。


もし本人がそれを分かった上で、ルール順守の監視が厳しくない大会を選んで走っているとしたなら・・・




私は、あの日の彼の行為を「過ち」だと思っている。


言いたいこと、伝えたいことがあっても、場所をわきまえてくれ。

やってはいけない場所では、もう二度と、絶対にやらないでくれ。




スポーツの大会において、こんな輩が今後、1人たりとも現われることが無いよう願いたい。



スポーツに「政治」を持ち込んではいけない。


スポーツに「政治」を、持ち込ませてはいけない。