10kmあたりで「今日ダメだ。これは完走厳しい」と弱気になり、
20kmあたりで「身体が動かん。早く帰りたい」とさらに弱気になり、
30kmあたりで「あと70kmもあんの?無理無理無理」と絶望感に苛まれ、
40kmあたりで「朝からこんなとこで何やってんだか・・・」と自分に呆れ、
60kmあたりで「来年は71kmに戻ろう」と100km引退を決意し、
70kmあたりで「もう出ない。こんなレース」とウルトラ引退を決意する。
毎年同じだ。
走行中は驚くほど、ネガティブのオンパレードだ。
でも、毎年80kmあたりで、
リタイヤしたランナーを乗せた収容バスの姿を目にするようになる。
「あれには乗らない。絶対に乗ってたまるか」
こう思ったところで、ようやく気持ちが前に向く。
これも、毎年同じだ。
右、左と、無理やりにでも足を前に出していく繰り返し。
これが普段の練習なら、「いつ止めてもいいですよ」という指示の元であったなら、まだ精進湖にも辿り着かないあたりでとっくに気持ちは切れているはずだ。自分の走力ではせいぜい70kmあたりが「限界」である。
でも、毎年、残りの30kmを、意地で走っている。
笑って帰りたい。悔しい思いをしたくない。何より自分に負けたくない。
だんだんとフォームの上下動が大きくなって、わき腹や背中が痛い。
両腕もきつい。両足は痛いを通り越して、鉛のように重い。
そして身体の内側も、いわゆる呼吸筋が焼けるように熱く痛む。
こんな思いまでしながら、ゴールテープが切れずメダルももらえず、関門で収容だなんて冗談じゃない。
残り30kmを5時間13分。残り20kmを約4時間。残り10kmを2時間30分以上の貯金で抜ける。
今までになく、終盤も足が動いてくれた。もう大丈夫。あとは路面の凹凸(転倒や捻挫)にだけ気をつけて進めばいい。
河口湖を背中にし、いよいよ富士北麓へと向かっていく。
厚い雲の向こうに姿を隠した富士山。その雲は麓にまで降り、霧となって視界を遮る。
道が少し、賑やかになる。通行人や観光客も、我々ランナーに応援を送ってくれる。
「チャレンジ富士五湖は応援が寂しい」と文句を言う人もいるみたいだが、天候も変わりやすい複雑なコースながらも、山中湖からずっと、沿道だけでなくエイドのスタッフ、ボランティアの皆さんも含め、今年もいろんな人からのいろんな応援に励まされた。声援やメッセージ、ハイタッチなど・・・苦しさを癒し、走る支えにもなった。感謝したい。本当にありがとう。
ステラシアターの関門を通過。
エイドでコーラをグイと飲み干す。今年もあと5kmの道となった。