今から10年ほど前、
つまり、ジョンFケネディ・ジュニアとキャロリンが結婚して1年ほど経った頃。
当時米国3大ネットワークのテレビ局で報道関係に携わり、年齢的にもジョンの周辺に知り合いが多い友人から、聞いたこんなうわさ。
あれは真実だったのか、それとも単なるガセネタだったのか。
でも、彼の口調は、断定的でした。
キャロリンが妊娠しているというものでした。
その頃、わたしもちょうど妊娠中、同じような時期だったので、
「もしかしたら、ジョンとキャロリンの子供と、生まれてくるうちの子供が同じ学校で同級生ってこともありだわ♪」
なんてことを思ったので、よく覚えています。
「今妊娠初期で7, 8 週間ってところ」
そう聞きました。
けれど、その後、一向に彼女のおなかが大きくなることはありませんでした。
それは、ガセネタだったのか、それとも、妊娠はしたけど、流産してしまったのか。
ご存知にように、妊娠12週間までに流産することは実はすごく多いのです。
後に、二人は子供をほしがっていたと聞いたこともあります。
そして、今更なんだけど、わたしはつい考えてしまうのです。
もし、あのとき、二人に子供が生まれていたら、と・・・。
99年にその子供は2歳ぐらいにはなっているはず。
ジョンは、決して霧の深い夜にセスナを飛ばすというリスクは犯さなかったびではないでしょうか。
次回、詳しくお話したいのですが、父性ってすごく面白くって、
子供の顔を見て、抱いて、あやして、ニコっなんかされて、オムツのひとつも替えてみるまでは、ホルモン的に父性本能は眠ったままのことが多いらしいんです。
子供ができると始めて父性本能は全開になり、父親としての気持ちが芽生えるというデーターもあるのよ。
もし、ジョンが父親になっていたら、
いくら、ケネディ家の厳しい家訓
「リスクを負うことを恐れないこと」
というものが存在しても、
この父性本能のせいで、
勝算の見込みの低すぎるリスクは回避しようとしたのではないか、と思うのです。
それか、キャロリンが強く「飛ぶのはやめましょうよ」と説得したのでは。
それまでのわたしは、日本人にしては、珍しくリスクを負うことを恐れないタイプでした。
何も失くすものはないという、刹那的で怖いもの知らずなところがありました。
けれど、そのわたしも親になってみて初めて分かりました。
今は、絶対に失くしたくないものができてしまった。
極端な話、自分の命と引き換えにしてもいい、
それぐらい子供のことは守らなくては、と思うものが。
あのテロの直後数ヶ月のこと、
そしてヴァージニア大学での
31人の大学生が集団銃殺された事件などを思うと、
それだけで心が凍りつき、涙が止まらなくなります。
ちなみに、わたしは、自分が特に母性本能が強いタイプだとは思いませんし、子供と遊ぶのが殊更上手というわけでもないです。
一生独身でもいいやと思っていました。
パートナー次第では、子供なしという選択をしていたかもしれません。
それでも、
先日、娘の友人5人をお預かりし、
1泊泊まりで郊外にお連れしたときは、
その間中、もし、家が火事になったら、
もし、だれかが大怪我でもしたら、
もし、交通事故に遭ったら、
なんてことを考えると、心配で心配で気が休まる暇がありませんでした。
だから、
もし、あのとき、キャロリンとジョンに子供がいたら、
ジョンは飛行を取りやめたに違いないと。。。これはわたしの確信です。
ブログを始めた頃から仲良くしていただいている
という人気ブログを主宰し、本当にていねいに、ステキに暮らしてらっしゃるりかちゃんが、
以前、こんな統計を調べてくださいました。
2005年に日本に誕生した赤ちゃんは百万人ちょっと、
しかし、中絶された赤ちゃんの数はその約3分の1の30万人
しかも、予想外に30代、40代の中絶が多いのです。
今読んでくださっている方の中に、
もし、子供を生もうか生むまいか迷っている方がいらっしゃるなら、
ちょっとだけ、自分たちの背中を押してみてはいかがでしょう。
まだ出会っていない赤ちゃんは中絶できても、
一度顔を見てしまったら、きっと、「出会えてよかった」と思うはず。
そして、親として、不思議な力がわいてくるのです。
それはもちろん、生まないという選択を否定するものではありません。
わたしたち夫婦にも2組、そえぞれ理由は違いますが、子供を持たない選択をした親しいカップルがいます。
ただ、迷っているなら、義母のこの言葉をもう一度、お贈りしたいと思います。
「子供を生みすぎたといって後悔する親はいないけれど、
もっと生めばよかったと後悔する親はものすごく多い」
本当にその通りだと思います。
ニューヨークが心から愛したジョンF・ケネディ・ジュニア。
その死は宿命だったのか、
それとも人生の偶然が定めた結果に過ぎないのか。
もし、生きていたら、
姉キャロラインが、
ケネディ財団の運営や、
ニューヨーク市の公立の学校の
財源集めなどに尽くしているように、
ジョンも、きっと何らかの形で
ニューヨークのために貢献し、
相変わらずみんなに愛されていたに違いない、そう思うわたしです。
あらためて、冥福を祈りたいと思います。