行き過ぎたケネディ家の家訓 | だれも書かない★ニューヨーク1%未満★

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日本からは見えにくい、知られざるニューヨークやニューヨーカーのこと、たまにプライベートなことを書いています。

こんにちは♪

 

昨日は、嵐の中、娘のお友だちのお嬢さん5人も連れて、無事! 怪我も喧嘩もなく、お誕生会から戻ることができました。ほっ。

 

しかし、マンハッタンに到着するまで、ドキドキで、正直、心労レベルは相当なものでした。

 

でも、みんな「帰りたくない~」と言ってくれ、大変に楽しんでくれたようで、親としては本望です。

 

この件については、いろいろと感じることがありましたので、また別の機会にUPしたいと思います。


 

ほっとする間もなく、今週は2本原稿、ボードパッケージなども抱え、バタバタしております。

 

しばらくみなさんのブログにはお邪魔できないかもしれませんが、いただいたコメントは本当にありがたく、楽しく拝見し、エネルギーと元気をいただいております。

 

こんなに長く続けられるのもみなさんのおかげです。


 

さて、今日は行き過ぎたケネディ家の教訓について。

 

 

 

ジャッキーとジョン・Fケネディの一人息子だったジョンと妻、キャロリン、そしてキャロリンの双子の妹が乗った小型の飛行機パイパー・サラトガⅡHPが太平洋に墜落したのは、霧の深い夜のことでした。


いとこ、ローリー・ケネディの結婚式に参列するため、マーサズ・ヴィニヤードに向かうためでした。


 

 




小型機を操縦していたのは、ジョン本人でした。


が、このときのジョンは、パイロットとしてはまだ経験不足、要求されるトレーニング・コースの分を終えたところだったといいます。



この日、同様にマーサズ・ビニヤードに別のセスナで飛ぶ予定にしていた友人、カイル・ベイレイは、夜間飛行であることと、霧が深いことを理由に、ベテラン・パイロットであるにもかかわらず、運行を中止しています。


それに引き換えジョンは、どうしてこんなにも無謀なことを決行しようとしたのか。
 

 

これについて、ある記事で、ケネディ家の厳しい家訓について言及しているものがあり、わたしの興味を引きました。



ケネディ家の人間は、ニューヨーク郊外にあるブロンクスビルの両親の家に集まると、広い庭で、スポーツに興じる傾向があったようです。

 

しかも、ただの遊びを超えて、それは真剣な勝ち負けを競うもの。


男たるもの、勝たねばならない、弱音を吐いてはならないということでしょうか。

 

ケネディ家の人間は強く、勇敢でなくてはいけなかったのです。

 










そしてケネディ家の家訓のひとつに、
リスクを負うことを恐れないこと、

というものがあったと言います。



ジョンがまだ半分しか飛行レッスンをこなしていなかったにも関わらず、悪条件の中を飛ぶことにした理由は、このケネディ家の家訓が彼の背後で大きく影響していたのではないかといいます。


翌日の結婚式に間に合うためには、どうしても今晩飛ばなくてはいけない、

しかも、当日、キャロリンかローレンは飛行場に予定の時間より遅れてきたはず。

 

イライラしながら待つうち、気持ちの中では、もう引き返せない雰囲気に固まっていたのでしょうか。



霧は深いけれど、なんとかなるだろう、

と、リスクを負う習慣の身についた彼は、そう判断したのではないか。

ジョンが操縦する飛行機には、レーダーもついてなかったと言います。

そしてそれが命取りになったのでは。



そこで思い出すのが男を鍛えるニューヨークでご紹介した3番目のいい男、

国際法弁護士の大橋さんの パートナー、ジェフ・ホーンの日本人に対するこんな感じ方。



現代の日本人には

「アグレッシブな交渉ができない」

「貯蓄率が高い」

「独立して事業を起こす人が少ない」

「子どもを作らない」などの傾向がある。

これは一見バラバラな問題のように見えるが、実は共通する特質がある。



それは、



ビックリマーク現代の日本人が「リスクを負わないこと」



つまりケネディ家の家訓とはまったく



一方、ご存知のように、アメリカ人は

「失敗(失うこと、負けること)を恐れず強気に交渉し、交渉における果実を最大化しようとする」

「借金をしてでも好きなものを買う」

「失敗を恐れず独立する」

「生活レベルがおちるかもしれない、といったことを心配せず子どもをたくさん作る」

傾向にあるというのが、ジェフさんの分析です。



なんとも皮肉な比較をしてしまいました。

 


ここでわたしが感じたのは、

リスクを負うことは大事だけど、その際の冷静な状況判断、かぶるリスクの可能性をしっかり割り出すこと、

そしてあまりにリスクが大きいと判断したら、潔く退くことの勇気、そんなものの大切さです。

 

 

 

覚えてらっしゃいますか?

 

あの桁外れの大物、澁澤栄一のエピソード、

 

23歳の栄一さまは、1863年に尊皇攘夷の思想に目覚め、

 

最初は高崎城を乗っ取り、

 

横浜を焼き討ちにして、

 

ガイジンなんて(害人だぁ)皆殺しにして、

 

幕府をぶっ倒すゾっ! と

 

計画をたてるのですが周囲に説得されて中止。

そして次には、京都に向かいます。

 

一橋家家臣の平岡円四郎の推薦により一橋慶喜に仕えることになるのです。

はい、コロっと! 180度、道を転換したわけですね。

 

最初は、倒幕、攘夷を考えていたっていうのに、

 

いきなり最後の将軍となる一橋慶喜に仕えるって、すんごい変わり身の速さじゃない?

 

一橋慶喜が将軍になるときは、さすがに幕臣になるのはまずいと、一時は切腹も考えるのですが、これは、運良くおフランス行きの話がころがりこみ、なしになります。

運もいいけど、熟考してみて、やっぱり自分が間違っていたとなれば、

 

潔く過ちを認め、退き、方向転換ができるのです。

 

 

 

それに引き換え、戦争中の日本はどうたったでしょうか。

 

軍のトップは、アメリカが参戦したら勝算はないとわかっていたのではないでしょうか。

 

しかし、日本はドンッ玉砕への道爆弾を選びました。

 

わたしは、思うのです。

 

玉砕は一種陶酔的なコンセプトではあります。

 

でも、死んじゃったらおしまいなのよ。

 

特攻隊なんて、悲しすぎる。

 

あのとき、日本は潔く引き下がる時期を逸してしまったのですね。

 

 

 

 

そして今の日本はその反動か、リスクをとらなさすぎ、という印象をビジネス関係のあるアメリカ人に与える。



ジョンが亡くなる99年ごろ、妻、キャロリンとの仲は、かなり冷えていたのではという説も聞かれます。

セントラルパークを二人が歩きながら喧嘩になり、キャロリンが結婚指輪を抜き、投げそうになるところをカメラマンに撮られる、ということもありました。








けれど、こんなとき、わたしはテレビ局に勤務していた友人から聞いたことをつい思い出してしまうのです。



それは彼らが結婚してわりと間もない頃だったと思います。

 

それが、単なるガセだったのか、真実だったのか。。。。。
 


続く                 

アップclick!

 

 

いつもありがとうございますm(_ _)m