確かに胸がすくような惚れぼれする長身、甘いマスク、貴公子然とした立ち居振る舞いと着こなしができる男、
でも、それだけの男なら、日本にはもちろん、世界に目を向ければゴマンと散らばっているはず。
白洲次郎にわたしがぞっこんな理由は、信じてもらえないかもしれないけれど、その外見ではないの。
彼の幼馴染で、評論家の今 日出海(こん・ひでみ)によると
若い頃の彼は、かなりの暴れん坊で、癇癪持ちで、文弱の徒は殴られる恐れさえあったという。
育ちのいい生粋の野蛮人、それが白洲次郎だった、と幼馴染は言う。
こんなエピソードもある。
晩年、家のメイドさんかどなたかに、
「僕は若い頃、島流しに会ったんだ」
と、イギリスに留学した経緯をポツリと話した次郎。その理由はどうやら、男子禁制の宝塚の女の子とスッタモンダあったかららしい。
戦後、吉田茂の側近といわれ、GHQと折衝していた頃でさえ、
今 日出海いわく、
「傍若無人な振る舞い、子供の時分と少しも変らぬがむしゃらと非妥協性で、誰彼かまわず立ち向かうから、利害関係でもあろうものなら、たまらないし、部下にでもなったら一日一杯怒鳴られ通しかも知れぬ」
だなんて><
さすが只者じゃないわ。
でも、わたしがそれでも、ムチャクチャ惹かれるのはこんなところ。
これも幼馴染の今さん語録から。
「(白洲次郎は)金儲けも下手。金をほしがらぬのだから始末が悪い。人が他人の顔色を伺って右顧左眄するのに、彼はそうはせず、人の顔色も伺わず、言いたいことをいう」
それが、マッカーサーであれ、親子ほども年が違う吉田茂であれ(じいさんと呼んでいた)、皇族につながる血筋の近衛文麿であれ(オトッツァンと呼んでいた)、思ったことはその通り忌憚なく言える・・・
それでいて、彼の家に行ってみると、
乱暴で我が儘な様子をしながら、少しも暴君ではない。暴君の言葉使いで、あんなに女房を愛し、子供を愛しているものはいない、だなんて。
40代の次郎。どんどんいい男になっていく。イギリスで仕込まれた紳士でありながら、普段はジーンズにTシャツを愛用。
しかも彼が優しかったのは、女子供だけではない。
ここが肝心。
ビジネスや政治の場を離れた次郎は、
「自分よりも目下と思われ人間には親切にしろよ」
と口を酸っぱく周囲の人間に言っていたらしい。
高速道路の料金所で、飲食店で、ビルの清掃業者に、ゴルフのキャディに、
いちいち「ありがとう」と言い、
「すみません」ではダメだと言っていたというの。
運転手つきの社用車に乗ると、「後ろでふんぞり返っているヤツはみんなバカだ」と言い
彼は好んで助手席に座ったとも。
また、食事のために店に車で来ると
「天丼でも何でもいいから、まず運転手に食べさせてやってくれ」
と、真っ先に運転手の分を注文する。
ここまで気配りの出来る「乱暴者」っている?
しかも、「出世が命」の輩なら、気配りもするのは目上の人間、
目下の人間ではないはず。
次郎さま、あなたはなんて、魅惑的な矛盾なの。
80近くなって尚 このカッコよさ
三宅一生のモデルとして登場。晩年は、一生に特別に作らせた裏側がミンク貼りのジャケットを愛用していたという洒落者。
白洲次郎は、9年間暮らしたパックス・ブリタニカ末期の良き英国で、
クラス社会における、恵まれた階級に属する真の紳士たるものはどうあるべきか、
それをきっちり学んだんだと思われる。
それは彼のこんな口癖がよく物語っている。
「人間は地位が上がれば上がるほど役得を捨てて、役損を考えろ」
これは、やはり彼も(と言いたい)よく口にしていた、「ノブレス・オブリージュ」に通じる考え方でもある。
わたくし、アーカイブの拙コラム「クラス社会 」でも書いておりますが、
実はアメリカ、特にニューヨークには根強く存在する(裏)クラス社会。
ニューヨークのクラス社会は、確かにある面、知れば知るほど「え~っ」と驚くほど閉鎖的。
けれど、これも「えっ~」と驚くほど、意外や意外、まともでもある。
そのまともなクラス社会上流で快く受け入れられるために、もっとも求められることが
実はノブレス・オブリージュの精神。
ちなみに、「へこたれる前に読むブログ、30代ビジネスマンにエール」の盛田克男さんも、白洲次郎について、こんな風に
に 書いてらっしゃいます。最後に、わたしが好きな白洲次郎関係の本を書いておきます。
北 康利著
「白洲次郎 占領を背負った男」
特に終戦後、吉田茂の側近として、彼が、事実上GHQと渡り合った経緯は、本当に生き生きと、歴史の裏側を、見事に描写してくださいました
酒井美意子さんの「ある華族の昭和史」と重ねて読んで頂くと、登場人物が重なることから、よりいっそう楽しんでいただけます。
さて、次回はお待ちかね、
あまり人が書かない、
白洲次郎のダークサイド
を書いてみたいと思います。
乞うご期待!