今週は、加賀百万石前田(元)侯爵家長女、(故)酒井美意子さんの、潔く、一本芯の通った、これ以上はないほどにカッコいい(時にはちょい不良にもなれる)生き方、そして子育て論について書いています。
彼女が、20年以上の長きにわたってわたしの心をつかんで放さないのは、以下の一点に尽きるかもしれません。
彼女には「ノブレス・オブリージュ」の理解があり、それを教育の面でも殊のほか重要なことと考えてらっしゃったことです。
考えてみれば、昔からわたしが心から尊敬し、高く評価している友人は、みんなノブレス・オブリージュを実践しています。
若いときには、大喧嘩をしたことがあっても、また羽目を外して男(女)とスッタモンダしても、それでも今尚、変わらぬ気持ちで好きでいられるのは、ハートの部分で、世の中の役に立ちたい、他の人の役にも立ちたいと考えている彼女たち、彼らたちだからです。
前のコラムで申し上げた「国家の品格」の盲点だとわたしが考えることは、まさにこの「ノブレス・オブリージュ」の精神なのです。
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昨今は、日本でもノブレス・オブリージュという言葉を耳にする機会は多いのではないでしょうか。ただ、その本来の意味が雑誌などで「おしゃれに」捻じ曲げられて解釈されている傾向にあるのも事実のようです。
そこで、ここでもう一度、美生活に、わたしが書いた文章を抜粋させてください。
ノブレス・オブリージュ、直訳すれば「貴族の義務」、貴族階級に生まれついた人間には、奉仕活動、慈善事業、軍務に献身する義務があるという思想を表します。
これはフランス語「Noblesse(貴族)」と「Obliger(義務を負わせる)」を合成した言葉で、1808年、フランスの政治家ガストン・ピエール・マルク(1764-1830年)が高貴な身分に伴う社会的義務を強調しながら初めて使ったとされています。
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ちなみに、酒井美意子さんのご実家、加賀藩前田家は、イタリアならフィレンツェのメディチ家と比較されるほど、武家でありながら長きにわたって学問・美術・工芸の伝承に尽力し、数々の文化貢献を成しえた家柄といえるでしょう。
その前田家は、江戸末期の飢饉対策として、「お小屋」と呼ばれた窮民救済センターを設置し、1万4千人以上の窮民を救済し、中でも病人は病棟に収容し、特別の医師が治療に当たりました。それは単なる救済にとどまらず、衣食を支給しながら、縄、草履、たわしなどを作らせて城下を行商させ、自立の道を与えたのです。そして、中でも生産能力のついたのちには、開墾移民団を組織させ、資材をあたえ、新田開発に当たらせて成功するのです。
余談ですが、ニューヨークにも個人が私財を投じて創設した「 Doe Fund 」という素晴らしい非営利団体があり、ホームレスの人たちを収容し衣食を支給しながら、職業訓練の機会を与え、その第一歩として道路の清掃、ごみの回収という仕事を与えています。
これも単なる救済にとどまらず、ホームレスから脱出する具体的なお手伝いまでしているという点で評価できるのではないでしょうか。また、おかげさまで、マンハッタンの道路は隅々までとてもきれいになり、まさに一石二鳥です。わたしたち夫婦は、この団体へも毎年必ず寄付をしています。
現代のアメリカでは、貴族階級は存在しないものの「富める者、公共の利益のために私財を還元し、恵まれない人々に再分配すべし」という形でノブレス・オブリージュは受け継がれてきています。代表的な人には、10億ドルの私産を投じて公共の利益のために財団を運営しているビル・ゲイツ、毎年何百万ドルという個人私産を、地味で有意義な活動をしている数多くの非営利団体に匿名で寄付し続けるブルムバーグ・ニューヨーク市長などが挙げられます。
酒井美意子さんも「花のある女の子の育て方」で書いてらっしゃいますが、皮肉なことに貴族階級のないアメリカで、今、ノブレス・オブリージュは一番受け継がれているようです。
一方日本では、戦前までは根強く受け継がれていたこの美徳、戦後はすっかり姿を消してしまった、と嘆いてらっしゃいます。
けれど、とわたしは考えます。
人間なら本来だれにでも、恵まれない人や悲惨な状況を気の毒に思い、何とか力になりたいと思う気持ちは、遺伝子レベルでプログラムされているのではないでしょうか。子どもを見ていると、思いやりの気持ちや、例えば友達の悲しみを自分のことのように感じる力は教えなくても自然に備えているように思うからです。
いつもたくさんのコメントありがとうございます