父のパナマ帽、日本からロシアへ

昔々ちょっとおしゃれな父が買ったパナマ帽が 家にある。

 

私が子供の頃、どこか覚えていないけど、少々高価な帽子を選んだ時に立ち会った(覚えがある)気がする。

父が手に取ったのは、帽子の周りにくるりと巻いてあるリボンのような布(ブレードというそうだ)が、タックが2本入った幅広で、細かい花模様のある水色だった。紳士物なのに水色で可愛い、当時はそれが珍しく、私も気に入った。毎年、夏場に、父はそれをよく被っていた。


時は過ぎゆき、私はロシアに渡り、結婚もし、夫の日本留学に合わせて帰国した。後に両親のそばの団地に移った。

 

長子が1歳半ごろの時、孫に会いたいだろうと夫の両親をロシアから招いた。10月に2週間滞在したが、最初、雨がちな日が続いた後、暑い日が戻った。義父が暑そうにしているのを見た私の父が、あのパナマ帽を義父に貸した。パナマ帽を買ってから、20年ほど経っていた。義両親の帰国の日に、そのままパナマ帽を父は義父にプレゼントした。その頃父は、70半ばで、あまり被って出かける事もなかったので。

 

父のパナマ帽は義父とロシアに渡った。


 

ロシアを訪ねる

 

それから12年後、私の母が亡くなった翌月、義父も再発したガンにより亡くなった。その何日か前、夫は連絡を受けてから日本の出入国ヴィザを貰いに行ったり、飛行機の切符を買ったり、荷物を用意したりして帰国の準備をした。だが、出発の前夜、亡くなったとの報告を受け、失意のままモスクワへ飛び葬儀に参加した。

 

 

翌年、東日本大震災に関連して放射能が関東地方を一時的に襲い線量が急に上がった日があった。ロシア政府は一時的に日本にいる国民に避難勧告を出した(個別に連絡はなかった)。その時、義母は心配してロシアに来るよう促した。夫も子供達をロシアに避難させるべきか悩んだが、その後 線量が落ち着いたのもあり、避難するほどではないかと迷っていた。どちらにしろ私も子達もパスポートを持っていず、すぐには無理だった。が、もし今行かなければ子供達を連れていくチャンスは多分ない、子達は祖父に直接会えなかったが祖母には会わせておかねば!と思った。(実際、義母は4年後、夫の死から5年後の命日の2日前に突然亡くなってしまった。心臓発作だったようだから、亡夫の事を考えていたのだろう。寂しがって泣く妻を放っておけなかった義父が連れて行ったんじゃないかとも思う。)

 

 

(渡航費用は、車を買い換えようと思っていたお金だけあった→ 車は買えなかったので今 車は25年目になる)

 

 

パスポートを取ったり、それぞれの学校には2カ月弱休むと連絡し、準備して約2週間後、モスクワへ発った。私には16年ぶり、子達は初めてのロシアだった。

 

 

4月のロシアは寒かった。天気も悪く、家に閉じこもっていたが、5月に入ると日も長く少し暖かくなってきた。

義母は、義父が残したダーチャ(郊外の別宅)へ行く用事があるとの事で、私たち家族とで行った。ダーチャはモスクワから約80㎞北にあり義父が職場から貰った土地に、義父が自らの手で建てた家がある。もちろん弟や長男も少しは手伝っていた。(ロシア人は自分で建てる人も多いらしい。ロシアの男とは、家を建てて、木を植えて、息子を育てると一人前だそうだ。~言い伝え)

 

 

寝泊まりできる台所のある部屋とダイニングとトイレ棟は、最初に作った木造(お風呂は未完成)。2番目に建てたレンガの5つの部屋だけの2階建ての家は、真ん中にカミン(閉じた暖炉)がしつらえてある。行った日は寒かったので、家の鍵を開けてすぐ薪と火を入れた。カミンは、1階で焚いた火で温められた空気がレンガの管を伝って2階も温まり、そのまま煙突へ繋がる構造のようだった。

 

ダーチャは物置の役割も果たしている。普段の自宅で要らなくなった物はダーチャに運ぶ。読まなくなった本、飾り物、もう着れない服など。部屋が暖まると、皆で2階へ行った。2階には戸棚があり、要らない子供服があり、使っていいというので、開けて見ていた。と、不意に戸棚の一番上の段からあのパナマ帽が発見された。

 

 

パナマ帽との再会

驚いたし、それまでの流れを思い出し、懐かしさが込み上げた。義父に連れられてここまで来たパナマ帽、こんな所にいたんだ…。

 

義母は、義父が麦わらは好きでなく、あまり被らなかったと言った。

私もだが、義両親も、ほとんど麦わらだと思っていたし、高価な物だと知らなかった。パナマ帽って素材とは知らず、形の事かと思っていた。後で私の父に聞いたら「パナマは麦わらじゃないよ。高級なんだよ、これだって結構したんだよ。」と言っていた。確かに軽いし、柔らかいし、ずっと置いておいたのに変色もしないし、もちろん麦わらみたいにボロボロにならなかった。

 

 

2日後、パナマ帽は当時12歳の長男に被られてダーチャを離れた。ちょっと気に入ったようだ。

長男はそれを被って初夏のモスクワを歩いた。

 

 

パナマ帽の冒険

帰国前のある日 家族で散歩し、線路を渡る歩行者用の長い陸橋を通った。10列くらいの線路が並び列車も時々通り、汽車まである操車場を立ち止まって見ていた。みんなで眺めていた時、急に突風が長男の頭の上のパナマ帽を吹き飛ばした。あっと声を上げながら頭を押さえたが、帽子ははるか下の線路上に落ちていった。長男は顔をゆがめた。どうしよう、危険だけど一番元気な私が取りに行くか、危険な為 帽子を見捨てるか迷った。そこまで行ってもまた風で飛ばされてしまうかもしれない。長男は「どうしよう、ごめんなさーい」と涙目。

・・・と、体も弱く普段無茶はしない夫が、「ここで待ってて」と言い捨てると、陸橋を下りて左右確認し線路に入りレールをいくつもまたぎ、私達の陸橋の真下まで辿り着き、パナマ帽を掴んだ。慌てず注意深く見まわしながら無事線路から出て 陸橋の上まで戻ってきた。その後 長男はずっと帽子を押さえて歩いていた。

 

 

パナマ帽の帰国

ちょっと冒険をしてきたパナマ帽は、私達と13年前に離れた日本に戻って、今は元の持ち主の父の家にある。ただし、父は年を取って今はめったに外に出ず、出る時は帽子代わりのヘルメットを被っているので、パナマ帽を使うことはないかもしれない。

 

 

義母宅にあった義父の為に買ったが使うチャンスのなかった毛皮のロシア帽も義母は孫にくれた(多分日本で使う事もあまりなさそうだが)。ロシア帽はパナマ帽と一緒に父の家に来て、今も洋服ダンスの中に眠って出番を待っている。

 

 

  ~ パナマ帽の冒険談は終わり ~

 

 

 


 

 

   ー  ー  ー  ー  ー

 

その後、私も子供達もロシアに行く機会はないので、あの時行っておいて本当によかった。

義母はいなくなったけど、また行けるならいつか行きたい。

 

 

義母の事は下↓にも少し書いたが、義父が自分の弟(義叔父)の寿命と妻の寿命を交換してもらったのでは、と私は思っている。

 

 

 

 

 

 

   ー  ー  ー  ー  ー

パナマ帽って何?

 

ところでパナマ帽は麦わらとどう違うんだろうと思って調べ学習したのをこちらに少し。

 

まず、Wikiから

 

パナマ草はトキヤ草ともいうらしい。↓

 

 

 

製造の様子が細かく書かれている↓麦わらとの違いも

エクアドルのトキージャハット(トキヤ帽)

ヤシ科のトキヤ草(パナマ草)の葉を細く裂いた紐状の繊維を編んで作られます。

 


 

 

 

 

実際はエクアドルが産地なので、エクアドルハットというべきとのこと。動画あり

 

 

 

 

 

ここでは帽子自体について細かく突き詰めている↓

 

 

 

 

カンカン帽とは?↓ また、最高級職人にも言及

 

 

 

 

 

パナマ 調べ

 

Wiki では

 

コスタリカとコロンビアに挟まれている。

面積が小さめ。 75,416km2

首都はパナマ。

熱帯。

 

 

 

 

 

ところで、29年も前にパナマの人と話したことがあるが、1年中朝6時に日が昇って6時に日が沈むそうだと聞いてトロピカルなステキな所だろうなと思った記憶がある。

彼は米軍の空爆で家を潰されたことがあり、アメリカ嫌い!って言っていたのも覚えている。

当時は、へえ、と思ったがスルーしていた、今になって検索したらこんなのがあった。

1989年12月20日 - 1990年1月

 

 

 

パナマと言えばパナマ運河だが

フェルディナン・ド・レセップスが 1881年 開発に着手し破産後、アメリカ合衆国が10年の歳月をかけて1914年に開通した。アメリカによる管理の後、1999年12月31日正午パナマに完全返還。

 

 

太平洋から大西洋へ抜けるには、地図を見ると真っ直ぐでなく入り組んで進む。全部で100km位あるかと思う。

↑Googleマップ

 

 

 

 

 

エクアドル 調べ

 

パナマ帽の産地エクアドルは「赤道」という意味。

山地が多い。標高が高いので過ごしやすい。

古代にはインカ帝国があった場所でもある。

首都はキト。

南にペルーがある。

ガラパゴス諸島を有する。(約1000㎞離れている)

面積 283,560km2 ( 231,216 km2 が東北、関東、中部、近畿、中国地方の合計、 日本全体で377,973 km2

 

 

 

 

 

 

ところでエクアドルとパナマってどれくらい近い?

間にコロンビアを挟んでいる。

エクアドル首都からパナマまで 飛行機で 1 時間 55 分

(Googleマップで陸路の計算はしてくれなかった。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

って、

パナマ帽を思い出しながら

中米の辺りを地図散歩したら

旅行気分を味わえたグラサン

楽しかったラブ