今日は、無音で集中できる自信が無かったので、何か良い瞑想用の静かなBGMがないかな、っと検索してみたところ、YouTubeでこんなのを見つけました。



ちなみに、これは20分用ですが、同じシリーズので10分用と30分用のもありました。

ただ静かなシンギングリンの音が1本、奏で続けられるだけで、しかもその音が心地好く、自然と聞き入ってしまうことにより、とても集中できました。音階はたまに変わるので飽きることもありませんでした。

私は非常に気に入りましたので

また次回他のも試してみたいと思います😊🍵 ~♪


最近の、瞑想中の私の良くない癖は、ブログを書き始めたことにより、つい、今日はこのあとどんなことを書こうか?っと、ネタを考えてしまうことです😅


それでは本末転倒というか元も子もないので、極力その思考は振り払おうとしますが、このように「 あ、良くない良くない!本来の正しい姿勢に戻らなければ!」っと、気をつけて練習することで整えて行くという姿勢を「ヨーガ」といい、それに対して、全てをあるがまま流れるままに委ねておきながら、それに没頭するのではなく、それが起きていることに気づいている、「あ、今こうなっているな」っと、意識的であること、あるがままにしておきつつ気づいて意識して眺めていること、そういう姿勢を「タントラ」と言うのだそうです。


ヨーガは硬い、男性的、厳しさ、陽、交感神経的、太陽的


タントラは柔らかい、女性的、緩やかさ、陰(悪いという意味ではない)、副交感神経的、月的


そして前者を「止(し)瞑想(サマタ瞑想)」といい、一点にぐっと集中することで他のことを一切考えない、それによって無になるような瞑想


後者を「観(かん)瞑想(ヴィパッサナー瞑想)」といい、全体をぼんやり眺めてあるがままを受け入れ柔らかく受け流すことで、何が起きても構いません、何が来ても大丈夫、全ての衝撃を ぼわんと包んで受け止めて無にするような瞑想


そんな2種類、2方向の、心の持ちようを練習するんだな、っと


私は瞑想「心の衝撃吸収の練習」と考えています。


説明を試みただけであって、

厳密に「今日のはどっちだった」「今日はどっちでやるのか」とか拘らなくてよい、どっちだってよいのですが(行ったり来たりすることもあるかもしれないし混じったような感じのこともあるかもしれないし)、


昨日一昨日の私は、がっつり真面目に坐禅の足や手もしっかりやりたい気分でしたが、今日の私のは「ゆるやかに、ちょっとBGMに助けて貰っちゃおう」と言えばヴィパッサナ瞑想でしたし、シンギングリンの音に集中することによって雑念が消えがちであった、と言う点では、サマタ瞑想でした。


いずれにせよ、最後には、深ーい瞑想に入れていたのか、寝ていたのか笑(ガクッとならなかったし、最後にシンギングリンが終わって次の動画の明るい音楽に切り替わったときに、驚いたりせずスッと目が開いた=ちゃんと意識があった、ぼんやり目覚めたわけではなかったので、眠り込んだのではないと思います。)


瞑想中に 本当に眠ってしまうときは、 眠気も罪悪感も ガクッも感じるので、今日のは明らかに眠りではなく、深ーい瞑想状態だったと思います。こんな時は、終わったあと、大変スッキリとします。


瞑想と睡眠て何が違うの?


瞑想を始めた頃、「毎朝4時に起きて瞑想しています!」っと言うインド帰りの占星術師だという若者に対して、心の中で密かに「それ4時に起きて瞑想してるんじゃなくて引き続き寝てるんとちゃうの?」っとツッコミを入れていた私ですが、やったりサボったりしつつもなんだかんだ続いて、あれから6年半になった今の私、上記のような言葉で、眠りと瞑想の違いを感覚的に掴んだものを表現しております。


とにかく、やる。

座る。

たまにさぼってもいいから、出来なくても良いから、続かなくても再開して、またやって、できるときにやって、なんとかやって、とにかく、続けてみるうちに、いつのまにか、習慣になります。

瞑想をする習慣がある、って、とても、生きるのに良いものです。


また👋