今日は、朝から 吐き気がするほど頭痛が酷く、仕事に行くのに辛すぎるので痛み止めを飲み出掛けました。


仕事中はなんとかなりましたが、帰ってからぶり返し、温かい水分をたくさん摂ってみたり、横になったりして休み休み、治まった合間に三味線のお稽古と犬の散歩はして、それでも本調子が出ず、午後は休む日にしました。


「坐禅」と「瞑想」と「マインドフルネス」は、一般的にごっちゃになっている気がします。


今日の私は、坐禅(心を無にして胡坐や結跏趺坐=けっかふざ=で、目は閉じるか半眼で、姿勢を正して静かに 座ること)はしませんでしたが、軽い瞑想(座り方はともかく、姿勢を整えて力を抜いて、目を瞑って、静かに、呼吸に集中し、心を無にしたり、心や体に起こること全てをただ流して、ありのまま受け入れて眺める時間を過ごすこと)は、しました。


働いている 間、動いている間も、マインドフルネスを意識して過ごすことは何度かしてみました。


具体的には、


頭痛にマインドフルに向き合ってみたこと、と


仕事(住居型高齢者施設内での生活サポート=居室清掃や 買い物代行など、つまりメイドのようなお仕事)中に、ちょっとイラッとしてしまった時に、その気持ちを客観的に「人工衛星から見ているように」眺めてみたこと です。


どちらも、 不思議と、感情や感覚というのは、自由に泳がせて、でもじいっとなんの感想も持たずにただありのまま受け入れながら見つめていてあげると、気が済むというか、消えてなくなりはしないけれど大人しくなってくれる、そんな感じがしました。


痛みを感じ切る、痛みにマインドフルに向き合う、とは、 


ただむやみにぼやっと、あるいはパニクるみたいに「わあー痛い痛い!」っと(心の中で)わめくのではなく、どこが、どんなふうに痛いのか、頭と言っても表面なのか奥なのか、てっぺんなのか側頭部なのか前頭部なのか後頭部なのか、目の奥なのか、鼻の奥なのか、耳の近くなのか、吐き気もするのか、頸の付け根なのか

チクチクなのかズキズキなのかピリピリなのかどーんより重いのか。冷たい感じか、熱を持った感じか。

解決方法とか、原因とか、過去や未来のことは考えず、 また、痛いのが辛いとか悔しいとかむかつくとか情けないとか不安だとか悲しいだとか、そういう「感想」は持たず、ただ起こっていることを「ふーん、そういうかんじなんだね」 と、認めてあげる、だからどうしようとかそういう操作や感想は一切無しで、ただ「ふーん、あ、そう。」と、受け入れる、受け止める。 そういうことです。


イライラの感情は、

「はあ、この人(私)怒ってはるわー」

っと客観的に、他人事みたいに、怒っている私を人工衛星から見ているみたいに観察する。


すると、不思議と、冷静になれます。



これが、私の先生(とある精神科の名医先生)の仰るところの

「マインドフルネス認知療法」

なのだと思います。



今日は そんな体験をしました。


云。

おやすみなさい🌃