昨夜


遅くなった、うちのわんこのお散歩に、星空を見上げながら歩いていました。


星が、ぽつんぽつんと、きれいだな。


大きな夜空の、星。


未知なる、高い高い、お空の、遥か遠くに、輝き瞬く星達。


これを見て、大昔から、人は、離れていった愛する人、お空へ帰った、なんて表現される、亡くなった愛する人を、重ねてきたのだな。


空から、見守ってくれている


遠くから、いつでも、見守ってくれている、っと。


星を見上げ、いろいろな、先生(足立育朗=形態波動エネルギー研究所所長)や縁のある方々との思い出について、思い出していました。

(いくつか前の記事に書きましたが、どうしても私は「先生」と呼んじゃいます。足立所長ご自身は先生と呼ばれるのはお嫌いだと他の方から聞きましたが、研究する専門家なのだから、お医者さんや学者さんと同じように、先生と言っても良いと思うのです。謙虚な姿勢により、おこがましいからやめて、っということだったのかもしれませんが。そんなことで、今後は文中、先生とお呼びしたり所長とお呼びしたり、混ざると思いますが、文脈によってご理解下さい。)



素直に、なってみようかと、思いました。



先日から、名前を伏せてイニシャルで書いてきましたが、それは、生前のあの方やその周りの中央の管理職的な方々から、散々、口酸っぱく聞かされた「慎重に」という、呪縛に近い言葉を、未だに畏れ、がんじがらめになっていたからです。


慎重に、というのは、表現のしかたによって誤解を招くと、正しく伝わるものも伝わらない、という一般的な意味もありますが、悪い某かに悪用されるとか、振動波とか調和度とか、何か宇宙的な、見えないものの話、でもあるようで、それが私には恐くて仕方ありませんでした。極端に言えば、口を滑らすと何か恐ろしいことが起こる、かのような。(いろいろ不思議なことも起こるのも常でしたから…)


だから、「書きにくいことなら、小説、作り話、フィクション、ファンタジーノベルとして書けばいいか!」なんて思って、昨夜、私に起こったことを、児童文学のお話として書こうとペンを取り始めてみました。


すると、どこから入ったのか、あまり見ない大きな硬い虫が、カン!カン!っと、台所の蛍光灯に強い音でぶつかって弾き返されて、ということを始めました。形態研ではよく、虫さん(生き物や物達にも、同じ存在物として敬意を以てさん付けにする)はメッセージを運んでくる、ということで、特にカメムシは明確なメッセージを持ってくる、ということで、現れると、「あれ?何のメッセージかな?」っと立ち止まって交流して受け取ってみたりする習慣がありました。昨夜電灯にぶち当たって大きな音を立てたのは、そのカメムシさんでした。


「電気を消して早く寝ろ、ってことかな?それとも、蛍光灯が不調和だって言ってるのかな?」

私は台所の電気を消して、隣のリビングの暖かい色の電灯を暗めに点けて、また物語手記を書き始めました。トイレに行ったりお風呂に入ったりして、出てきてまた取り組もうとすると、またパン!パン!っと、カメムシさんが暴れました。とりあえず、書くのはやめて寝ました。


実際、あれがどういう意味だったか、正解はわかりませんが、その傍ら、ふとこんなことが頭に思い出されて浮かびました。


今、映画館でやっている『かくかくしかじか』という映画のことがふと浮かびました。大泉洋が「描けえぇ!林ぃ!描け描け描けぇ!」っと叫ぶのです。


何かしていて、何の脈絡もなく、何度も繰り返し思い浮かぶのは、メッセージです。


あれは「描け」ですが、私が「どうしようかな、どうやって?でも書いたらまた誰かから怒られるかな」とビクビクしてなかなか取りかからなかったり、やり方を模索している時に、これが浮かぶ、「書け書け書けぇー!」

しかも、林、というのは、あの映画の主人公の漫画家の名前であると共に、足立育朗所長の建築家としての事務所、樹生(じゅな)建築研究所の、先生の右腕として取り仕切ってきた今の代表の名前でもあるのです。(ホームページに載ってるんだからいいよね?)

絶対これ、所長が言ってる「書けー!」じゃん?


私は、せっかくしがらみから離れたのだし、全国で研究会の皆さんそれぞれ、体験して学んでいるのだから、私もその各々の一人なんだから、別に権威でもなんでもない、ただの『波動の法則』の一読者で一般ピーポーなんだから、自分なりの、あれを読んで思ったこと、意識しながら体験したことをシェアしたって、いいじゃないか。


自意識過剰過ぎんだよな。


素直になろうと思いました。


ちなみに、なぜこんなにまどろっこしくびくついているのかというと、


かつて足立所長と幾度か面談させて頂いていた時期に、その理由がありました。


ちょっとした表現の違いというか、人間、そんなに、心や頭の中のことを、ばっちりぴったりきれいに見事に言葉に変換しきれるものではない、こともあると思います。だから、いろんな角度から言葉を尽くして会話することで、あーそういうことね、っと、ニュアンスを掴む、ということもあると思います。


けれども、所長との幾度かの面談や交わした会話において、何度か、誤解され?叱られ、「違います、所長、最後まで聞いてよっ!」と思う(思うだけです。とても口を挟めないほど長々と所長のお話は続き、煙に巻かれてしまうというかもういいや、って諦めてしまった)ようなことが、私には幾度かあったのです。(ある研究員さんに「よく所長に言い返すね…」と呆れられたことがありましたが、所長の仰ることを真剣に理解したい、っと思うからこそ、疑問に思ったら詰めるのだと言ったら、「理解、っていうのがそもそも違う」と更に呆れられました。その時は意味がわかりませんでしたが、今では、あれは適切な聞き方ではなかったな、とわかります。理解するとかしないとかではなく、ただ、ふーんそうなんだーで、良かったのです。禅です。この話はまたこんど。)


そういうところが、先生(所長)からしてみれば「謙虚じゃない」だったのかもしれませんし、そういう心持ちの私だったから、結局自ら離れていくことになったのかもしれませんが、謙虚じゃなかったからクビ!っというより、わたしが萎縮してしまって、「直観を受け取り実践し環現」しなさいと言うけれど、「どうせ何言ったって調和度が低いとか違うって言うんでしょ」「新入りの私の話なんか誰も聞かないんじゃん」っと、なってしまったのではあります。



けれども、ずっと未だに引っ掛かっていること

(ある時の面談にて)「◯◯さん(私)は、自分でどんどん進化していくくせに、それを人に環現しないのが良くない」と仰った所長の言葉と、

(最初に面談に呼んでいただいた時に所長が)「ある時、郵送物に紛れていたプリントされたメールの名前(私が面談を申し込んだメール)をふと見つけた時、あ!この方だ!っと思いました。この方が、形態研がお待ちしていた方だ、っと直観でわかりました」と、幾度も仰ったこと。そういう大袈裟な言い方を、メンバーの方々に紹介頂いた時にも、何度も繰り返されるので、なんか所長の肝いりで鳴り物入りで入ってきた新人、みたいになって、古株の研究メンバーから腫れ物を扱うように、あるいは、やっかみを受けたりして、大変居心地が悪く、嫌になってしまった…という、出だしの経緯もありました。自慢ではなく、かといって使命感に迫られるような、何かしなくちゃいけないんだ、みたいな、妙な気負いが生じ、肩に力も入ったし、緩やかな見方ができなくなり、わけのわからない謎の集団に早く溶け込まなきゃ、なんか期待されてるけど、それは怖いけど、正直、承認欲求のあった私にはそれが美味しくて、頑張っちゃって、結果的にはそれが自惚れに繋がったのでしょう。今振り返れば、本当に、なんと申し訳のないことをしたかと、あんなに良くしてくださったのに、なぜ素直に謙虚に仲良く人とうまくやれなかったのか、所長にも、なんと失礼な申し訳のない恩知らずなことをしてしまったのか、と、今さら、悔やんでも仕方ありませんが、お詫びしかありません。


そんなことを、星空の下で、思い出しながら、


もっと、素直になってみようか、と思いました。


私に今、出来ることは、何だろう?


そして、なんのために、それをするのか?


自分はこんなに、あの『波動の法則』の足立育朗=形態波動エネルギー研究所所長と近かったんだよ、なんてことを自慢気に披露するのでは決してなく、スキャンダラスな興味本位な裏話を惜し気もなく暴露する、のでもなく、


所長が、生涯を懸けて、地球の私達にDEVIC(自然の仕組みにかなった本来の方向へ気付けるようにヒントを出すこと。)し続けて下さったことを、引き続き今まだ地球にいる私達皆で、お互いに影響しあいながら、研究し、直観で受け取り、体験して学んでいくこと。それを続けること。


なんとなく、自然に、何の気なしに、ふっと言ったこと、してみたことが(そういうのが直観なんだけど)、誰かの何かのヒントに、ふっと、なっていたりする。


そういうのを、お互いに日々暮らしながら、展開していく。


そんなことの、ほんの一端に、私もなれたらな。と思います。


私は、ほんの少し自閉症もあり、リアルな人付き合いが苦手です。組織も苦手です。

だからこんなところで、ひっそりとブログを書いたりしています。

今はアメブロより、noteのほうか引きが良いかもしれませんが、ハッシュタグをつければ、検索エンジンにひっかかり、必要な人にはここが繋がるでしょう。


あんまり大々的に大っぴらにしたくもないのです。必要な人に、自然に届けばいい。


ハッシュタグに気を付けて、そっと、ここで、私なりの気付きを、こんなことしてるよ、こんなことがあったよ、こんなこと思ったよ、ということを、自然の仕組みにかなった本来の調和の取れた方向へ気付けるように

と方向性を決心して、この場を作っていこうと思います。


足立育朗先生のエクサピーコさんがなさっていたことを引き続きこの世で行えるように。先生との約束を果たせるように。先生への深い御詫びと感謝の気持ちの形として。


先生、ごめんなさい。

ありがとうございます。


「一度交流したエクサピーコ同士は永遠に合流し続ける。たとえ地球の反対に離れても、死んでも、交流し続ける。」そう仰った、足立先生。今でも、深い緑の木々の風にざわめく様を見ると、そこに先生が居られるようにかんじます。先生。エクサピーコは、どこにでもあるのですね。全てが、エクサピーコですね。個々の、分離したものではなく、全てに、溶け合った、大きな海のようなものでしょうか。