「Otonami」という、大人の嗜み、大人の楽しみ、みたいな、いろいろな小さい体験イベントを、日本の各地で開催しているのがあります。


鎌倉のお寺で御茶席とか、陶芸とか、ビーズ細工とか、テーブルマナーとか、なんか作品作りとか等々…


その中で、曹洞宗の本部が協力で主催する、坐禅と精進料理と写経の3つを体験する回があって、赤坂の心療内科で治療の一貫として開催されているマインドフルネス瞑想(ヨガと坐禅)にもう5年ほど定期的に参加している私、お坊さんがなさる坐禅会にも是非参加してみたいぞ、っと、喜んで申し込み、今日やって来ました。


とても良かった✨楽しかったです。


2ヶ月くらい前に申し込んでいましたが、先週の、まさかのA先生の訃報に接して落ち込んでいた私の心を、タイミング良く癒してくれることにもなりました。直観的に申し込んだ自分に助けられることになりました♪ 蔦十じゃないけど、有形山です🙏📚️


3つとも、静かに自分や世界と向き合える、佳い時間だったのですが、なんといっても、解説してくださったご住職(何て呼ぶんだろう?先生、とか呼んじゃったけど、和尚さん?聞けば良かった)が語彙が豊富で、言葉の選択が古今東西自由自在で、例えとかもすごくわかりやすく適切だったのが、心に染み込んで良かったです。


それはとてもここには書ききれないくらい全体に行き渡った素晴らしい話力でしたが、これはもう、書ききれないのだし、料金を支払って参加した人のもの、っということで。ここでシェアはしません(書けません)。


しかし、A先生の仰っておられたこと、調和、というのは、具体的にはこういうことも、含まれていたのかな、っと言うのが、少し、一部の感想でした。


食べること、息をすること、弛むこと、リラックスすること、丁寧に感じること…で、全ての物事への、忘れていた感謝を思い出す、感じることができる。マルチタスクで効率良く急いでやるのではなく、1つずつゆっくり

丁寧に向き合うことでしか見えないことがある。


食事の作法は、あれしちゃいけないこれしちゃいけないではなく、「素敵な人だな、と思われるような人になる、ってことです」という、住職さんの表現、府に落ちました。


「体→息→心、の順で調える。整える、じゃなく、調える。きちっとビシッと整えてやるのではなく、坐骨、背骨を1つずつ積み上げて自然に立つように調えるだけ。自然に、力入れず、緩やかに、ふんわりと、心地よく。ただそこに居て良いというような。鳥かごに風が自由に吹き抜けていくような、入ってくるものを選り好みしない。カラスのカアーがうるさいからやだ、ではなく、ただ右から左へカアーが抜けて行く。嫌とかうるさいは、外の現象のせいではなく、自分がその現象をわざわざ捕まえに行ってうるさいものだと思うせい。本当は、ただのカアーがあるだけ、それを捕まえに行かない。」


「坐禅もお食事も写経も、同じことを三つの別々の方向からやってみるだけのことです。静かに、向き合って、調える。感じる。」


「そりゃ仕事のときや子供の世話をする時なんかは、マルチタスクでワァーッとやらなきゃいけない時もあります。でもたまには、一人の自分に還って、静かに向き合う、良かったうまくやらなきゃから開放されてただ在ることを感じる、これもやっとかないと。何で生きてんのかわかんなくなっちゃうからね。」


印象的だった言葉をざっといくつかメモしました。


普段、おうちでもやってみよう。


ゆっくり噛みしめて食べる。


五つのことを意識して:


①この食材さんたちは、どこからどうやって今この目の前に来てくれたのだろう。そのために、どれだけの人が関わったのだろう。


②私はこの、みんなの、あちこちの、いろんな協力のもとに現れてくれた食べ物さんを、この子のエネルギーを頂いて、それをどう環現するのか?このお食事のエネルギーを頂くに値する行為を、自分は成しているだろうか?


③欲のために貪り食うことをしていないか?ちゃんとひとつひとつ味わって感謝して食べてるかな?(住職さん「ビュッフェなんか欲の塊が歩いてる。全制覇だ、二周目だ、別腹だ、って」笑)


④体の栄養になっている、この体を健康に維持するために頂いている、必要で大切な薬なのだと、食事を意識して、体を意識して、適正に食べる。美味しいからっていっぱい食べ過ぎたり、食べたくないからって必要なものを摂らない、ってのも違う。


⑤人間として正しく生きるために、今この食事を頂きます。



私は、味を感じたいからなのだけど、次から次へと口に入れていることに気付きました。

白いご飯(禅のお食事ではお粥でした)の甘味が後引くところに、しょっぱい味を溶け込ませたいから、まだ口の中にご飯が残っているかいないかくらいの時に次の漬け物を放り込んでる。今噛んでいるものに集中しないで、次の物を見ている。回転寿司なんかその最たるもの。今口に含んでいる鮭の美味しい味を味わうのをそっちのけで、次に流れてくるものを一生懸命目で追ってる。せっかく口に入った鮭を、全然味わってない。もったいないし、ハラハラ気が急いて、満足感が来るのが遅い。結果食べ過ぎたり。


ひとつひとつをよく噛んで、したの奥、喉の奥、食道を流れて行く感覚さえ感じて、府に(胃に)落ちていくまで、感じて食べたら、なんか、違う。自分が、違う。


もっと体験してみよう。体験してみて。



自分の今日の体験を、ざっとですが、覚え書きみたいに、してみました。


写経ももらったので、また半紙を上に敷いたり、自分なりに、無心に書くこと、その中で何を感じるか、感じないか。


やってみよう。体験してみよう。何を自分は感じるか、感じないか、を観じてみよう。


そういうじっくりした時間、

全部が全部そうでなくとも、少なくとも、そういう時も、持ってみよう。