A先生(所長)が亡くなった(移行と言うのか帰星と言うのかファントと言うのか)と知ってから、表では平気を装っていたけれど、地味に深いところでやはりショックで、昨日から熱を出して寝込んでいる。
こういうふうにこだわるのは、先生達流に言えば「波動(調和度)が低い」状態なのだろうが、ショックなものはショック。正直なところ。波動が低いって言われたくないから、ショックじゃないふりしているだけなんじゃないか?多くの会員(?)さんたちは。
Wikipediaでも出てくるくらいの、そこそこの著名人だから、ネットで検索したら何らかの情報(訃報について)が出てくるのではないかと、何度も検索してしまったが、そういうのは一切無い、いまのところは。Wikipediaでも、「1941-」となっていて、-2025とはなっていない。
何のために、何を求めて検索とかしちゃうのかといえば、ただ寂しくて、誰かと何かを語り合いたいのかも、先生について。先生の思い出について。その後何かメッセージを残してくださっていたのか、等。
みんな(会員、各種研究会のメンバーの人達)どうしているのだろう?もう2ヶ月になる。淡々としているのかな。残されたこれからの自分達の、それぞれの役割を、淡々と、実践あるのみと、こなしているのかな。
不安じゃないのかな。
平気なんだろうな。
こんなにわたわたしてるのは、私だけかな。
落ちこぼれ会員、クビになった?会員、調和度が下がって相手にされなくなった落ちこぼれ。後悔と、罪悪感で疑心暗鬼になった、裏切り者の、仲間はずれの駄目会員。
取り巻きの人達とはそうでも、私は先生のことは尊敬していた。あまりの訳のわからなさから、逆恨みじゃないけど、反抗的になったことはあったけれど、それは真剣だったからこそ、もっと理解したかったからこそ、食いついていっただけで、いつも尊敬していた。
先生について、分かち合いたい人、語り合いたい人、ほんとうは、たくさん居るんじゃないかと思う。私だけが知らないのかな。JとかFとかNとか真のK…とかの会員の人達は、仲間で集まって、あるいはネットワーク内で、共有し、納得しあっているのかな。
私は人付き合いが苦手だ。軽いけれど自閉症でもある。それに、私から見ると、各種会員達と先生個人とには、意識にズレがあるように思えてならなかった。みんな、先生の鸚鵡返しやイエスマンばかり、もしくは、いかに自分が先生に認められたか、先生に近づくことができる特別な人間か、先生から「波動の高い人、調和度の高い人」とのお墨付きをもらった人間であるか、作品を認めてもらえたか、を、競いあっているかのように見えた。新しい人を迎えるのが下手、なぜなら古参が威張って新参者を見下す、あるいは、先生の強いお墨付きと鳴り物入りで入ってきた人には横目であるいは上目使いでへつらう(影ではこっそり「生意気だね」と噂をする)
あれでは何も進化しない、発展もしない
先生の意図しないところで、違う方向に行ったように感じる
新たな良いものも生まれているかもしれない
でもそれは
先生の望んでいたこと、先生のしようとしていたことそのものでは、無いような気がしてしまう。
かつて先生が言っていたこと、新しい別の星でDEVIKし続けるというのは、本当に起こっていることなのだろうか?それは地球のためのことなのだろうか?
私達は、あとは自分達でなんとかしなさいね、どうすればいいのかは教えたでしょう?と、置いていかれたのだろうか?
ははは。
ばかだな。
ここまで書いて
自分じゃん、て
ばかなのは私じゃんて
自覚しちゃったぜ。
それがわかっただけでも、思いのまま書いてみて良かったじゃんか。
認められたかったのは、私だ。
寂しかった、拠り所がほしかった
自立してないから、求心的なものに惹かれたんだろう。
広い宇宙空間に、ぽーんとひとりほっぽり出されたような、置いていかれたような、心もとない気持ちになっていたんだろう
こういう人を、あの会の取り巻き達は、上から目線で、「勘違いデビック」(DEVIK=本質の意識と意志が自然の仕組みにかなって調和のとれた方向へ気づいて実践するようにヒントを送ること。)するんだ。誰もあなたになんて相談なんかしてないのに。
先生に会いたい
見つけていかなきゃ
自分で
足元に
手元に
あるんだよな
でも、嫌だから(そういうのが案外一番大事な取り組むべき事なんだけど)目を背けて気づかないふりしてるだけなんだ
家族も人も 私は大嫌い 苦手!
それがほんとは大事って、知ってる
知ってるからこそ
腰が重い
ここではないどこかへ を夢見ちゃう
あかんのや それでは
生きてる意味 ここに居る意味
何の、深く考えることもない
この今のありのままこのままを
丁寧にこなして生きていくことが
これに感謝して安心して喜んで取り組んでいく
それだけが全てなんだ
皿洗い、そうじ、会話、犬の世話、虫をどうするか、植物にどう向き合うか、家族にどんな思いを向けるか、どんな言葉を発するか、どんなふうに着るか、歩くか、洗うか、作るか、歌うか 等々…
そんな小さなこと、身近なことこそ、忘れてるんだ。
先生。もう遠い、先生。
「一度合流したエクサピーコは、どんなに離れても、たとえ死んでも、永遠に交流し続ける」と、私と二人だけで、あのビルの上の会議室で面談した時、仰いましたね。たくさんの思い出、言葉が、まだこの心の中にあります。先生。環現、してもいいですか?私はまだ、何か間違ってますか?先生😢