不安定な気候で疲れきっていたところへ恩師A先生の帰星の知らせを受け、ショックで熱を出した。


「こだわりは低い振動波」だって、先生なら仰るだろうかな。


軽やかに捉えてサクサクと淡々と在ることが良いのだろうな。


でも、どうしても抜け出せないならば、そんな自分を駄目だと否定するよりも、ありのまま受け入れて、「そうなんだね。つらいよね。こだわればいいじゃん。こだわってしまえ。」と、逆に、あるがまんま、そのまんま、眺めていてみるのもいい。…っと、今は私は知ってる。


心が風邪をひき、服薬と平行して坐禅やマインドフルネス瞑想を取り入れるようになり、「あるがままを静かに他人事のように眺める」という心の姿勢を憶えた。


思い通りにならない自分をコントロールするには、自分の状態を否定したり正したり直したりと働きかけるよりも、ただ今の状態を静かに他人事のように眺めて観察する(=受け入れること。否定もしないけど肯定もしない。何にもしない。ただじっと眺める。何の感想も持たずに。)ことで、はっと自分に気付き、気付くと、自ら自然に、中間の、安定した、本来の調和のとれた正しい状態に戻れる。


カレンダーの写真を見ても、あの本の色を連想して思い出してしまう。皆で行った上高地の景色を思い出してしまう。


思い出しちゃだめ!こだわっちゃだめ!調和度が下がる!なんて思わずに、もう、思い出してればいいじゃん。悲しいんだから。


そう、自分に言ってやると、逆にすうっと緊張みたいなものが抜けて、弛んで、無理せずとも自然にやらなくなる。それを狙っちゃだめだ。そうならなかったとしても(今もう抜けちゃったからその仮定は意味ないけど)、飽きるまでやらせとけばいいんだ。それも自分なんだから。100%自分を受け入れる、って、ありのままに生きるって、こういうことなんじゃないのかね?