アメブロなんてはっきり言ってもう古いし、今さらまた一から投稿しているこんなちっぽけな私のページなんて、よほどのハッシュタグを付けない限り、いや付けたとしたってたいして、誰も読みゃしないだろう。
今までさんざん「広める系」啓発系ブログを作ったって、その効果たるや雀の涙だった。
嘆きもしたが、そんならいっそのこと、その「人目に触れない」ことを逆に利用して、心につっかえた諸々をここに吐き出して、すっきりしちまおうじゃないか。
誰が読んだところで別に何の害もありゃせんだろう。今さら。
ただ、おそらく誰もどこにも書かないであろう、この生の体験を、私なりにできるだけ、興味のためではなく、何かしらの人の心の助けになるように、地球や自然がより良い方向へ常に流れていきますように、というインプットの下、書いてみることで、たとえ誰も読まなかったとしても、そういう書が形を現してここに存在するということが、何らかの、フゲエキン(この言葉の意味はゆくゆく詳しく書きます。知ってる人は知ってるでしょう。でも先生の口から生で聞いたそのままの表現で、後々説明します。)としてこの世に良い波動を伝えていくならば、それは害にはならないと思う。むしろ良いことであれば嬉しい。
先生は私に言った。
「あなたのいけないところは、一人で勝手にどんどん進化するくせに、それを人に環現しないところだ。」
(還元、じゃないんです、この人達はこういう字を敢えて書くのです、それなりの意味があって。)
先生は、この春に亡くなった。
前の記事にも書いたけれど、先生の周辺の方たちは、亡くなる、という、表現をしないので、「次の星に移ってそこでの役割を果たされている」と言うし、またその事自体も、もしかしたらまだあまり公にされていないのかもしれませんが、そういうところのいやに慎重で何も進まないところが、抑圧された感じ、誰かの許可(しかもあまり根拠も無いしそこにだけは慎重さが無い、あいまいな)を待って結局うやむやに消える、あらゆることがそうだったところが、私はいつも歯がゆかった。そのせいで、観じた(これもあの研究所周辺の独特な言い方で「感じる」ではなく、直観を使うという意味で「観じる」という)ことをシェアするのをいつもためらい遠慮していた。新参者の言うことなんか古参の会員?は端から聞かないのだし、何か言えば所長が認めない限り批判の的にさらされるのだから、シェアなんかしたくない。
だから何も言わずに居れば
「どうしてもっと早く言わないんだ」と所長(A先生)に叱られた。
仲間の多くは先生のことを「所長」と呼んでいたけれど、私は、その所以である「K.H.E.研究所」が作られる前から、両親の経営していた診療所の内装を手掛けて頂いた建築家としてのご縁、そして、皮膚科の医師で、アトピー性皮膚炎治療の研究をして健康食品AODを作った丹羽先生にその開発協力で関わっていた、母親の縁、等で存じ上げていたため、その頃からの名残で、研究所に繋がった後でも、どうも「所長」というのは呼びづらく、皆と話す時は通じないから合わせて「所長」と言っていたけれど、「A先生」と呼ぶほうが呼びやすいのだった。だからここでも先生と呼ばせて頂く。
A先生は、一般的に言えばもしかしたら変人だったのかもしれません。
けれども、ぶっ飛んだ謎の著書、有名なあの深緑色と金色の表紙の本は、その内容に共感する人が多く、難しいけれど本当のこと言ってるなと思う、という人が非常に多く、今でも密やかなバイブル的な存在なのではないかと思います。その後に続く白い本、水色の本も、内容はさらに「?」だったけれど、「本自体がファルフ(←これも後で詳しく。ざっくり言えば、事物や環境に影響を与え、それらを自然に叶った調和のとれた方向に変換する装置)」だという先生の仰るとおり、おそらくそうであるからこそ、細々とでも確実に、草の根で指示され存在し続けているのだと思います。
語りたいことがたくさんありすぎて、支離滅裂になってしまいましたが、要するに
先生が肉体を離れて地球に居られなくなってはや2ヶ月。それを知ったのは昨日。
今思うのは、寂しいけれども、正直、なんだか、軽くなった、自由に、本当の自分らしく居られるようになった気がする、ってこと。
あれしちゃいけないこれしちゃいけない、調和だ不調和だ(宇宙の波動と)、調和度が高いの低いの、といちいち評価されるのが、そういうタガが無くなった、やっと自由な、解放された、本来の私になれた。そう感じるのです、悪いけど。いろいろ言ってたけど、結局制限だらけだったんじゃん?っと、私は感じている。正直な気持ちなんだからしょうがない。あるがままに生きるとか、妹さんはもっと前に他の星へ移動しながらいまだにこの世界に強く影響を与えておられるけれど、お兄さんでありながら、自分だけあるがままで、周りの人はずいぶん(まあ周りの人が勝手にしたのだろうけど)がんじがらめだったように私には見えた。
A先生は、あんな変なことばっかり言ってたけど、何か真実があってそれが世間にもちゃんと受け入れられていた、そんなA先生がすごいと思うし、私も大好きだったけど、その周りの取り巻きが歪んでいて嫌いだった。
まあ、ここは悪口を書く場ではなく、私が見聞きしたA先生を曲げずに伝える場所だから。リミッター外して、書いちゃうよ。
先生、よくこういうことあったよね。
先生が否定して、「それでも」って食いついて行くと、意外と通る、みたいなこと。
あれはきっと、本気度を試して居られたのかな?え?ちがう?いやスイマセン。
でもね、ずっと、一番、私の中で引っ掛かってて、後悔しているんです。先生が仰った「環現しなさい」ってこと。それができなかったこと。
自然に、任せます。
先生の言葉、たくさん、印象強いのが、心に楔のように残っています。
「結果が役割」とか。
ずっと、折に触れ、思い出され、考えて、いえ、観じています。
私の生きる意味
何のために生まれ何のために生きるのか
いつも言っておられた
先生
この生を
今回の役割を、終えられて
(?終わってないのかな?まだ別の星で地球のサポート続けて居られるのかな?先生…会いたいです(T-T))
どうお観じになられていますか?
先生
もう一度お話ししたかったです。
お聞きしたいことがありました。
でも聞けなかった、これが、そのまんま、そのままなんですね。聞けなかったことに意味がある。私は自分でもっと深く観じようとするかもしれないし、現に今、そのお陰で、こうしてこれを書いています。良い悪いでなく、流れ流れて、これがどう出るかで、いつまでも流動的に、結果、結果、役割、役割で、ことが進んでいく、宇宙が運営されていく。小さくても、ここも宇宙の片隅のひとつ。
どうか、どこかで、お見守りください。
そして必要な時は、メッセージ下さい。
きっと受け取ります。
先生。まずは、ありがとうございます。
そして、いろいろ、ごめんなさい。
愛