私は昔一時期、霊媒(ミディアム)として働いていたことがあった。その頃は、お客様に驚かれることも度々あったし、感謝して頂けることも多かった。でも、だんだん、やりたくない、と思うようになった。生きてる人亡くなってる人双方の思いがわかりすぎて、わかるけど言っちゃいけないこと、わかっても伝えるべきではないこと、というのを、間に居て、どう処理して良いか混乱してしまったのだ。また、二つの世界がなぜ隔てられているのか、生きているのと死んでいるのは、同じようでいて、一続きに繋がっているようでいて、やはり違う、隔てられていることには意味がある、つまり「せっかく死んだのに」的なことがある、亡くなったことの良さ、というか、意味、大切さ、というのもあって、それを、ミディアムなんか頼んでくるような生きている側の人は、受け入れられないから頼んでくるのであって、それは言葉で説明して納得して頂くことは難しかった。誤解を招くことになるのが関の山だった。生きている、肉体の制限がある人間のほうが、面倒臭かった。身体を離れて気持ちだけ、想いだけ、エネルギーだけ、軽やかになった人のほうが、遥かに簡単でわかりやすくて通じやすくて楽だった。ツーカーでいけるかんじ。言葉を介さなくても通じるような感じで、楽だった。生きている側の人には、それを、通訳するみたいに、言語(これが波動として重いのだ。言語というのは本当に重くて不便。)に変換して伝えなくちゃならない。ここに、限界を感じてしまった。しまいに、軽やかですいすい通じる世界が心地好くて、時折「あーもうーあっち側へ行きたい」(暗く悲しい気持ちでは無しに)「死んじゃいたい」「生きてるのめんどくさい」と思うようになってきてしまった。


そんな時、神様か何か、何かそういう大きなもの、自然というか、流れというか、があるとしたら、それが私を、流れに乗せてそこから連れて去ってくれた、せっかく生まれたこの世での人生をもっと味わえるように、守るべく計らってくれた、その現れなのかもしれないが、ある時、あるお客様のミディアムシップで、大間違いをした。いつものように、見えたものをそのまんま伝えただけだったが、これがそれまでに一度もなかったほど、てんでめちゃくちゃで全く当てはまらなかった。それでスパッと割り切れて、お客様には平謝りに謝って全額代金をお返しし、それを限りにミディアム(霊媒)シップセッションはきっぱりやめました。


死んだ後のことなんて、死んだときに感じて体験すればいいんだよ。


せっかく死んだのに。

せっかく生きてるのに。


いつも、今、ここ、この時点での、体験を、それぞれ、フルに、全身全霊で、自分で味わうことが、私達の存在の意味なんじゃないかな。


また、大切な人を亡くし、ああもう一度話したかったな、今どう思ってるのかな、なんて思い、つい、ミディアムシップを思い出し、それと同時に、あの時思ったことも思い出しました。あの世とこの世の橋渡しはとても貴重で大切で、滅多やたらに架けるものじゃない、いや違うな、いつも架かってはいるけれど、簡単にほいほい行き来して良いものではない、畏れと敬いを以て大切に、どうしても必要な時に自然に霧の中から現れるかのような、そういうものだと感じたんだよな…っと、思い出し、今日はしたためました。