先日のエンジュさんの記事の中で、ちょっと引っかかった部分があるのでもう一度過去ログを引っ張り出しました。
南無阿弥陀と唱えれば
阿弥陀様が迎えに来てくれるんですから
⇒この何もしなくてもと言うパートに引っかかったワケです
https://www.famille-kazokusou.com/magazine/manner/88
※何故かと言うと仏教の教えの根幹が分かっていれば、こんな解釈にはならないからです😌
⇒おそらく参考にした元の記事?を纏めた人自身、あまり仏教について真摯に調べていない(浅い理解)ような印象を受けました。
☆これまで幾度となく書いて来た通り、仏教徒であるのなら宗派に関わらず
☆意業、口業、身業を淡々と積み上げて行くことは外せないポイントなんですよ❗️
⇒他力(阿弥陀如来の本願力)に救ってもらうと言うパートは同じでも、
☆その前提である努力は自身で積み重ねなくては、あきまへんな😏と言うことです。
※あと阿弥陀如来を奉じることを勧めるキッカケのようなものは、たしか文字(漢字)の読み書きもままならない庶民にでも実行できる極意のようなものとして行き着いたと、地元の図書館で読んだ本には書いてあったように覚えています…
・調べてみたら浄土宗では念仏をひたすら唱えることを教えているようですが、因果の道理や廃悪修善、業力(ごうりき)のことも教えなくては仏教を教えたとは言えませんので、極一部だけを取り上げて短絡的な解釈を付けられても不本意だと思いますよ❗️
⇒それから、浄土宗は戒律が厳しいそうですね
☆あと、浄土真宗は妻帯や肉食をしてもいいことになっていますね
※浄土真宗は浄土宗から派生したとは言っても全てが同じではないので、イッショクタにしたように書くと、それぞれの信徒さんからすると
「いや、ウチとは違うんだけどなあ〜」
と言うパートが幾つかあることと思います🤔
⇒もっとシンプルに言うと、南無阿弥陀仏は
⇒それまでのその人の行いに関わらず、極楽浄土へ連れて行ってくれる魔法の呪文のようなものではない🙅♂️と言うこと❗️
・少なくとも日ごろあれほどエゴだ!アガペーだと繰り返し記事にして来たのであれば、そう言う矛盾した点を調べてから載せないと、ネットに載せた時点で不特定多数の人たちが読める状況なのでマズイと思います…
※言ってみれば阿弥陀如来様の本願力と言うのは、究極のアガペーであり、誰かのエゴを満たす為のものではない❗️
と言う点を、この場を使って書き残しておいた方が良さそうだなと思い、僭越ながらツッコミを入れさせて貰いました
※元記事の元親友は、亡くなった親友と縁を切る前の段階で妻子持ちでありながら浮気をしていて、度々たしなめたものですが、屁理屈を並べ立てるばかりで一向にその行いを改めようとはしませんでした❗️
⇒こんな奴が極楽浄土に行けるのなら、阿弥陀如来さまはどうかしてると思うし、先ずそんなことにはならないだろうと強く思ったものでした😌
・彼の家も亡くなった親友の家も浄土真宗の門徒でしたが、あんな馬鹿な理屈を平気で述べていたのは彼だけでしたからね