ターゲットベースで留めているので、グレード制導入時にG1競走として成立した当該「MCS」の「第1回」「第2回」に出走した馬は含まれていないが当該G1競走に最も多く出走したのは5回のテレグノシス(NHKMC)は1度も起用されなかったスペックだが、通常5回も同一古馬戦に出走する為には3歳時より出走歴を刻む必要がある訳で、4歳上G1競走では有り得ない事案である。
現物での1着起用が無かった同馬であったが5歳時に3着歴を持つが、この時に同枠配置が前年1着馬で同世代デュランダルである。つまり、この年は、[4→5]の連覇年である。同枠馬は、その年の「安田記念」2着歴を持ち、その後の「安田記念(2006)」でも*1着同枠歴を刻んだ。この時の1着馬が当研が◎を打った[外]であった。そして、このテレグノシスにとって引退レースとなったのは2006年「MCS」で、そこでの1着馬が翌年連覇を果たすダイワメジャーであった。
もう1頭がダノンシャークで、同馬の最初の「MCS」参戦が4歳時という変わり種で、それは同馬が3歳春に条件馬の身分から抜け出せなかった点に原因があった。3歳師走競馬まで走り続けて、何とか準opで1着し、OP馬の資格を得た同馬は正月休みも早々に切り上げ出走した「京都金杯」で2着。その他、その年の賞金加算の総てが2着歴で、何とか出走を実現した明け4歳の「MCS」が初めてのG1出走。人気通りの6着に沈めたのは同世代の皐月賞2着馬サダムパテック。「京都金杯」では後ろでゴールしてたキャラである。何か、古い歴史を書き出すと色々と記憶が蘇り、無駄に文字数を費消してしまうが、このパターンにもファンがいるらしいので、構わず続けたいが、この馬のマトメに入る。
この5回出走馬は、翌年の「京都金杯」を1着し、その年の「安田記念」を既に京都に移転していた「読売MC」3着から「安田記念」も3着に激走した。勝ったのは同世代で今年の流行の種牡馬となったロードカナロア。そして、その年の2度目の「MCS」では「富士S」1着からの人気でのトーセンラーの3着敗退。
その翌年は既に6歳。春には1度の賞金書換の出来ぬまま出走した「安田記念」でも4着に敗退したものの同枠には1つ年下で1着したジャスタウェイ。その秋に「富士S」7着惨敗からの巻き返しで3度目の「(祝)MCS(2014)」で1着起用された。そこから2回も出走したが1度も機能しないまま8歳で引退。同馬が「安田記念」にも4回出走しているのは当然の話。
さて、「4回馬」も5頭いるが1着馬は既述の連覇馬デュランダルのみ。これが「3回」となると、そのヴォリュームは多くなるのも当然の話だが、馬券になった戦歴は偏っているのも戦歴解析では必然の話。
本体のマトメには届かないうちに終わりそうだが、今年の登録馬には過去戦に出走した経歴を持つ馬は前年連対の2頭の他に3頭しか存在しない。内、3歳での出走が3頭。
・・とここで時間切れです。
蛇足ですが、ターゲット外の話を1つ、創設「第1回(1984)」と「第2回」の1着馬は共に2枠03番で「単枠指定」だったニホンピロウイナーで「4→5の連覇(馬齢の話)」です。